0459.基地襲撃開始
ロークは、突然のことにどう対応していいか、わからなかった。ゲリラたちの怒号に圧倒され、気が付いた時には、警備員オリョールの一声で何もかも決まってしまった。
ソルニャーク隊長の命令で、拠点の幾つかの部屋に分かれ、武器の手入れと最終点検をする。
顔を上げると、北ザカート市の残骸が夕日に染まっていた。
ネーニア島西部、ネモラリス領南西端の街は、二月の開戦直後、アーテル軍の激しい空襲に晒され、巨大な墓場と化した。
湖岸沿いの国道は、ラクリマリス王国からの救援物資を運ぶ為、早い時期に瓦礫が撤去されたらしい。その後、北ザカート港に駐留したネモラリス軍が、港やその周辺を片付け、住民を喰らって力をつけた魔物や魔獣をある程度、駆除した。
少なくとも日中は、廃墟で訓練する間、瓦礫の隙間で雑妖は目にしても、魔物と遭遇しなかった。日没後に一歩外へ出れば、完全に破壊された瓦礫の山で、物理的にも危険だ。
ロークはこれまで、夕方になるとソルニャーク隊長たちと共にランテルナ島の拠点に引き揚げていた。
北ザカート市のこの拠点も、【巣懸ける懸巣】学派の術がまだ有効で、建物が守られて安全だ。所々同様の建物が残るが、魔力が尽きて雑妖の巣になった。力ある民のゲリラたちは、魔力を供給する為、夜間もここに留まる。
日中の訓練で疲れ切ったのか、移動が面倒なのか。あの日以来、武闘派ゲリラの荒くれたちは、ランテルナ島の拠点には来なかった。
毎日往復するのは、ローク、ソルニャーク隊長、少年兵モーフ、武器職人、呪符職人、警備員オリョール、比較的常識的で大人しいゲリラのクリューヴだ。レノ店長は今日、呪符職人に断られてランテルナ島の拠点に残された。
……店長さんは、あれでよかったかもな。
パン屋の姉妹を思うと、アクイロー基地襲撃作戦に長男のレノ店長を参加させるのは、酷だと思った。
ロークは、腕時計に目を遣った。
ガラス盤に亀裂が入ったが、まだ動く。針が七時前を指した。
八月の空は夕日に燃え、冬の焼け跡を再び焼いたように赤く染め上げる。ゲリラたちはそわそわと落ち着きなく、窓の外を見て日没を待った。
……準備、まだだったのにな。
情勢が変わり、基地襲撃作戦が二日も早まった。
タクティカルベストのポケットに詰めた手榴弾と呪符、【魔力の水晶】を確認する。ローク自身は力なき民だが、現地に着いたら【耐衝撃】の【護りのリボン】をもらえる予定だ。フェンスを越えた後は、忘れずに【不可視の盾】を発動させなければならない。
ロークに渡された武器は、アサルトライフル。みんなが持つ他の自動小銃より少し軽い。予備の弾丸カートリッジは、ひとつだけ渡された。フルオートで連射すれば、すぐなくなってしまう。
……【水晶】の魔力がなくなる前に作戦が終わればいいけどな。
生き残れる気がしない。いや、人間相手に引鉄を引ける気がしなかった。
ヴィユノークがくれた【魔除け】の護符と【魔力の水晶】を確め、首から提げる。少し考えて、Tシャツの襟の中に入れた。
「俺、魔力はあるけど、作用力がないから、【編む葦切】の職人になるんだ」
ヴィユノークとは仲がよかった。ロークの誕生日に試作品だからと、買えば高価な護符と【魔力の水晶】をくれたのだ。
魔力はあっても作用力がない為、自力で魔法を使えない彼は、力なき民でも使える魔法の道具を作りたいと言った。きっと二月の空襲で……いや、その数日前の星の道義勇軍のテロで、命を落としたかもしれない。
……みんなの仇を討つって決めたんだ。
服の上からヴィユノークの護符に触れる。
その為なら、自分の命など惜しくはなかった。
廃墟の拠点を出て、瓦礫を除けた広場へ向かう。振り向くと、遠く東の空に星が瞬き始めた。
「では、ここで【魔除け】の呪符を発動させてゆく」
「持続時間は……そうだな……大体、二時間くらいだ」
ソルニャーク隊長の指示で、みんな口々に呪文を唱え、呪符を発動させる。隊長と少年兵モーフは、オリョールとジャーニトルが発動させたものを受取り、真珠色の淡い光を放つ呪符をズボンのポケットに捻じ込んだ。
ロークと手を繋いだ力ある民のゲリラが、【跳躍】の呪文を唱える。
一瞬の浮遊感の後、目の前の瓦礫の山が消え、漣に建物の灯を映す水辺の風景に変わった。
アーテル領の大陸本土、ラングースト半島の北西部に位置するアクイロー基地のすぐ傍だ。
ロークは、ソルニャーク隊長の北部隊に入れられた。少年兵モーフは、警備員オリョールと共に正面から攻め込む陽動部隊、残りは黒髭の警備員パーリトルを隊長にした西部隊だ。
各部隊は十人ずつ。ロークは、ソルニャーク隊長の手振りでアサルトライフルの安全装置を解除した。姿勢を低くし、【幻術】で隠された金網の破れ目を目指す。
先日、ゲリラの一部が勝手な行動をとり、アーテル本土の警察署や他の基地を襲撃した。武器と弾薬を補充できたのはともかく、基地の警戒が厳しくなってしまった。
勿論、このグループの他にも、個人でアーテルを襲う復讐者は居るだろう。それでも、完全武装で基地を襲撃する集団の存在を知られたのは大きな痛手だ。
以前は、大した防具がなく、銃や手榴弾の使い方もロクに知らないまま闇雲に活動したが、今は違う。
ソルニャーク隊長と少年兵モーフの指導で、短期間とは言え、本格的な戦闘訓練を積み、武器の扱いを覚えた。
以前のロークはただの高校生で、銃の持ち方すら知らなかった。
武器の扱いの手解きと実践訓練を受け、アサルトライフルを携え、弾薬や手榴弾などを詰めた防弾仕様のタクティカルベストを身につけて、この場に臨む。
「ここだ」
先頭を行くジャーニトルの抑えた声で、部隊は足を止めた。
緑髪の警備員ジャーニトルが足下を手探りし、何かを掴む手つきで引き上げる。何もなかった地面から、ボロボロの古着が現れた。
数日前、魔法使いのゲリラたちが準備に訪れた。金網を破り、【幻術】で隠した目印だ。
警備員ジャーニトルは、足下の感触で探り当てた古着を金網に突き出した。遠い建物の灯を受けたシルエットが、金網を突き抜ける。よく見ると、突き抜けた部分の金網はシルエットではなく、昼と同じに色が見えた。色つきの金網の範囲は、大人が屈んで通れるくらいだ。
まず、ジャーニトルが穴を潜る。警備員の制服には様々な防禦の術が施され、魔装兵の鎧や軍服には及ばないまでも、ロークたちのタクティカルベストとは比べ物にならないくらい防禦力が高い。
湖の民の警備員が数歩離れて周囲を窺い、合図する。ソルニャーク隊長が続き、素早く金網の穴を潜る。重い装備を身につけたとは思えない身のこなしだ。
ロークも、アサルトライフルをどこかに引っ掛けることなく、基地の敷地以内に侵入できた。
「おい。【不可視の盾】使える奴は、今の内に掛けとけよ」
「先具 不可視の守を 此処に置く」
拠点では、忘れないようにしなければと思ったのに、着いた途端、忘れてしまった。ジャーニトルに言われ、ロークは慌てて呪文を唱えた。同じ呪文を呟く幾つもの声が、夜風に低く流れる。
ロークの左手袋はドーシチ市の薬師候補生がくれた【不可視の盾】の補助具だ。これと【魔力の水晶】があれば、力なき民のロークでも、この術が使える。ファーキルに呪文を教えてもらい、呪医セプテントリオーに訓練してもらった。危うく、何もかもが無駄になるところだ。
「……置盾其の名 “盾開け”」
慌てて唱えても、術は間違いなく発動した。共通語で設定した「盾開け」の合言葉で、見えない盾が一度だけ展開して、ロークを守ってくれる。
……中に入ったら、忘れないように展開しよう。
夜の基地にサイレンが響き渡る。ロークは身を竦め、基地の正面方向に顔を向けた。軍用車が何台もそちらへ向かい、建物からサーチライトの光が走る。
……モーフ君……ッ!
複数の爆発音が、アクイロー基地の北端にまで届いた。




