0455.正規軍の動き
「遅くなってすみませーん」
ファーキルの声と同時に魔法の道具屋“郭公の巣”の扉が開いた。
中学生の少年に続いて、呪医セプテントリオーも入って来る。さっきの店に居た湖の民の女性とラゾールニクも入り、狭い店内が人でいっぱいになる。
「俺のコトは気にしないでいいから」
ラゾールニクは扉を閉めると、その横の壁に背を預けた。後の三人が会釈して、空いた椅子に腰を降ろす。
中央の席に座った湖の民の女性が、ファーキルのものと似たようなタブレット端末をカウンターに置いた。
「あ、そうだ。クルィーロ君」
女性が喋ろうとした直前、ラゾールニクが割り込んだ。彼女はちょっとムッとしたが、緑の髪を掻き上げると、何も言わずに端末を操作した。
突然、名指しされて気マズいクルィーロは、何の用か訝りながら、ラゾールニクに顔を向け、首を傾げてみせた。
「妹さんたちに『二人共無事で、用が済んだら呪医たちと一緒に帰る』って伝えといたから、心配しなくていいよ」
クルィーロは、思いもよらない親切にぎこちなく礼を言った。
湖の民の女性が、タブレット端末をクロエーニィエ店長に向ける。
「アーテルの陸軍が動いたわ。目標はネーニア島。モースト市近郊、ツマーンの森の中」
「何ですって?」
クロエーニィエが野太い声を裏返らせ、カウンターに身を乗り出す。
女性の端末で、戦車部隊が南ヴィエートフィ大橋を渡る映像が流れる。大橋の向こうに島影が霞んで見えた。アーテル本土側から撮影されたものだ。警察官らしき制服姿の人々が、一般車両を規制して戦車を優先させる。
クルィーロは画面右上の表示に気付いた。赤い太字で共通語の「LIVE」とある。他のみんなも身を乗り出し、女性の端末に釘付けだ。
壁際に立つラゾールニクだけが動かず、そんなみんなを眺める。
「魔哮砲をみつけたんですって」
「何で……そんなとこに……?」
クルィーロは絶句した。
ネモラリス軍の新兵器……空襲後、ネーニア島西部の湖上に配備され、アーテル軍の戦闘機を悉く撃墜した。その威力と正確性のせいか、「魔法生物の兵器利用だ」といちゃもんを付けられ、国連の査察まで入った。曰くつきの兵器だ。
そんな物が何故、ネーニア島のラクリマリス王国領にあるのか。
クルィーロには全くワケがわからず、隣に座る湖の民の女性を見た。
「郭公の店長さん、島のみんなを集めたって戦車なんて止められないし、このまま通すけど、いいわよね」
質問ではなく、単なる確認だ。
魔法の道具屋“郭公の巣”の店内に重苦しい沈黙が降りる。
店主クロエーニィエは太い眉を寄せ、歯を食いしばって目を閉じた。苦悩に歪む面に脂汗が滲む。
長命人種の店主は、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代は騎士だった。戦車部隊の「通過」か「阻止」の選択の結果が、クルィーロよりずっと具体的に想像できるのだろう。
「……確かに、どっちに転んでも、ロクなコトになんないわね」
「でしょ? 島のみんなを守るには、黙って通すしかないのよ」
「でも、やっぱり……ランテルナ自治区が、星の標から反乱分子呼ばわりされてテロ攻撃受けるのなんて、いつものコトじゃない。だから、いつも通りに」
「今回は、爆弾を手作りしてるテロ組織じゃなくて、アーテルの正規軍が来るのよ」
湖の民の女性が、渋るクロエーニィエに言い聞かせる。元騎士は、元軍医のセプテントリオーに助けを求める目を向けた。
一番奥の席に座った呪医セプテントリオーは、緑の瞳で元騎士を見詰め、静かな声で事実を述べる。
「フィアールカさんの言う通りです。アーテル軍は、この三十年で飛躍的に軍事力を拡大しています。数カ月前には、ネモラリス軍の防空艦を一撃で沈めました。半世紀の内乱のようにはゆきません」
「ウソでしょ? 呪医……防空艦には何重も魔法防禦が」
「ミサイルと言う兵器を使ったそうです。同じ物を街に撃ち込まれれば、ひとたまりもないでしょう」
湖の民の女性フィアールカが、クルィーロの隣で何度も頷く。
「ラクリマリス領に戦車で乗り込んだら、戦争になりますよね? そしたら、近所の国は、ラクリマリスに加勢しますよね?」
クルィーロは、夜の河を徒歩で渡るような思いで聞いた。
ラクリマリス軍や周辺諸国の魔装兵なら、魔法で隠された別荘にも容易く侵入できる。戦争中、アーテル領内に居る者が見逃してもらえるとは思えなかった。
……こんなコトなら、もっと早くに【跳躍】を練習しときゃよかった。
練習したところで、帰る場所はどうせ焼け跡だと思い、後回しにしてしまった。胸の奥を後悔が焼き焦がす。
「アーテル軍がどんだけスゲー兵器持ってても、魔法じゃねぇんだ。戦車の連中が森のバケモンに食われて、戦争になる前に終わるんじゃねぇのか?」
「戦車でラクリマリス領に乗り込んだ事実は消えないでしょ」
「ホントにミサイルとか言うので防空艦を沈めたんなら、ラクリマリスの街だって危ないじゃない」
フィアールカとクロエーニィエは、メドヴェージの楽観的な言葉を理路整然と否定した。
クルィーロは、アーテル軍のミサイル所持に驚いた。
ネモラリス共和国には、まだ復興途上の地域が残る。アーテルが短期間で、最新鋭の兵器に予算を注ぎ込める水準まで復興したのがよくわからなかった。
ミサイルの射程は不明だが、北ザカート市沖に投錨した防空艦に届くなら、その手前のモールニヤ市やドーシチ市にも届く。親切にしてくれたラクリマリス人たちの顔が次々と浮かび、クルィーロは歯を食いしばった。
「ねぇ、坊やたち」
緑髪のフィアールカが、左右に座るファーキルとクルィーロを交互に見る。二人は何を言われるのかと身構えた。
「トラックを諦めるんなら、すぐにでもラクリマリスに【跳躍】してあげられるけど、どうする?」
「おいおい、それじゃ、その後すぐに野垂れ死ぬかもしんねぇんだぞ?」
トラック運転手のメドヴェージが、真っ先に反対する。それに、あのイベントトラックは借り物だ。ネモラリス国営放送に返さなければ、一生、火事場泥棒として後悔するだろう。
湖の民の女性フィアールカは鼻で笑った。
「そんなの、アーテルとラクリマリスの戦争に巻き込まれたら、一緒じゃない。今ならまだ、王都からネモラリス島行きの船便があるのよ」
「あ、あの……フィアールカさん」
湖の民の女性が、左隣のファーキルに顔を向ける。
「俺たちだけじゃ決められないんで、一回帰って、みんなと相談させて下さい」
「私は別にいいけど、ぐずぐずしてたら、船がなくなるかもしれないから、さっさと決めるのよ。ゲンティウスには私から言っとくから」
湖の民の魔女フィアールカとファーキルが同時に席を立つ。壁にもたれたラゾールニクが扉を開け、クルィーロたちも腰を上げた。
「どの途、今からじゃ間に合わないのよね」
クロエーニィエが両手で顔を覆ったが、クルィーロには掛ける言葉がみつからなかった。
☆ネーニア島西部の湖上に配備……「0154.【遠望】の術」「0157.新兵器の外観」参照
☆「魔法生物の兵器利用だ」といちゃもん……「0203.外国の報道は」「0241.未明の議場で」参照
☆国連の査察……「0248.継続か廃止か」「0269.失われた拠点」参照




