0453.役割それぞれ
鋭いホイッスルが、クブルム山脈の裾野に鳴り響く。
ややあって、泥に塗れ、汗だくになった人々が四十人、整地された広場に降りて来た。先に休憩した班が列に戻る。その分、人の列が山の方へ進んだ。
広場へ戻った人々は、首に巻いたタオルで汗を拭いながら、菓子屋の店名が入ったワゴン車の前に列を作った。
「緑のポプルスだ」
ラベルの色と名を告げられ、菓子屋の夫婦が、ワゴン車の傍の長机に並べた瓶から彼のものを探し出す。その間に、仕立屋の店長クフシーンカは小さな塩の塊、針子見習いのサロートカはドライフルーツをひとつ、順番待ちの人々の口に清潔な手で入れて回る。
「ポプルスさん、はい。ゆっくり休んで下さいね」
「おう、ありがとよ」
菓子屋の妻が、水を満たした瓶を笑顔で手渡す。受取った男性は、顔を綻ばせて木陰へ移動した。蝉の大合唱で耳が痛い。
長年放置され、埋もれてしまった山中の街道を掘り起こす事業だ。三百人余り集まった人々が役割分担する。
山へ入り、この三十年で道に生えた木々を伐り倒す係、根を掘る係、道を埋めた土を掘り返す係、道に積もった落ち葉や枯れ枝、腐葉土などを種類毎に袋詰めする係、その袋をバケツリレーの要領で順送りしてこの広場へ運ぶ係、集まった袋を軽トラに積む係……ここでは百八十人が、交代で休憩を挟みながら汗を流す。
銀行員の自家用車が、水を満たしたポリタンクや大瓶を満載して戻った。
菓子屋の夫婦とサロートカが受取り、老女クフシーンカは、空容器を銀行員の車に積んだ。
「怪我人や、熱中症で倒れた人は居ませんか?」
「有難う。お陰さまで大丈夫よ」
「それはよかったです。では、ご安全に」
負傷者や熱中症で倒れた者は教会に運ばれ、手当てを受ける。重症なら、団地地区の病院に搬送された。炎天下での慣れない作業だが、幸いなことに、四日目の今日まで死者は出ていない。
銀行員の車を見送ると、今度は漏斗を使って、個人用の瓶に水を移す作業に取り掛かる。
軽トラも、袋を山積みにしてシートとロープで固定すると、出発した。
土砂や腐葉土はシーニー緑地、伐採した木や枯れ枝は小学校と中学校で降ろす。
落ち葉や土は袋から出さず、草刈りして日当たりをよくしたシーニー緑地の斜面に並べ、害虫や熱に弱い菌などを蒸し殺す。この為に、クフシーンカが黒いゴミ袋を大量に用意したのだ。
フレコンバッグに詰めた枯れ枝は、学校に配置された人々が、持ち運びしやすい量を麻紐で束ね、冬を越す為の燃料として、空き教室に蓄える。伐採した木も、校庭で薪割りして片付けた。蔓草は余分な枝葉を千切り、育苗ポットの素材として別の袋に集める。
この広場とシーニー緑地で作業する人々に届ける為、団地地区の真水が出る井戸で水汲みする係も居た。
クブルム山脈の東端から西端へ古い街道が通る。
街道には石畳が敷かれ、十二枚に一枚は、呪文と呪印が刻んである。地脈の力と通行人の魔力を利用し、【魔除け】の術を発動させる大掛かりな仕掛けだ。
三十年前にリストヴァー自治区ができてからは、滅多に使う者がなく、放置された。落ち葉や枯れ枝が積もり、土砂に埋もれた道を掘り起こして清めるのだ。
予想以上の人数が集まった為、作業の報酬として渡せる食糧は一週間程度でなくなりそうだが、クフシーンカはそれでも充分に思えた。
冬越しの燃料、家庭菜園用の肥えた土が大量に集まり、僅かながら、雑妖などから守られる比較的安全な道が伸びた。木の実や薪を採りに行ける範囲が広がる。
冬までには、多くの集合住宅が完成するだろう。
……今年の冬は、凍えて亡くなる人や飢え死にする人が減るでしょうね。
冬の大火で自治区の東部バラック地帯は八割方焼失し、数えきれない死傷者と行方不明者を出した。針子のアミエーラの父も亡くなったようだ。
バラック地帯だった東教区は、失われた多くの生命と引換えに広く快適な街並を手に入れつつある。
人口が減り、外国のキルクルス教団体から支援が届き、以前よりずっと生活は楽になった。だが、それでも盗みなどの犯罪は減らない。肌着とタオル、毛布は全員に同じ物が行き渡ったにも関わらず、だ。
今、山道の清掃事業に携わる人々は、どちらかと言えば、盗むより盗まれる者の方が多い。
リストヴァー自治区の住民は、全員がキルクルス教徒だ。何故、同じ信仰を持つ同じような「持たざる者」から奪うのか。無論、団地地区や農村地区の住民から犯罪者が出ることもあるが、彼らは富める者から盗む。わざわざ、貧しく危険な東教区へ足を運んで、質の悪い物を盗んだりはしない。
……この違いは、何なのかしらね。
聖者キルクルス・ラクテウスは、知性ある者の振舞いとして、盗みや姦淫などを厳しく禁じる。
クフシーンカは、自分が居なくなった後の自治区の未来がどうなるか、余り考えないように努めた。もうすぐ居なくなる年寄りが、どんなに気を揉んでも、未来は良くも悪くもならないのだ。
……未来を作ってゆくのは、若い人たちなのよ。
せめて、その行く先が明るくなるよう、精一杯、道を作ろうとクフシーンカは決意を新たにした。
☆冬の大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆針子のアミエーラの父……「0054.自治区の災厄」「0059.仕立屋の店長」「0080.針子の取り分」参照




