0451.聖歌アレンジ
ラゾールニクが【跳躍】で去った後、少し空気が軽くなった。
強い魔獣が居ないとはいえ、メドヴェージは力なき民で、クルィーロには戦いの心得がない。アミエーラたちの不安が完全になくなる訳ではなかった。
……伝わったら、呪医たち、少し早めに切り上げて帰り途で捜してくれるかもしれない。
「あれっ? みんな、どうしたんだ?」
レノ店長が、魔法薬作りに使う部屋から出て来た。エランティスが説明すると、店長も少し表情を緩めた。
「で、お兄ちゃん、お薬できたの?」
「材料がなくなったから、俺の作業は終わり。アウェッラーナさんは、まだ続きの作業してるよ」
「ふーん」
エランティスは、兄のレノ店長にそれだけ聞いて黙った。
クルィーロとメドヴェージが薬草を持ち帰らなければ、明日からアウェッラーナはすることがなくなってしまう。
……ここのところずーっと働き詰めだし、休んでもらえてイイよね。
薬師アウェッラーナは、日中はずっと部屋に籠って魔法薬を作る。別の部屋でそれぞれ作業して、食事時以外は顔を合わさない。アウェッラーナは随分疲れたらしく、最近は食事時もぼんやりして、夜はすぐ寝てしまう。もう何日も殆ど会話がなかった。
クルィーロも魔法使いだが、使える術の系統が違うとかで、素材の下拵えしか手伝えないらしい。それで薬草採りに出掛けて、まだ戻らないのだ。
パン屋の兄妹は、さっき受け取った食料を仕分けに台所へ行った。
「お嬢ちゃん、ラジオでも聴いとこうや」
「……うん」
葬儀屋アゴーニに促され、アマナがラジオを置いてある部屋へついて行く。アミエーラも二人に続いた。
「何か楽しそうな歌番組でもやってねぇかな?」
葬儀屋アゴーニが、先月の新聞でラジオ欄を見ながら電源を入れた。
ネモラリス軍は防戦一方で、アーテル本土を攻撃しないとは言え、戦争中だ。土地勘のある者を中心に、痺れを切らしたネモラリス国民が【跳躍】でアーテル領に乗り込み、個人単位で都市部にゲリラ戦を仕掛ける。
そんな暢気な番組を放送するとは思えなかったが、アミエーラはこれ以上、アマナを不安にさせない為に何も言わないでおいた。
アゴーニが選局のツマミを回し、少し聴いては局を変える。やっと歌番組らしきものを探し当て、アマナに笑顔を向けた。
軽快なイントロに続いて女の子数人の歌声が流れる。アマナは、葬儀屋アゴーニの気遣いに弱々しい笑みを返した。
……あれっ? これって……聖歌?
ポップ調のアレンジだが、歌詞と旋律は、聖者キルクルスの叡智を讃えるキルクルス教の聖歌のままだ。歌詞で気付いたのか、アゴーニとアマナが微妙な表情で顔を見合わせた。
アミエーラも、リストヴァー自治区の教会で歌ったことがある。
原曲の荘厳な雰囲気が台無しだ。
所々聞き取れない部分は多分、共通語だろう。
「アーテルじゃ、こう言うのが流行ってるんですね」
「これって、キルクルス教のお歌?」
アマナが、思わず呟いたアミエーラに何とも言えない顔で聞く。
「そうみたいね。元はこんなお歌じゃないんだけど……随分、変えてあるわ」
「いいの? 魔法のお歌は、変えたら効き目なくなっちゃうのに」
「う~ん、わかんない。アーテルではいいのかもしれないけど、自治区ではこんな歌い方してなかったから、私もちょっとびっくりしたわ」
葬儀屋アゴーニが苦笑する。
「若いコは、こう言うのの方が好きそうだと思ったが、そうでもないのか? 教会のおエライさんや年寄り連中には怒られそうだけどよ」
アミエーラは、葬儀屋アゴーニの言葉に苦笑する他なかった。
開戦から……いや、自分が力ある民だと知ってから、聖者キルクルス・ラクテウスの無力を思い知ってから、キルクルス教への信仰心は枯れたと思っていた。
それでも信仰を捨てきれないのは、これまでの人生をすべて否定してしまうからだ、と思っていた。
……なんて世俗的で下品なアレンジなの。
ラジオから流れる少女たちの歌声を不快に思う。媚びた甘ったるい歌い方だ。舌足らずで幼く聞こえ、煽情的で男性は喜びそうだが、聖歌の歌詞にもキルクルス教が説く「知性」からも程遠い。キルクルス教国のアーテルで、公共の電波にこんな曲を乗せられることに嫌悪感さえ覚えた。
……私、まだ聖者様を信心してるの? どんなにお祈りしたって、ちっとも助けて下さらなかったのに?
アマナとアゴーニの会話が右から左へ抜けてゆく。
アミエーラは耳を塞ぎたくなったが、辛うじて堪えた。こんなことで二人を心配させたくない。
小さなアマナは、まだ戻らない兄クルィーロを案じる。アゴーニは、そんな小学生の女の子を元気付けようと、ラジオを点けてくれたのだ。
「次の曲は、ルフス在住の星っ娘命さん他、たくさんのみなさんからのリクエストで“聖なる星の標の導く先に”です。星っ娘命さんのメッセージ『僕の信仰心で、アルキオーネちゃんの迷いを晴らして、聖なる星の道のまんなかに戻してあげたいです』だそうです。ホントそうですよねー。私も祈っています。曲は瞬く星っ娘で、聖歌アレンジ“聖なる星の標の導く先に”……アルキオーネちゃんたちに届くように祈りを籠めてお聞き下さい」
DJが前奏に乗せ、やや芝居掛かった調子でリクエストを読み上げた。その声に続いて、先程と同じ少女たちの歌声が流れる。この曲も先程同様、眉を顰めたくなるようなアレンジが施されていた。
「あっ! ラゾールニクさん!」
アマナが窓に駆け寄る。アミエーラも窓辺に近付いた。葬儀屋アゴーニが窓を開け、庭園に声を掛ける。
「よぉ、兄ちゃん、早かったな。なんかあったのか?」
「連絡ついたよ。クルィーロさんとメドヴェージさんは、街に来てて、呪医たちと会ったって」
「えぇッ?」
三人の声が揃う。
「魔獣に追いかけられて車道に出たら、偶然通りかかったバスに拾われたんだってさ」
「お兄ちゃん、大丈夫? 怪我は?」
アマナの震える声に、ラゾールニクは笑顔で応えた。
「大丈夫だって。今、みんなお店で用事してて、終わったら、呪医が連れて帰ってくれるってさ」
「お兄ちゃ……よかっ」
アマナの声が安堵と喜びの涙で途切れる。アミエーラはアマナを抱きしめ、背中を軽く叩いてあやした。アマナはアミエーラの胸に顔を埋め、声を殺して泣く。
「兄ちゃん、何回もすまんな」
「ははっ。泣く程喜んでくれて、俺も嬉しいよ。じゃ、改めて行って来るから」
呪文を唱えたラゾールニクの姿が、隠された別荘の庭園から掻き消えた。
「嬢ちゃん、よかったな。呪医と一緒なら安心だ」
葬儀屋アゴーニの大きな手が、アマナの兄と同じ金髪をやさしく撫でた。
☆瞬く星っ娘……「0424.旧知との再会」「0430.大混乱の動画」参照
☆呪医たちと会った……「0447.元騎士の身体」参照
☆魔獣に追いかけられて車道に出た……「0444.森に舞う魔獣」「0445.予期せぬ訪問」参照




