0046.人心が荒れる
……これが、「旨いモン」って奴なのか。
少年兵は骨をしゃぶりながら、まだ夢でも見ているかのような心地で、ぼんやり考えた。
魚の骨を包み直し、脂の付いた指をしゃぶる。
腹の底があたたまり、単に飢えを満たした以上の充足感があった。
大人たちも「旨いモン」の余韻に浸るのか、誰も口を開かない。
モーフは、口の中に残った味を舌で追いかけた。次第に薄れて行く味を心に刻みつける。
……旨いモン……これが、旨いモン……俺たちに投げて寄越したってコトは、あいつらにとっちゃ、何でもないモンってコトなんだよなぁ。
先程、元トラック運転手に言われたことを思い出した。
「坊主、おめえ、旨いモン食ってみてぇとか何とか、夢はねぇのか」
夢にも思わず、想像もつかなかった旨い物が、思いがけず手に入った。
旨い物の味を知った。
……姉ちゃんと母ちゃんにも、食わせてやりてぇなぁ。
ぼんやり考えたが、もう自治区に帰って二人と再会できる望みはない。処刑されるか、収容所へ送られるか、ふたつにひとつだ。
……俺だけこんな旨いモン食っててどうすんだよ。
モーフは、自治区を良くする為にあの集会に参加した。
最初は、暮らしを楽にする活動だったような気がする。
例えば、仕事にあぶれた日に、空家を取り壊して廃材でプランターを作り、シーニー緑地から持って来た土を入れて、小さな菜園を作る手伝いをした。
モーフに指示を与えた大人は、近隣住民に雨水を貯めるように頼み、雨水だけを与えて育てた野菜は、水遣りに協力した者なら、誰でも食べていいと説明した。
その試みは、上手く行かなかった。
集会の参加者が思っていた以上に、人心が荒廃していたからだ。
葉物野菜は育たない内に食べられ、果実も青い内になくなった。
後は誰も水遣りをせず、乾燥に強い雑草以外は枯れてしまった。
雑草も、毒のない物は食べられてしまった。
それでも、「身近に草が生える場所ができて、緑地まで行かなくていいから助かる」と喜んでくれる住人が、少なからず居たことだけが救いになった。
毒草でも、そこにあれば夏の暑さを少しは和らげてくれる。
自治区のバラック街では、不用品など何ひとつなかった。
その活動と並行して、武器の調達や訓練も行うようになった。
どちらの活動も、自治区民の暮らしを良くすることが目的だ。
自治区民向きの活動は、自治区の外を知る者が中心になって指導した。
ソルニャーク隊長も、そうした指導者の一人だ。
子供の頃……半世紀の内乱が終わる少し前には、現在のゾーラタ区に住んでいたらしい。家は農家で、隊長も幼い頃から農作業の手伝いをしたと言う。
内戦の炎は農村地帯にも及び、畑は蹂躙された。その度に避難して、また耕して植える。その繰り返しだったらしい。
半世紀の内乱の終結後、隊長の家族は、苦労して手に入れた畑を手放して、リストヴァー自治区へ移住した。
平和な暮らしを望んだからだ。
農業技術者として自治区西部の開拓を指導し、緑地を整備して住民に解放した。
年々、畑の収穫量は増えたが、自治区の人口を支えるには遠く及ばなかった。
両親はその責任を問われ、自治区西部の住人から激しく糾弾された。「収穫物を独占し、隠し持っている」との疑いさえ掛けられた。
両親は倉庫を開放し、潔白を証明してみせたが、人々は納得しなかった。
八つ当たり目的の者が多かっただけなのかもしれない。
誰かに責任転嫁し、罵ることで自分を正当化することが目的なら、どんなに言葉を尽くして説明しても、理解や納得など得られる筈がなかった。
そして、ある夜。
両親は殺され、収穫物は全て奪われた。
隊長と弟たちは母に逃がされたが、弟は二人とも途中で捕まって殺された。
唯一人生き残った隊長はその時十六歳。
バラック地帯に身を隠し、工場で働いて暮すようになった。
西部の畑で自警団が組織され、野菜泥棒を容赦なく射殺するようになったのは、その事件の後からだ。
「食べ物が足りないから、人心が荒れるんだ」
モーフは、隊長がいつも口癖のように言う意味が、やっとわかった。
今、護送車内に囚われている星の道義勇兵は、満ち足りた顔をしている。多分、モーフもそうだろう。
痩せた鼠がご馳走で、それすらない日も多い。しょっぱいスープの具は、何だかよくわからない雑草や、野菜屑が大半だ。
専門知識や技術どころか、最低限の読み書きすら満足にできないモーフには、いつも仕事がある訳ではない。仕事があれば、工場でパンやちゃんとした種類の野菜を食べられる日もあった。
工場で与えられる食事も、ただ、飢えを満たす為だけの粗末な物だ。
モーフたち、下級の日雇い工員の口に入る「ちゃんとした種類の野菜」は、しなびたり、少し枯れたりした粗悪な物が多かった。
パンはカビが生える寸前の固く乾いた物ばかり。
モーフは自治区で生まれ育ち、外の生活を知らない。
年配の工員たちは、自治区外の暮らしを知っている。
寄ると触ると、「内戦中の方がマシだった」と愚痴をこぼしあう。
モーフは、あの愚痴の意味が、やっとわかった。
少なくとも、魚を獲る魔法を知っていれば、食うに困らない。
内戦中、魔法使いだけが魚を食べていたなら、あんな愚痴は出なかった。
……ひょっとして、内戦中も隣近所の連中は、魔力があろうがなかろうが、助け合ってたんじゃねぇのか?
現に今も、散々魔法使いを殺しまくった自分たちを「裁きに掛ける為」に保護している。
野に放たれれば、勿論、星の道義勇兵は、どんな手段を使ってでも武器を調達して、再び戦うだろう。だが、魔法使いたちも、あの事務長のように身内や友の復讐をするだろう。
昨夜は警官が結界を敷いて、魔物から守ってくれた。
誰も逃げないのは、そのせいもあるだろう。そして、あんな旨い物を無造作に投げ与えられた。
魔法使いの行動原理が憎悪に基づくなら、生ゴミを食べさせるくらいしたかもしれない。だが、与えられたのは焼き立ての魚だ。
……どう言うコトだよ?
星の道義勇軍の集会では、魔法使いを“悪しき業”を用いる邪悪な存在だと教えられた。モーフ自身も、自治区の状況から、会ったこともない魔法使いを邪悪だと信じて疑わなかった。
……旨いモン食わせて、手懐けようってハラか?
それも、理由としてしっくりこない。
武器がなければ、魔法使いの方がずっと強い。
さっきそこで暢気に歌った魔女も、不意打ちが失敗すれば、簡単にモーフの息の根を止められるだろう。
そもそも、捕えらた星の道義勇兵を殺したければ、何もしなければいい。
今夜、護送車の魔法を解けば、あっという間に魔物が食い尽くし、後には何も残らないだろう。そんなちっぽけな存在を、わざわざ餌付けしてまで手懐ける理由がわからなかった。
警官ですら、飲まず食わずだと言っていた。
焼魚は警官たちが配給されたものの残りだろう。
それでも、今の季節ならすぐに傷むことはない。
取っておいて、後で食べればいいようなものだ。
まだ温かい魚を、力なき民のキルクルス教徒である星の道義勇兵に分け与える理由は、モーフがどんなに考えてもわからなかった。
「隊長、あいつら、何で俺たちにあんな旨いモンくれたんスか?」
思い切って聞いてみた。
隊長が、隣に座る少年兵に少し驚いた顔を向ける。すぐに表情を緩めて答えた。
「彼らも、人間だと言うことだ」
モーフは、隊長の答えを頭の中で何度も反芻してみた。
よくわからなかったが、質問を重ねるのはどうかと思い、わかったような顔で頷いてみせる。
「今はわからなくても……生きていれば、その内わかる日が来るかも知れん」
隊長は、少年兵の心を見透かしたように言って、微笑んだ。
☆先程、元トラック運転手に言われたこと……「0043.ただ夢もなく」参照
☆さっきそこで暢気に歌った魔女……「0038.ついでに治療」参照
☆警官ですら、飲まず食わずだと言っていた……「0032.束の間の休息」参照




