0449.アーテル陸軍
湖の民の運び屋フィアールカが、タブレット端末にほっそりした指を走らせる。呪符屋と呪医セプテントリオー、ファーキルを緑の瞳で順に見て、静かな声で告げた。
「たった今、入った情報よ。アーテルの陸軍が、戦車部隊を派遣したわ」
「えっと……どこに?」
ファーキルの質問が震える。呪符屋の店主と、元軍医の呪医セプテントリオーに緊張が走った。
「ラクリマリス王国よ」
「は? 何でだよ?」
呪符屋が半笑いで聞く。
「行方不明になってた魔哮砲……アーテル軍が魔法生物だって言ってた例のアレが、モースト市の近くの森でみつかったんですって」
「だからって、戦車なんか出してどうすんだ? ホントに魔法生物ってんなら、そんなモンじゃ倒せねぇコトくらいわかンだろ」
「ラクリマリス王国にも、宣戦布告したのですか?」
「さぁ? まだみたいだけど、何か勝算があるから戦車出したんじゃない?」
ファーキルは、湖の民の長命人種三人が交わす言葉に呆然と耳を傾けた。
「勝ち目があるって? 冗談だろ? この辺でラクリマリスに喧嘩売っちゃ、他のフラクシヌス教国が黙っちゃあいねぇ」
「ラクリマリスに直接の戦力として加勢しなくても、アーテルとの輸出入を全部止めて兵糧攻めにされたら、本土の人たちはひとたまりもないわよねぇ」
「今すぐ、南の大橋を封鎖すれば、まだ、間に合うのではありませんか?」
呪医セプテントリオーが言うと、ランテルナ島民の二人は目を丸くして顔を見合わせた。
フィアールカが、からかうような調子で言う。
「呪医、もう忘れたの? 【飛翔する蜂角鷹】が建てた壁で、戦車の砲撃なんて防げるワケないでしょ?」
「一般の暴徒が相手で、バスや乗用車くらいだったら、先頭の何台か止めりゃ、後は楽勝だが、戦車砲を何発も喰らわされたんじゃ、それだけで効力が切れちまうぞ」
島民二人の言葉で、呪医セプテントリオーは項垂れるように頷いた。
……ミサイルでもダメだったのに、戦車でどうする気なんだ?
ファーキルにはアーテル軍がヤケクソになったとしか思えなかった。
当たり前のことだが、ラクリマリス王国は、戦闘機の領空通過を許可しない。戦車部隊をネーニア島に上陸させれば、理由が何であれ、ラクリマリスも参戦するだろう。
北ヴィエートフィ大橋の守備隊は、魔獣の群にやられたが、後任の部隊は配置された筈だ。
それに、力なき民だけで編成されたアーテル軍では、実体のない魔物には対抗できない。ツマーンの森で魔哮砲を捜すなど自殺行為に等しい。
湖の民の長命人種三人は、キルクルス教徒の陣営が半世紀の内乱中、力ある民相手にどんな戦い方をしたか、イヤな思い出を語り合う。
「また、毒ガスなどの化学兵器を使う気なのでしょうか?」
「さぁな? 標的がネーニア島に居るから、この島は通過するだけってんなら、何もしないで通した方が、死人は少なくて済みそうだぞ?」
「それに、自分たちが攻撃されれるワケでもないのに、ラクリマリスを守る為にわざわざ危険を冒す人が、どれだけ居るかしらね?」
「ですが、ラクリマリス軍が反撃した場合、最も近いアーテル領はこの島です。早晩、戦闘に巻き込まれるのに変わりないと思いますが」
呪医の言う通りだと思い、ファーキルは小さく同意を示した。
フィアールカが、とんでもないと言いたげに首を振る。
「アーテル軍を止めようとして、押し切られたら、どうなるかわかってる?」
「島民全部が力を合わせたって、持久戦に持ち込まれりゃ、勝ち目はねぇ」
ランテルナ島民全員が、アーテル軍を食い止めることに同意するとも思えない。いや、何の利益にもならないのに、道義の為だけに命懸けで戦う者は稀だろう。
ファーキルも、もし、自分がランテルナ島民だったら、と考えると、アーテル軍相手に余計な波風を立てたいとは思えなかった。
最悪、ランテルナ島が、アーテル軍の空襲の対象になり兼ねない。ラクリマリス軍には敵地として攻め入られ、アーテル軍からは裏切り者……いや、元々“悪しき業”を使う邪悪な者を押し込めた島だ。ここぞとばかりに攻撃されるだろう。
……ランテルナ島民がラクリマリスを庇ったって、いいコトなさそうだよな。
後で、ランテルナ島がラクリマリス王国領になるとの保証でもあれば、命を懸けて戦う者も居るかもしれないが、何もなしで動く者が居るとは思えない。
「えーっと、アーテル軍って、力なき民しか居ないんですよね?」
「ん? あぁ。坊主、気になるか?」
「それだったら、ツマーンの森で、魔物とかに食べられて、ラクリマリス軍と戦う前に全滅とか」
中学生のファーキルが口を挟むと、呪符屋の店主は苦笑した。
「あいつらでも、魔獣なら、ある程度は何とかなる。実体があって、弾が当たるからな。魔物の群と出くわしゃ別だが、街の近くなら定期的に駆除されてんだろ」
「それでは当分、外へ薬草などを採りに行くのは控えた方がいいでしょうね」
呪医セプテントリオーが、ファーキルに諦めた目を向ける。
クルィーロたちはさっき、魔獣に襲われて命からがら、車道に飛び出したと言った。また、みんなの帰郷が遠のくが、島を通過するアーテル軍にみつかるのは得策ではない。
ソルニャーク隊長たちが頼りだが、作戦が決まってからは訓練がより本格的になり、採取の時間が減ったらしい。
アクイロー基地襲撃作戦の決行まで、あと数日だ。武闘派ゲリラたちが、採取を拒んだかもしれなかった。
☆アーテル軍が魔法生物だって言ってた……「0239.間接的な報道」「0269.失われた拠点」参照
☆ミサイルでもダメだった……「0274.失われた兵器」「0340.魔哮砲の確認」参照
☆毒ガスなどの化学兵器を使う……「0359.歴史の教科書」参照




