0447.元騎士の身体
おっさんは、【護りのリボン】で会計を済ますと、入り組んだ通路をさっさと歩き、竜胆の看板が目印の呪符屋に案内してくれた。
ファーキルが言った通り、扉に掛けられた竜胆の看板は、溜め息が出るくらい精緻な彫刻だ。女装のおっさんは遠慮なく開け、声を掛けながら入る。
「ゲンティウス、お客さん連れて来たわよー」
「あれっ? 二人共……」
「どうされました?」
カウンター席でファーキルと呪医セプテントリオーが、目を丸くする。狭い店内の奥へ入り、おっさんが戸口に向き直った。
「あら、呪医たち、お知り合い?」
「知り合いと申しましょうか……我々と共同生活を送っている方です」
呪医セプテントリオーの微妙な説明に、クルィーロとファーキル、メドヴェージが同時に頷く。
メドヴェージが、森で魔獣に襲われ、命からがら逃げ出した件を説明した。
先客の湖の民の女性が、タブレット端末から顔を上げ、興味津々で耳を傾ける。店主らしき湖の民の男性も、作業を中断して奥から店に出て来た。
女装のおっさんに昼食を奢ってもらったところまで説明すると、呪医セプテントリオーはやっと表情を緩めた。
「ご無事でなによりです。ファーキル君の情報収集が終わるまで、我々はここに居ますが、どうされますか?」
「あんまり大勢で居ると、商売の邪魔にならぁな」
メドヴェージが、呪符屋の店主に問い掛けるような顔を向ける。店主は肩を竦めただけで何も言わなかった。
「じゃあ、私のお店に来ない? マントのデザインをスケッチさせて欲しいの」
「我々も彼の店を知っています。後で合流しましょう」
呪医の一声で決まり、クルィーロたちは呪符屋を後にした。
……えーっと、この人が、呪医の知り合いで、昔、騎士だった職人さん?
少女趣味なワンピースを身に纏ったおっさんについて歩きながら、クルィーロは何とも言えない気持ちになった。
ファーキルが、自分たち移動販売店プラエテルミッサの状況をどこまで説明したのかわからない。クルィーロは、余計なことを言わないように気を引き締めて、魔法の道具屋「郭公の巣」の扉を潜った。
天井まで届く棚が、年季の入った一枚板のカウンターの向こうで、どっしり構える。さっきの呪符屋より、客用のスペースは広いが、カウンターから壁までは、クルィーロが両腕を広げたくらいの幅だ。
女装のおっさんが、カウンターの奥へ引っ込む。
「ちょっと待ってね。すぐ仕度するから」
メドヴェージが、カウンターの前に並んだ背の高い椅子に、よっこいせ、と腰を降ろした。
棚には、抽斗と小さな扉が付いていて、売り物が全くわからない。壁には各種防護の呪文や呪印が刻まれているが、商品の一覧や広告の類はひとつもなかった。
……どうやって商売してんだ?
クルィーロは店内を見回して首を傾げたが、さっき定食屋の制服を作ったと言っていたのを思い出し、受注生産なのだろう、と自分を納得させた。
「お待たせー」
おっさんはパステルグリーンのエプロンドレスに着替え、スケッチブックと筆記具を持って現れた。
相変わらず女装な辺りにどう反応していいかわからず、クルィーロは曖昧な表情で会釈した。
「申し遅れましたけど、私、クロエーニィエ。魔法のカワイイ物屋さん“郭公の巣”の店長よ。よろしくね」
「メドヴェージだ。この店のこたぁ、坊主からちょくちょく聞いてる」
「あら、そうなの」
「これ、ここで売ってもらったっつってたぞ? 物騒なモンも扱ってんだな?」
メドヴェージが、腰に吊るした魔法の短剣をポンと叩く。
「あぁ、それは特別よ。坊やがどうしてもって言うから、昔、私が使ってたのをあげたのよ」
「えっ?」
「あら、聞いてない? 火の雄牛の角を採らなきゃいけないから、どうしても戦う力が欲しいって、聞かないから」
「そうだったんですか。有難うございます」
クルィーロは、ファーキルの熱意に驚き、折れてくれた元騎士のクロエーニィエに頭を下げた。
女装のおっさんクロエーニィエが、厳つい顔に苦笑を浮かべる。
「そんな……いいのよ。お礼なら、坊やと呪医にいっぱい言ってもらったから。あのコ、ウェブマネーはたくさん持ってるみたいだから、その辺のお店でちゃちな武器買って、大変なコトになってもイヤだし」
「あぁ、こいつぁ確かにイイ剣だな。この兄ちゃんに魔力籠めてもらったら、俺でも鮮紅の飛蛇を斬れたぞ」
「あら、あなた強いのねぇ」
「多少の心得はあるけどよ、力なき民だかんな。強えぇって程じゃねぇ。羽片っぽぶった斬っただけで、倒せなかったしよ」
メドヴェージが、先程の顛末を簡潔に語った。クロエーニィエは、カウンターに身を乗り出して聞き入り、顔を曇らせる。クルィーロは奥歯を噛みしめ、ぎゅっと目を閉じた。
……俺が、もっとちゃんと戦えれば。
「そうだったの。逃げ切れてよかったわ」
クロエーニィエの声に瞼を上げる。少女趣味なエプロンドレスを着ていても、その身体の逞しさは隠しきれない。
旧ラキュス・ラクリマリス王国の共和制移行に伴って騎士団が解体され、近代的な軍隊に再編されてから百八十年以上経つ。呪医セプテントリオーと同じ時期に辞めたのだろうが、筋トレなどは続けているらしい。
服の趣味と体格の落差にクルィーロは複雑な目を向けた。
……ガチで魔物や魔獣と戦うんなら、力ある民でも、これだけ鍛えなきゃダメってコトだよな。
魔法の武器さえあれば戦えるとは思っていなかったが、クルィーロは自分の弱さを改めて思い知らされ、苦いものが込み上げた。
「さて、お兄さん、立ちっ放しで申し訳ないけど、マントを見せていただいていいかしら?」
クルィーロはカウンター正面の壁際に立ち、両手でマントを広げ、クロエーニィエに背を向けた。
☆森で魔獣に襲われて命からがら逃げ出した件……「444.森に舞う魔獣」参照
☆魔法の短剣……「443.正答なき問い」参照




