0445.予期せぬ訪問
路線バスが街の門をくぐる。
南ヴィエートフィ大橋の白い支柱が間近に見え、その連なる先に大陸本土……アーテル共和国の街並が灰色の影絵となって霞む。
バスのロータリーに幾つもある屋根付き停留所のひとつで、エンジンが停まった。
「ホントに何もなしじゃ、俺らの気が済まねぇんだ」
「そうかい? そんなに言うなら、有難く頂戴するよ。命を大事にするんだぞ」
「はい。有難うございました。それ、気持ちを落ち着かせるお茶です」
「ははっ。そのようだな。効果覿面だ」
メドヴェージが香草茶の袋を手渡し、二人は閑散としたバス停に降りた。
街の中心部へ続くらしい大通りを何となく歩く。バス停から充分離れた所で、メドヴェージが口を開いた。
「さて、どうやって帰るかな?」
まだ昼前だが、あの距離を歩いて帰ったのでは、流石に日が暮れてしまう。あの様子では、湖と森に挟まれた道路には、結界がないか、あっても不充分らしい。夕暮れ時に魔獣や魔物と鉢合わせすれば、今度こそ命はないだろう。
「今日、呪医とファーキル君、この街に来てるんですよね?」
「そう言やそうだったな。坊主の行きつけの店に行きゃ何とかなるか?」
店の特徴などは聞いたが、店名は知らない。案内板を探しながら通りを歩く。
カルダフストヴォー市は、古い建物がゼルノー市よりもたくさん残っていた。色とりどりのタイルが低いビルの外壁を覆う。程良く古びた街並は、華やかだが落ち着いた雰囲気だ。よく見ると、どの建物にも【魔除け】【耐震】【耐火】【頑強】などの術が組込んである。
通行人の多くは、真夏にしては厚着だ。夏服姿は思いの外少ない。力ある民なら【魔除け】【耐暑】【耐寒】などの呪文や呪印が刺繍や染織で施された衣服が、着る者を守るからだ。
道行く人々の中に緑髪を見付け、クルィーロは複雑な気持ちになった。
……ここ、ホントにアーテルの魔法使い隔離ゾーンなんだな。
老婦人シルヴァから、ランテルナ島民の大半がキルクルス教徒ではないと聞いたが、実際に湖の民を目の当たりにすると、彼らの境遇に同情を禁じ得ない。湖の民の大部分は、女神パニセア・ユニ・フローラの信者だ。普段の祈りを捧げるのは、湖が対象だからいいだろうが、人生の節目の儀式や祭などはどうするのか。
しばらく歩いたが、案内板は見当たらず、先にチェルノクニージニクに降りる階段がみつかった。いつもの店は地下街にあると聞いたので、取敢えず降りてみる。
「ひゃ~、涼しいな、こりゃ。生き返ったぞ」
メドヴェージが、満面の笑みで周囲を見回す。魔法で暑さから守られないから、汗だくだ。
クルィーロも、レンガ敷きの通路に視線を巡らせた。壁・床・天井。全てに様々な呪文が記され、ちょっとした要塞のようだ。
肉や魚の焼ける香ばしい匂いや香辛料が入り混じり、二人の腹が同時に鳴った。
「この草で食わしてくれる店がありゃいいけどよ」
メドヴェージが蔓草や薬草が詰まった袋を揺する。昼食までに戻るつもりだったから、二人共、食べ物を持ってこなかった。
食べられる草も摘んであるから、最悪、今夜は地下街の通路で眠って、明日の早朝に出発すれば、日のある内に森の拠点へ帰れるだろう。
……アマナたち、心配してるだろうな。
ファーキルに聞いた看板を探しながら、商品や看板で狭くなった通路を歩く。美味そうな匂いがだんだん濃くなって地下街に満ちる。
「シルヴァさんの家はどうでしょう?」
クルィーロが空腹感を紛らわそうと、メドヴェージに話し掛ける。トラック運転手は、通路の上に突き出た看板を見上げて歩いていたが、足を止めて首を横に振った。
「ありゃ婆さんちじゃなくて、寝たきりの爺さんちって言ってなかったか?」
「あっ」
「爺さんの呼称や所番地どころか、街のどの辺に住んでるかもわかんねぇ」
「そうでしたね……やっぱり、お店を探す方が確実ですね」
広大な地下街のどこか不明だが、少なくとも、業種と看板の特徴がわかるだけマシだ。
呪符屋は、湖の民の男性が店主で、トラックを容れられる【無尽袋】を取り寄せてくれる。ファーキルは、精緻な竜胆の木彫りが看板だと言った。
魔法の道具屋は、看板に因んで「郭公の巣」と呼ばれる。
蔓草細工を【護りのリボン】などと交換してくれた。店主は、力ある陸の民の男性で黒髪の長命人種。呪医セプテントリオーの昔の知り合いで、旧ラキュス・ラクリマリス王国の騎士だったらしい。店主は少女趣味の服を着るらしいが、クルィーロには想像がつかなかった。
記憶の限り情報を頭の中で並べながら、竜胆と鳥の巣の看板を探して歩く。
飲食店、八百屋、魚屋、肉屋、香辛料専門店、薬屋、薬素材専門店、自転車屋、鞄屋、靴屋、服屋、宝飾店、魔法の道具屋、食器屋、レコード屋、玩具屋、本屋、武器屋、防具屋、占い屋、医院、マッサージ店、理髪店……あらゆる業種が通路の両脇を埋め、そこを訪れる人々が行き交い、地上の街カルダフストヴォー市より賑う。
ファーキルの話通り、様々な店が犇めき、玩具箱をひっくり返したような地下街は、見ていて飽きない。
物販系の店は、新品の店と中古を扱う店が混在する。
アーテル領内だけあって、中古の家電製品やパソコン、部品や工具などを売る店も目立つ。こんな状況でなければ、クルィーロはそれらの店に一日中でも入り浸りたいくらいだ。
……魔法使いを隔離する用の島ったって、アーテル領だけあって、パソコンとかはネモラリスのよりずっと性能いいんだな。
バルバツム連邦製パソコンの最新機種が、既に中古屋の店頭で雑な値札を付けられ、無造作に陳列される。開戦前に雑誌で見たものだ。あこがれの機種が目の前にある。
アーテルの通貨で代金を明示する店もあれば、「物々交換、応相談」としか書かない店もある。
……香草の残りをお茶にすれば、昼飯代くらいにならないかな?
「メドヴェージさん、ちょっといいですか?」
定休日でシャッターが下りた店の前で足を止め、クルィーロは思いつきを説明した。メドヴェージはふたつ返事で賛成し、水筒の蓋を開けて持ってくれる。
クルィーロは、メドヴェージの袋から香草がいっぱいに詰まったビニール袋を出し、【操水】の術で水を抜いた。外の暑さでしんなりした香草が、カサカサに乾いて嵩を減らす。でき上がった茶葉は、元の五分の一くらいだ。
溜め息混じりで、香草茶の袋をメドヴェージに返した。
……こんなちょっとで、二人分の食事になるのかな?
「お兄さん、ちょっといいかしら?」
野太い声と同時に肩を叩かれ、クルィーロはギョッとして振り向いた。
☆シルヴァさんの家……「0331.返事を待つ間」参照




