0443.正答なき問い
クルィーロは、メドヴェージと共にランテルナ島の森を行く。
それぞれ、素材集め用の袋を担ぎ、手には護身用の武器を握る。クルィーロは対魔物用の呪符【魔滅符】、メドヴェージは刃渡り五十センチばかりの短剣だ。どちらもファーキルが、この島の地下街で手に入れてくれた。
「まさか、蔓草細工がこんなモンにまで換わるたぁ思ってなかったぞ」
短剣を受け取った時、メドヴェージは半ば呆れ、目を丸くして苦笑した。トラックの運転手は、そこら辺のありふれた蔓草で帽子や買物籠を拵えたのだ。
ファーキルが、魔法の道具屋「郭公の巣」で交換してもらった短剣は、革を金属で補強した鞘に収まる。旧ラキュス・ラクリマリス王国時代には、王国軍の制式装備だったらしい。
この両刃の剣には【錆止め】と【頑強】の術が施され、刃毀れし難い。手入れの手間が少なくて済む上、実体を持たない雑妖や魔物にも【魔滅】の術で“当たる”。
術を発動させるには魔力が必要だが、メドヴェージは力なき民だ。クルィーロが代わりに柄を握って魔力を籠める。鞘を払った刀身に真珠色の光が宿った。
拠点を出てすぐの薮で形の定かでない靄が蠢いた。雑妖だ。夏の強い日差しでできた濃い影が、雑妖を日射しから守る。
「おりゃ!」
メドヴェージが斬りつける。刃が触れた途端、何の手応えもなく霧消した。続けて、別の木陰に蹲る雑妖に斬りつける。真珠色の光を失った刃が汚らしい靄を素通りした。
クルィーロの魔力では、常時発動する【錆止め】などで消費され、攻撃一回分にしかならないらしい。
「兄ちゃん、スゲーじゃねぇか。いや、大したもんだ」
トラック運転手のおっさんは、屈託のない笑顔を魔法使いの工員クルィーロに向けた。メドヴェージはキルクルス教徒だが、クルィーロたちに気を遣わせまいと、魔法の短剣に抵抗がないような顔をする。
クルィーロは複雑な思いで引き攣った笑顔を返した。頭の中で呪符を発動させる呪文をおさらいしながら歩く。
……そりゃまぁ、雑妖を倒せただけでも嬉しいし、助かるけどさ……でも。
これが、どの程度の魔物まで効くかわからない。雑妖を一回、斬っただけで効力が切れるのだ。一撃で倒せなければ、やられてしまう。
キルクルス教徒のメドヴェージは、この際、仕方がないと諦めたのだろう。敢えて喜んでみせ、クルィーロとファーキルを安心させようとしてくれた。
クルィーロは、その気遣いが申し訳なく、胸の奥が痛んだ。
星の道義勇軍では、白兵戦の訓練もあったらしい。
メドヴェージは多勢に無勢でも、あの運河で暴漢相手に善戦したとレノから聞いた。しかも、片腕を骨折した状態でありながら、だ。
「戦いの心得があるから、俺に任せとけ」
メドヴェージ自身もそう言って、短剣を引き受けてくれたが、それで彼の信仰を踏みにじる罪悪感が、消えてなくなるワケではなかった。
だからと言って、武術や剣術の心得が全くないクルィーロが短剣を持っても、イザという時、戦えるとは思えない。
幾つもの術で隠された拠点の近くの森は、蔓草や薬草を殆ど採り尽くしてしまった。ファーキルが見せてくれた地図を参考に、一度車道へ出て、少し南の森へ足を踏み入れる。
今日は昼食時には帰るつもりで、水しか持って来ていない。薬師アウェッラーナが念の為、と傷薬を少し持たせてくれた。
二人は蔓草、傷薬になる薬草や虫綿、食べられる草などを集める。メドヴェージが採るのは主に蔓草だ。効率はよくないが、一人が採る間、もう一人は周囲を警戒し、魔物や不審者に備えた。
……まぁ、不審者って言えば、俺たちも充分そうなんだよな。
クルィーロは、レノに教わった食べられる草を摘み取り、ビニール袋に入れた。
思わず、小さな溜め息が漏れる。ファーキルが【無尽袋】の対価として、仲介してくれる店に要求された素材の一覧には、火の雄牛の角もあった。
……つまり、この島のどっかに居るってコトだよな。
あの拠点は結界で守られている。イザとなれば、走って逃げ込めば助かるが、ここからではそうもゆかない。
クルィーロは、薬師アウェッラーナが譲ってくれた魔法のマントで暑さや雑妖などからある程度は守られるが、メドヴェージには防具がない。
クルィーロは、安全な場所から離れる恐ろしさを改めて思った。
……キルクルス教徒じゃなきゃ、【魔除け】の呪符を持たせてあげられるのに。
ファーキルが街で手に入れた呪符は、メドヴェージが作った蔓草細工と交換したものだ。本来なら彼こそが、呪符を持つに相応しいが、信仰の壁に阻まれて渡せなかった。
……信仰のせいで身を守れないって、おかしくないか? 何のための宗教だよ。
キルクルス教徒の彼らと行動を共にするようになってから、もう何度目になるかわからない問いを心の中で呟いた。クルィーロだけでなく他のみんなも、口に出して直接聞いたことがなく、キルクルス教徒の彼らが実際、どう思うかわからない。
メドヴェージはまだ信仰心が薄い方なのだろう。自主的に魔法の短剣を使う。本当は内心忌々しいかもしれないが、真意は不明だ。
……剣がいいなら、呪符もいいと思うんだけどなぁ。
何が違うのか、呪符は断られた。幾ら考えても答えの出ない問いが頭の中を繰り返す。薬草などを摘む作業は機械的に進むが、二人の間に会話はなかった。
「危ねぇッ!」
メドヴェージの緊迫した叫びにギョッとして身が竦んだ。
☆あの運河で暴漢相手に善戦……「0083.敵となるもの」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆魔法のマント……「0283.トラック出発」参照




