0442.未来に続く道
リストヴァー自治区の南には、クブルム山脈が連なる。
ラクリマリス王国との国境で、魔物が多く棲息する天然の障壁だ。半世紀の内乱以前は、力ある民の樵や狩人などが入り、山の恵みを得てきた。
内乱後、この地がキルクルス教徒の自治区となってからは、全くの手つかずだ。毎年、冬になると、貧しい人々は薪を求めて山裾へ行く。裾野の森でさえ、雑妖や魔物が多く、生きて帰れない者が後を絶たなかった。
今日、リストヴァー自治区東部の貧しい人々は、教会の傍に集まった。手に手に黒いゴミ袋やフレコンバッグ、鎌、鍬、スコップなどを携える。農具類は、西部の農村地帯から借りた物、袋類は、仕立屋の店長クフシーンカが家財の大部分と引き換えに得た物だ。
早朝のまだ涼しい風が、空き地に整列した人々の間を吹き抜ける。
「私が昔、フリザンテーマから聞いた話では、大丈夫な山道には、敷石があるそうです」
クフシーンカは、集まった人々を前に声を張り上げた。
「まず、道とその近くの枯れ枝を拾って、フレコンバッグに入れて下さい。袋がいっぱいになったら、バケツリレーの要領で街へ送って下さい」
「車が入れるとこまで来たら、ウチの軽トラに積んでくれ」
農家の亭主が、首に巻いたタオルで汗を拭きながら言い添えた。クフシーンカの弟ラクエウス議員の支持者だ。軽トラだけでなく、農具も貸してくれた。
「薪がたくさん集まれば、冬の死者を減らせます」
クフシーンカの声に、集まった人々の表情が少し和らいだ。
別の農夫が、斧を掲げて言う。
「道に生えた木は、俺が伐り倒す。みんなは根を掘り起こしてくれ。根っこも後で薪にする」
「敷石の上に溜まった土や落葉は、ゴミ袋に詰めて、枝と同じように軽トラまで送って下さい」
クフシーンカの説明に人々が頷いた。鍬とスコップの数は少ないが、他は枝集めとバケツリレー要員、掘り出す作業の交代要員だ。魔物や雑妖だけでなく、暑さとも戦わねばならない。
「山のよく肥えた土は、後でシーニー緑地に撒きます。回収後、緑地と集合住宅の間に塀ができるまでは、袋から出さず、日当たりのいい所へ置いて下さい」
「何でだい?」
参加者から質問が飛んだ。クフシーンカの傍らで、針子見習いの少女サロートカも首を傾げる。
仕立屋の老婆に代わって、農家の亭主が声を張り上げた。
「そのまんま撒いたら、土に居る虫や病原菌も緑地にばら撒いちまうからだ。黒い袋に詰めて、日当たりのいいとこで蒸し焼きにするんだ。わかったか?」
幾人もの声がそれに応じ、その何倍もの人々が大きく頷いてみせた。
この夏の暑さは、熱中症で人を損なうだけではない。
腐葉土などがあれば、家庭菜園の収穫を増やせる。将来の暮らしを助ける味方にもなってくれるのだ。
この作業を手伝えば、堅パンがもらえると聞きつけて来た者も多いが、目先の食糧ではなく、来年以降の収穫の為に自治区の未来をよくしたいとの志を持つ人々も集まった。
当初は教会の庭で説明する予定だったが、予想以上に人が集まり、近くの空き地に場所を移した。ざっと見渡したところ、三百人以上は居るだろうか。
……報酬の堅パンを渡せる日数は減るけど、これだけ居れば、作業が捗るでしょうから、同じコトね。
山に埋もれた道の敷石には【魔除け】の呪文と印が刻まれ、通行人の魔力で効力を発揮する、とカリンドゥラから聞いた。クフシーンカと司祭は、それを「地脈の力だ」と偽り、人々を納得させた。
安全な道を発掘できれば、山へ薪や食糧を採りに行けるのだ。異を唱える者は一人も居ない。
「皆様の道を聖者の叡智が照らし、護り給いますよう。日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
司祭が祈りの言葉を唱え、説明会を締め括った。
農具を手にした男たちが、軽トラ三台の荷台に分乗し、山道へ出発する。
クフシーンカは、先導する菓子屋のワゴン車に乗り込んだ。菓子屋の亭主が運転し、助手席のクフシーンカが案内する。後部席には、菓子屋の妻と針子見習いのサロートカが乗り、熱中症対策の水と塩、ドライフルーツの配布をする手筈だ。
車列には、新聞屋と銀行員の自家用車も、作業者たちへの給水係として加わる。
サロートカが恐る恐る聞く。
「店長さん、私、ホントに薪拾いとか手伝わなくていいんですか?」
「力仕事する人たちが、熱中症で倒れないようにするのも大切な役目なのよ」
クフシーンカは振り向いて、気弱な少女に笑顔で言った。
「でも……」
「汚れた手で水や食べ物を触ったら、病気になるかもしれないからね。みんなの生命を守る重要な役目だから、胸を張って堂々とやんなさい」
「……はい」
サロートカはやっと納得したのか、力強く頷いた。
自治区の南東部は、間に横たわる車道が防火帯となり、冬の大火を免れた。延焼しなかったバラック小屋も、仮設住宅と鉄筋コンクリートの集合住宅の建設が進んだ今は、立ち退きが進む。
仮設住宅も、数年以内に木造モルタルや鉄筋コンクリートのきちんとした集合住宅に順次、建て替えられる予定だ。
高齢のクフシーンカは、その前に寿命が尽きるだろうが、少なくとも、その数年の過渡期に人々の暮らしを守れるよう、力を尽くすつもりで居る。
……私が明日死んだとしても、みんなで救済事業を回せるように手配したもの。大丈夫よ。
山道の清掃事業は、冬を越す燃料確保と食料増産体制を整える狙いがある。
リストヴァー自治区東部の低地は、塩害が酷く、地面に直接、種子を播いてもロクに育たない。育苗ポットとプランター、それを置く台を作る作業など、この後も大火で焼け出された人々を支える事業は続く。
救済事業の報酬は、基本的に僅かな食糧と、作った物の現物支給だ。
職にあぶれた人々は、それで何とか糊口を凌いで、工場や商店など、就労場所の再建を待つ。
バラック地帯を抜け、山裾との緩衝地帯として設けられた草地に車を停めた。
近隣住民が草を刈り込み、雑妖の発生を抑えてくれる。街から伸びる道の先は、古い石畳の道に繋がり、山へと続く。
軽トラの荷台に乗った男性たちが、校庭の半分くらいの草地に降り立った。クフシーンカも菓子屋のワゴン車を降り、彼らに道を示す。
「これがその安全な道の目印です。この敷石を動かさないように注意して、薪拾いと土の回収をお願いします」
「この模様のある石だな。わかった」
「軽トラはここで待ってる。先に薪拾って、袋に詰めて、持って来てくれよな」
「道具持ってる兄さんたちゃ、埋まってる道を掘り起こして、土を詰めてくれ」
農家の亭主と斧を持った農夫が改めて言った。
「まずは、あっちの木が生えてるとこだ。みんな、行くぞ!」
農夫が斧を掲げてみんなを先導する。道具を掲げ、男性たちがおぉっと応じる。十数人が一団となって山裾の雑木林へと足を進めた。
☆大丈夫な山道には、敷石がある……「0099.山中の魔除け」「0100.慣れない山道」参照。
☆クフシーンカと司祭は、それを「地脈の力だ」と偽り……「0419.次の救済事業」「0420.道を清めよう」参照。




