0434.矛盾と閉塞感
ファーキルはソファに浅く腰掛け、ラゾールニクのタブレット端末に厳しい視線を注ぐ。ローテーブルに置かれた端末の表示は、アルトン・ガザ大陸の地図だ。
バンクシア共和国にはキルクルス教の聖地があり、信仰の中心地として栄える。科学文明を支え、発展させる叡智の集う大学が、数えきれないくらいあった。
「大学は一応、ルフス大学で、そこから一年……まぁ、長くて三年くらいはバンクシアのどこかの大学へ留学だな」
ファーキルの父は、中学生の息子の成績表を見て、勝手な願望をさも当然のように語った。首都名を冠した大学は、アーテル共和国内最難関の狭き門だ。
父は、ファーキルが何に興味を持って将来どんな職に就く為、何を学びたがっているかなど無関心だ。周囲に自慢でき、将来高給取りになれる出世コースで、自分たちの老後の安定の為にファーキルの人生を利用することしか頭にない。
ファーキルは、地図から父の言葉を思い出し、表情を険しくした。
金髪の魔法使いラゾールニクは、情報ゲリラだけあって、キルクルス教圏の現状を実によく調べ上げている。
「溢れる情報の何がホントかわかんないし、情報機器を使った監視は厳しいし、それを使ったいじめとかもあってストレス満載だけど、教会は何もしてくれない。親より上の世代は、信仰の件でハナシが通じないから相談し難い。わかりやすい答えをくれるヘンな新興宗教に引っ掛かったり、科学の逆ってコトで魔術に傾倒したりして……まぁ、色んな理由でこっそりキルクルス教にそっぽを向いてるコが多いんだ」
ファーキルは自分のことを言われたようでギョッとしたが、努めて平静を装い、地図から目を離さなかった。
ラゾールニクの言う通り、魔術に傾倒するキルクルス教圏の若者は、ファーキルだけではない。
違法ツールでアーテル政府の検閲と規制を突破し、ファーキルが飛び込んだ自由な情報空間には、キルクルス教の信仰や、固定化された価値観への反発が溢れていた。
ニュースサイトに氾濫する事件の記事とそれに対する様々な意見、かつてキルクルス教圏の国々から植民地支配されたアルトン・ガザ大陸の国々の社会問題、旧宗主国への怨嗟の声、多文化共生を謳いながら異教の文化を認めず、グローバル化を推し進める二重規範への指摘と批難……
異教への改宗や、魔術への傾倒、各地のキルクルス教会へのテロや多文化共生を求めるデモ、個人レベルのささやかな抵抗として日曜礼拝への不参加……実際の行動は様々だが、キルクルス教社会は閉塞感と、それを打ち破ろうとする幾つもの魂がふつふつと滾っていた。
……ラゾールニクさんの言う通りだ。
教会の建物や夏祭の踊りだけでなく、その他様々な所に魔術を取り入れる。そんな二重規範は、バンクシア共和国に限ったことではなかった。
国連常任理事国のバルバツム連邦は、建前上、信仰と表現の自由を連邦の憲法に明記するが、実質的にはキルクルス教国だ。
国教がキルクルス教以外の国の人々には、査証取得に様々な条件を課すが、アーテル共和国などキルクルス教国の者は査証自体が不要だ。
異教徒に課される煩雑な入国審査も、手続きに掛かる費用や時間も、単にキルクルス教を国教と定める国の民であると言うだけで免除される。
これを「異教徒への差別」と呼ばないなら、何と呼べばいいのか。
「バンクシアやバルバツムじゃ、事件の犯人が異教徒だったら、殊更にその部分を強調して報道するんだ。それが、バカみたいな詐欺や、お菓子一個盗んだだけのしょっぱい事件でもさ」
「異教徒の評判を下げる為の偏向報道ですか?」
「流石、呪医、察しがよくて助かるよ。キルクルス教徒が学校で銃を乱射して子供たちを大勢殺しても、『キルクルス教徒が子供を無差別に殺しました』なんて言わない」
ラゾールニクと呪医セプテントリオーの話を半分聞き流しながら、ファーキルは自分の考えに浸った。
イグニカーンス市の実家に居た頃、そんなニュースは毎日のように接した。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオ……ニュースサイトも、アーテル共和国のメディアはいつも、外国のニュースをそんな風に報じ、人々に異教徒への悪印象を植え付ける。それが、力ある民の犯行なら尚更だ。魔術を使った犯罪が、如何に卑劣で残虐かを強調して、繰り返し報道した。
一方で、犯人がキルクルス教徒の場合は、「無原罪の迷える魂が過ちを犯してしまいました。罪を憎んでも、過ちを犯した者を憎んではなりません。迷える魂が正しき星の道へ戻れるよう、祈りましょう」などとアナウンサーが呼び掛ける。
事件の規模が大きく、被害者の数が多ければ多い程、その呼び掛けが増え、被害者に泣き寝入りを強要した。
殺された被害者や、大切な人を奪われ、悲嘆に暮れる人々の心と権利は土足で踏み躙られ、人前で悲しみの涙を流すことさえ許されない空気があった。
「そんないつまでも泣いて、責めてはなりません」
「過ちを犯した無原罪の魂を怨んではいけません」
「憎しみを捨て、罪と過ちに許しを与えるのです」
「愛を示すことによってあなたの魂も救われます」
キルクルス教の聖職者や敬虔な信者は、亡くなった者の魂の平安は祈ってくれるが、同じ口からそんな言葉を吐いて、被害者に泣くことさえ許さず、加害者の権利を手厚く擁護する。
被害者や遺族に対する補償は世俗の政府が、精神的な手当ては医療機関や世俗寄りの慈善団体が担った。
ファーキルのいじめの件にしてもそうだが、キルクルス教社会は、どこの国でもそんな感じらしい。バンクシア人やバルバツム人が多く集うインターネット上の交流掲示板では、ちょっとムカついた件の愚痴からこのままでは生命に関わる深刻な相談まで、現実社会では口に出せない不満が溢れ返った。
☆植民地支配……「0370.時代の空気が」参照
☆ファーキルのいじめの件……「163.暇潰しの戯れ」「164.世間の空気感」「165.固定イメージ」「166.寄る辺ない身」参照。




