0432.人集めの仕組
夏の終わりを告げる虫の声が、森から微かに届き、書斎の静寂を揺すった。
「魔獣が居ると言うコトは、アルトン・ガザ大陸にもある程度、魔力が残っているのですよ」
呪医セプテントリオーが答えを口にする。
ファーキルはもう一度、グラフの表題「事故による死者・負傷者数の推移(交通事故及び魔物・魔獣による咬傷)」を見て頷いた。
「科学文明国には力なき民が多くて、その大半が半視力だ。実体のない魔物が居ても、視えないから逃げられないし、何が起こってるのかワケわかんない状態で食われてんだよな」
諜報員ラゾールニクがタブレット端末の表面を撫で、アルトン・ガザ大陸の地図を表示させた。
南北に連なるアルトン・ガザ大陸の北部には科学文明国、南部には両輪の国が多い。中央付近の高地にあるディアファナンテ王国だけが、純粋な魔法文明国だ。
「大昔の三界の魔物との戦いで、大陸北部の魔力が減ったってコトに嘘はないんだろうけど、無原罪の力なき民しか居ないってのは、眉唾モンだ」
「そうでしょうね。キルクルス教国で魔力があると知られれば、火炙りにされかねません」
力なき民の少年が、魔法使い二人の言葉に怯えた目を向ける。
「それだけじゃない。バンクシアじゃ、霊視力があるってだけでも疎んじられ、蔑まれるんだ」
「視えるコトさえ言い出せない社会では、魔物から身を守る発想自体なさそうですね」
呪医セプテントリオーが先程のグラフを思い起こし、遠く離れたアルトン・ガザ大陸の想像を口にする。諜報員ラゾールニクは皮肉な笑みを口の端に浮かべ、画面に指を走らせた。
「呪医は、キルクルス教の教会って、ちゃんと見たことある?」
「いえ……それが何か?」
フラクシヌス教徒の中でも湖の女神派は、神殿より「女神の涙」と伝えられるラキュス湖に祈りを捧げることが多い。
冠婚葬祭以外で、湖の女神パニセア・ユニ・フローラ神殿へ足を運ぶ信者は少なく、齢四百を越える長命人種の呪医セプテントリオーも、数える程しか参拝したことがなかった。
セプテントリオーたち湖の民は、ほぼ全員が魔法使いだ。
緑の髪は遠目にもよく目立ち、魔術を“悪しき業”と断ずるキルクルス教の教会に近付くだけでも、先方にイヤな顔をされる。
「これ、キルクルス教の教会。バンクシアの大聖堂」
タブレット端末に荘厳で重厚な装飾を施された巨大な建造物が映し出された。
ラゾールニクが、画面を二本指で摘まむように弾く。写真の一部が拡大表示された。白い石材に聖職者や動植物の精緻な彫刻や、星々の運行などを表す幾何学的な紋様が刻んである。
諜報員ラゾールニクが指で弾くと、彫刻の一部が更に拡大された。
人物の衣服にも細かな模様が彫られ、彩色はないが、細かな線に埃が詰まって黒ずんで見える。
ラゾールニクの指が画面を走る。同じ彫刻の写真だが、より鮮明なものに切替った。
「これは」
呪医セプテントリオーは我が目を疑った。ファーキルが画面を食い入るように凝視する。
諜報員ラゾールニクがとぼけた声で質問した。
「呪医、今度は何を見つけたんだい?」
すぐには答えられず、動揺を鎮めようと深呼吸を繰り返した。
端末から上げたファーキルの眼が不安に揺れ、向かいに座る湖の民の呪医を見詰める。
……そんなバカな。
湖の民セプテントリオーは念の為もう一度、端末の画像に視線を戻した。やはり同じ写真だ。力なき民の少年に聞かせる説明が震えた。
「装飾に紛れて、【巣懸ける懸巣】学派の【魔除け】の紋様が刻まれています」
「えぇッ? でも……これって」
力なき民のファーキルが、呪医と画面を見比べ、声を上ずらせた。
「ここに限らず、キルクルス教の伝統を守って建てられた教会は、全部こんな感じだ。魔物に襲われたら、教会に助けを求めるってのが、キルクルス教徒の常識らしい」
「教会を訪れる信者に無自覚な“力ある民”が居れば、建物に施された【魔除け】が発動するからですね」
……この隠された拠点と同じ仕組み……魔法文明圏ではごく普通の建築様式が、キルクルス教の文化では極秘事項なのか。
呪医が半ば呆れて言い添えると、諜報員ラゾールニクは画面に触れ、日付の一覧を表示させた。
「毎週日曜に礼拝があって、祭日やちょっとした行事は全部合わせて一年の三分の一くらいある。悩み事の相談や貧しい人への施しで、まぁ毎日、誰かしら教会に来るようになってるんだよ」
表示された一覧には、キルクルス教の祭と行事の日付がびっしり羅列される。毎月、聖者キルクルスの叡智と奇跡を讃える行事があり、月の半ばには聖人に列せられた人々に関する行事が集中する。
「より多くの人を、なるべく毎日、教会に集める仕組なのですね」
「そう言うコト。察しがよくて助かるよ。もうひとつ、面白い動画があるんだけど、それはちょっと長過ぎるからダウンロードしてない」
「何の動画なんですか?」
質問するファーキルの声に不安と好奇心が混じる。
「見たけりゃ、夏祭の日に教会へ行ってみるといい」
二人は、何が可笑しいのかと半笑いのラゾールニクに訝る目を向けた。
☆半視力……「0370.時代の空気が」「0394.ツマーンの森」参照




