0044.自治区の生活
アウェッラーナは、護送車から漏れ聞こえる声に足が震えた。
今すぐ【跳躍】で港へ跳び、家族の船がどうなったか確めたい。なのに、動けなかった。
捕縛されたテロリストの中に、さっき癒した子供たちと同年代の少年が居る。
自治区外の暮らしが彼らの生活を圧迫していたなどと、夢にも思わなかった。
彼ら、力なき民の信仰を守る為、魔術を一切排除した特別区……それが、リストヴァー自治区だと思っていた。信仰の違いで再び対立しないように、平和の為に作られた街だと信じて疑わなかった。
……ちょっと考えればわかるのに、どうして今まで大丈夫だと思ってたの?
空が暗くなった気がした。顔を上げる。今日も雲ひとつない晴天だ。
魔力を持たない者だけで、どこでどうして夜を過ごすのか。
普通に考えれば、【魔除け】【結界】【簡易結界】【退魔】など、魔物などから身を守る魔法がなくては、一晩を生き延びることさえ叶わない。
たとえ、それらの呪符を手に入れても、力ある言葉で呪文を唱えられなければ、呪符に籠められた魔力を解放し、術の効力を発現させられない。
キルクルス教は、魔術を旧時代の悪しき業として排除する。
彼らが呪符を入手することも、況してや、呪文を唱えることもないだろう。
それが、邪悪な存在から身を守る為であったとしても。
何らかの手段で夜を生き延びられても、水の問題がある。
クブルム山脈の銅山の影響で、自治区とその西隣のピスチャーニク区の土地は銅を多く含む。
ラキュス湖は塩湖だ。
……ひょっとして、自治区の井戸って、そのままじゃ飲めない?
湖の民と違い、陸の民が銅を大量に摂取すれば、病気になってしまう。極微量でも、毎日摂取すれば、体内に蓄積して悪影響が出る。
考え始めると、自治区の問題点が次々浮かび上がった。
……塩抜きって、機械でもできるの? 銅は? 病気って、魔法薬じゃなくても治せるの?
魔物を防ぐ手立てがなければ、湖に出られない。魚は食べられないだろう。
食糧事情もその分、悪い筈だ。
「そんなの知らねぇ」
「旨いモンなんか食ったコトねぇよ」
少年兵の言葉から、自治区の暮らしを想像してみたが、美味しい物の味を知らない生活は、アウェッラーナがどんなに考えてみても、わからなかった。
半世紀の内乱時代でも、漁師のアウェッラーナの一族が食うに困ることはなかった。時には父や兄が【鳥撃ち】で水鳥を落として食べたこともある。
そうして手に入れた食糧は、近所の人たちと分けあった。
他の人たちも、各自が修めた術や、手に入れた情報を基に食糧を調達し、交換しあって、栄養が偏らないように気を付けた。
アウェッラーナは戦火の中でも、焼け跡の瓦礫の中でも、ひもじい思いをした記憶がない。
塩をまぶして焼いた魚は、とてもおいしかった。
平和になったこの時代に、あの時よりも酷い暮らしを送る人々が居る。しかも、その原因は、自分たちの「普通の暮らし」なのだ。
「薬師さん……どうされました?」
「あ、いえ、大丈夫です。あの、運河は、大丈夫なんですか?」
警察官に心配そうに声を掛けられ、アウェッラーナは自分の考えから脱した。警官がチラリと北を見遣って答える。
「今のところは通行可能ですが、あまり湖には近付かないほうが……」
「ありがとうございます。あの、この人たちのごはんって……」
声を潜めて質問する。
警官は手振りで護送車から離れるように指示し、自分も離れた。
「ない袖は振れません。それに、物流もほぼ止まりましたから、入ってくれば、取り残された住民を優先せざるを得ません」
「……そう、ですよね」
「被害の大きい三区は間もなく完全に封鎖します。テロリストは、まぁ……移送先が決まれば、そこで何か与えられるでしょう」
警官の声に蔑みの色があった。
彼も、家族を殺されたのかも知れない。
それはアウェッラーナも同じだが、彼らを蔑む気にはなれなかった。
勿論、憎む気持ちもある。憎悪と憐憫が綯い交ぜになり、アウェッラーナ自身にも、よくわからない気持ちが湧き上がった。
「……そうですか。でも、鉄鋼公園で家族と待ち合わせしている人も、いるみたいなんです。運河はまだ、封鎖されませんよね?」
「我々では、何とも……」
末端の警官が、申し訳なさそうに首を振る。
アウェッラーナは礼を言い、【跳躍】した。
職場のアガート病院だ。




