0429.諜報員に託す
「そんなコトが」
呪医セプテントリオーは言葉を失い、諜報員ラゾールニクをまじまじと見た。
久し振りにランテルナ島の拠点を訪れた金髪の若者は、新聞の切抜きが散らばるローテーブルを挟んで向かいのソファに身を預ける。
諜報ゲリラは、露草色の瞳で湖の民セプテントリオーの緑の瞳を見詰め返した。
書斎には二人の他、誰も居ない。
いつも情報の整理を手伝ってくれるファーキルは、別室で武闘派ゲリラの作戦会議に参加し、インターネットで集めたアーテル軍の情報を提供中だ。
「姿を隠していた両輪の軸党のアサコール党首と、リストヴァー自治区代表のラクエウス議員、それに、両輪の軸党だけじゃなくて他の政党も、行方不明の国会議員はみんな、魔哮砲の使用に反対して、議員宿舎に軟禁されてたんだよ」
諜報員ラゾールニクは、先程と同じ説明を繰り返した。
呪医セプテントリオーの頭に言葉の意味がじわりと染み込む。ネモラリス共和国を巡る状況の異常性に背筋を冷たいものが走った。
「うん、まぁ、あれだ。ネモラリス政府は、偽ニュースで情報操作して国民と外国を欺いてるんだ」
「では何故、自力で脱出した議員たちは、すぐに真実を発表しなかったのでしょう?」
「それなりに準備しないと、外国の偉い人に信じてもらえないし、口封じに消されてから情報を歪められたら、それこそ取り返しがつかなくなるからさ。それに」
「彼らも魔哮砲が魔法生物であることを伏せておきたいから、ですね?」
「呪医、察しがよくて助かるよ。ま、イザとなったら発表するけど、今はまだ、その時じゃないんだろうね」
アサコール党首とラクエウス議員が、アミトスチグマ王国の難民キャンプを非公式に視察したニュースは、先日、地下街チェルノクニージニクを訪れた際、ファーキルの端末で見せてもらったばかりだ。
「ところで、あのタブレット持ってる坊や、どうしてる?」
「ファーキル君のことですか? 彼は」
躊躇いに言葉が途切れる。ラゾールニクが小さく首を傾げ、呪医の目を覗き込んだ。
……彼らは、私の説得には耳を傾けない。ならば、他の手を借りることも止むを得んか。
呪医セプテントリオーはオリョールたちの説得を諦め、ラゾールニクたちに託すと決めて口を開いた。
「彼は今、作戦会議で情報提供しています。武闘派ゲリラの次の攻撃目標は、アクイロー基地です」
「呪医、随分、俺を買ってくれてるんだな」
諜報員ラゾールニクが、皮肉な笑みに唇を歪めた。
「あなた方の目指すところが“平和”なら、彼らを止めてくれるでしょうから」
「いいのかい、そんなコト言って。逆恨みされるかもよ? 裏切り者って」
「裏切るも何も、私はずっと一貫して、彼らに攻撃をやめるよう、言い続けています」
呪医セプテントリオーの眼が陸の民の若者を観察する。
諜報員ラゾールニク……いや、彼の属する“武力以外の方法で戦争を終わらせたい集団”は、その先に何を望むのか。少なくともラゾールニクは、特定の思想や信仰の為に動くのではなさそうだ。武力を用いないなら、その行動原理は憎悪や復讐によるものではないだろう。
彼らは直接説得する以外、どんな方法で武闘派ゲリラを止めるのか。
……ゲリラが攻撃するに任せ、利用するかもしれんが、致し方あるまい。
「貴重な情報提供、有難うございます」
諜報員ラゾールニクが大仰な仕草で頭を下げた。上げた面は笑いを含む。遠慮がちなノックの音にその笑みが消えた。
「呪医、いいですか?」
「どうぞ」
呪医セプテントリオーが短く応じる。書斎の戸を開けたファーキルは、呪医の向かいに座る者に気付いて固まった。諜報員ラゾールニクが、明るい笑顔で端に寄りながらソファを叩く。
「丁度よかった。ここここ、ここ来て」
ファーキルの助けを求める目が湖の民の呪医に向けられる。
「あちらのお話はもう終わったのですか?」
「いえ、あの……充電切れたんで、俺だけ」
「そうですか。お疲れ様です。ラゾールニクさんがあなたにご用だそうですよ」
「えっ……? 俺……?」
ファーキルは、戸惑った顔で戸口から動かない。することがなくなったので、セプテントリオーの手伝いをするつもりで来たのだろう。太陽光発電の小型充電器に繋いだタブレット端末を持つ。
「取敢えず、それを日当たりのいい所へ、どうぞ」
呪医セプテントリオーが促すと、ようやく書斎に足を踏み入れた。端末を窓辺に置き、振り向いた少年の眼が、警戒心も露わに諜報員ラゾールニクを見詰める。
……以前は割と普通に話していたのに、どう言う心境の変化だ?
呪医セプテントリオーが怪訝に思い、声を掛けあぐねていると、ラゾールニクは軽い調子で用件を告げた。
「ちょっと十代のコの感想を聞きたいだけなんだ。この動画、見てくれる?」
「動画……ですか?」
何だそんなコトかと表情を緩め、ファーキルは先客の隣に腰を降ろした。諜報員が素早く端末を操作してローテーブルに置く。
「君、“瞬く星っ娘”って言うアイドルグループ、知ってる?」
「アイドル……?」
ファーキルがラゾールニクの端末から目を上げ、記憶を手繰る。呪医セプテントリオーには何のことやらわからず、成り行きを見守った。
「アーテルの歌手だよ。湖南語と共通語を混ぜた歌詞で歌うから、外国にもファンが多いよ」
「歌手のグループ」
「うん。それで、このコたちがこの間、急に引退宣言して、アーテルじゃちょっとした騒ぎになってる」
「あぁ、そのニュースなら見ましたよ。戦争中に何のんきなコトって、びっくりしました」
ファーキルの呆れた声にラゾールニクが乾いた笑いを上げ、動画を再生させた。
「これ、その引退宣言の動画なんだ。アーテル人の中にも君と同じコト言ってる人が居るよ」
ファーキルは一瞬、表情を硬くしたが、何も言わず、タブレット端末の動画に目を向けた。
☆難民キャンプを非公式に視察したニュース……「415.非公式の視察」参照
☆そのニュースなら見ましたよ……「0415.非公式の視察」参照。




