0426.歴史を伝える
呪符屋の店主に【護りのリボン】を渡し、【魔滅符】と交換してもらう。
ファーキルは、タブレット端末とビニール袋に入った緑色のパンをカウンターに並べた。
「あの、それから、パンで払うんで充電させてもらっていいですか?」
「緑青パンはさっき食った。普通のはねぇのか?」
「あ、いえ、違うんです。これ、タンポポの葉っぱで緑色なんです」
「タンポポだと?」
呪符屋の店主は、少し千切ってしげしげ眺め、口に放り込んだ。じっくり味わって、もう一口。半分くらい食べてやっと感想を述べる。
「美味ぇじゃねぇか。坊主が拵えたのか?」
「いえ、ちゃんとしたパン職人さん……店長さんです」
「どんな人脈だよ。まぁいい。……フィアールカ、ちょっとそこ代わってやれ」
「そんなに美味しいの? 私にも一口ちょうだい」
ファーキルは、呪符屋の店主がイヤそうにパンを引っ込めたのを見て、運び屋に声を掛けた。
「えっと……一個丸ごとをここの現金で交換しますよ」
「お金なんて、どうするの?」
運び屋フィアールカが怪訝な顔をする。
「バス代が欲しいんです。いつも呪医の都合がつくとは限らないんで」
「私は特に」
呪医セプテントリオーは途中で気付いて言葉を呑んだ。武闘派ゲリラが本格的に作戦を始めれば、多数の死傷者が出る。
フィアールカがバッグの中を探しながら聞いた。
「わかったわ。この島のバス、どこから乗り降りしても均一料金だから、一往復分でいいわね?」
「はい、有難うございます」
フィアールカがバッグから年代物の革財布を出した。博物館にあるような何百年も前の品に見える。古びた巾着の口を広げて摘まみ出したのは、現代の硬貨だ。
カウンターに銀色の硬貨を四枚並べ、「アーテルのことを何も知らないラクリマリス人の少年」に詳しく説明する。
「一回分の運賃は、一人分がこの硬貨で二枚。往復四枚ね。おカネの払い方とかは運転手に聞いて」
「はい。何から何まで有難うございます」
「それと、大橋のバスターミナルには、イグニカーンス市行きの便もあるから、間違って乗っちゃダメよ」
ファーキルは、フィアールカが自分の嘘に話を合わせてくれることに感謝し、呪医セプテントリオーに聞かせる為に質問した。
「どうやって見分けるんですか?」
「バスに書いてあるわ。運転席の上。それと、バス停が別で、行き先を書いた看板があるから、その前で待ってればいいのよ」
「お前、バスの乗り方まで知ってんのか。大したもんだ」
呪符屋の店主が感心する。
「商売柄、知ってた方がいいでしょ。でも、実際、乗ったコトはないわ」
フィアールカは、タンポポのパンをハンカチで包んでバッグに仕舞いながら鼻で笑った。そのままファーキルと場所を代わる。
ファーキルは、魔女のぬくもりが残るカウンター奥の席に座り、充電プラグをコンセントに挿した。タブレット端末に充電ランプが点るのを確認し、ホッと息を吐く。周辺国視点で半世紀の内乱を記録したサイトを検索した。
呪医は店主と世間話を始め、運び屋はさっきの続きでタブレット端末をいじる。ファーキルは、検索結果に表示されたサイトをざっと見て、過去に見た所を次々とブックマークした。
……翻訳の許可をもらえたら、訳すの手伝ってくれる人を募集しよう。
報酬は、動画の広告収入が入ってからだ。電子化された教科書の分だけ残して、翻訳者に支払うと決め、教科書代を確認する。
出版社ではなく、大手通販サイトで見ると、定価の二割引から半額程度だった。取敢えず、「真実を探す旅人」名義でアカウントを取得。欲しい物リストに小学校各学年の「社会」、中学校「歴史」、高校「現代社会」「近代史」の教科書を入れた。
調べ物が一段落すると、休む間もなくテキストエディタを起動し、文章を綴る。
「みんなに知って欲しいこと」
アーテル共和国が今年の二月、ネモラリス共和国に対して、一方的に宣戦布告して戦争が続いています。
元々、ラクリマリス王国、ネモラリス共和国、アーテル共和国は、ラキュス・ラクリマリス共和国と言うひとつの国でした。
それ以前のラキュス・ラクリマリス王国は、何千年も続いていました。
共和制になってから百年くらいで、半世紀の内乱が起きて、三カ国に分かれて独立しました。
長命人種の人たちは、人種や信仰、民族、魔力の有無に関係なく、普通に近所付き合いしていたラキュス・ラクリマリス王国時代を覚えています。
戦争を終わらせて、再び良き隣人に戻るには、相互理解が欠かせません。
でも、半世紀の内乱の当事国は、それぞれの主観に基づいて内乱の歴史を伝え、それが新たな憎悪と紛争の火種になっています。
周辺国が伝える客観的な史実が、多くの人に伝わるように、これを読んだ皆さんにも知っていただけましたら、幸いです。
まず湖南語で書き、辞書を引きながら共通語に訳す。二時間くらい掛けてやっと訳し終え、二カ国語文をひとつの記事にまとめる。先程ブックマークした歴史サイトへのリンクを末尾に追加して、公開した。
リンクした歴史サイトは全て、ファーキルが実家で閲覧したものばかりだ。リンクの確認ついでに各サイトを開き、それぞれのサイトの管理者に翻訳の許可を求めるメールも送った。
一仕事終えてふと顔を上げると、いつの間にか別の客が来ていた。
背の高い陸の民の男性客だ。
「毎度。これ、いつもの奴だ」
店主が手渡した呪符の束を確認し、男性はすぐに出て行った。
翻訳に夢中で気付かなかったが、運び屋フィアールカの姿がない。呪医セプテントリオーが気付いて微笑んだ。
「終わりましたか? お疲れ様です」
「あ、いえ、こちらこそ、お待たせしてすみません。後は返事待ちなんで、また今度」
「いえ、私たちも有意義な情報交換ができましたから、お気になさらず」
長居したことの謝意を伝えると、店主は笑って、気にせずまた来るよう言った。
呪符屋を出て、地下街チェルノクニージニクの通路を歩きながら、呪医セプテントリオーに聞く。
「何の話してたんですか?」
「最近の話です。内乱が終わってからのネモラリスと、ランテルナ島の」
三十年くらいの話を「最近」の一言でまとめられ、生まれてからその半分くらいしか経たないファーキルは、何とも言えない気持ちになった。
「この三十年で、どのくらい変わったんですか?」
「そうですね……この島は、強制移住で住人がかなり入れ替わったそうですよ」
元々居た力なき民のキルクルス教徒は自ら本土へ移住し、本土の湖の民、力ある陸の民、力なき民のフラクシヌス教徒は、ランテルナ島へ移住させられた。それ以前に、ネモラリスとラクリマリスの身内や友人知人を頼り、アーテル領から脱出した者も多い。
ネモラリス共和国が、自国領のキルクルス教徒をリストヴァー自治区に押し込めた政策となんら変わりないが、こちらは魔法が使える分、暮らしは自治区のキルクルス教徒のように劣悪ではない。
地上への階段を昇ると、既に日が傾きかけていた。
「ランテルナ島の人たちは、この戦争、どう思ってるんでしょう?」
「島民の総意はわかりませんが、呪符屋さんは、この島が巻き込まれないなら、これまで通り、放っておいて欲しいと言っていましたよ」
「そう……ですよね」
ランテルナ島民の力があれば、ネモラリス軍の魔装兵に対抗し、アーテル軍の戦闘機でも防空網を突破できる。だが、キルクルス教徒の彼らが「悪しき業」の使い手の力を借りることはない。
島民は島民で「アーテル共和国」には愛着も愛国心もなく、聖者キルクルスにも帰依しない為、信仰に基づいてネモラリスを討つこともない。
アーテル共和国にしてみれば、魔法使いが大半を占めるランテルナ島民は、獅子身中の虫だ。島民には、この戦争でアーテルが敗北し、ランテルナ島がネモラリス領になることを望む者も居るだろう。出兵させれば、国を守るどころか、寝返る懸念が強い。
この戦争は領土紛争ではないが、そのくらい、アーテル本土とランテルナ島の心は遠かった。
二人は何とも言えない気持ちで、森に隠された別荘の拠点へ【跳躍】した。
☆この島のバス……「0336.地図情報取得」「0383.空の路線バス」参照
☆橋のとこはバスターミナルで、イグニカーンス市に行くバスもある……「0173.暮しを捨てる」「0387.星の標の声明」参照




