0425.政治ニュース
料理人の後ろ姿を見送ったクロエーニィエが、呪医セプテントリオーに極上の笑顔を向ける。
「呪医、ありがと。お陰で元気な姿が見られたわ」
「いえ……私は何も」
「うぅん。呪医が来てくれなかったら、私、ずっと知らないままだった。有難うございました」
改まった口調で言い、頭を下げる。呪医は困惑して曖昧に言葉を濁した。同じ地下街チェルノクニージニクでも、店が離れているせいで百年以上もお互い知らずに過ごしたのだ。
……クロエーニィエさん、いつもは一人みたいだし、ドアの近くのカウンターで食べてたんだろうな。
厨房から見える後ろ姿がこれでは、獅子屋の店長もまさか元騎士とは思うまい。
「何だか湿っぽくなっちゃって、ごめんなさいね。おなかすいたでしょ。さ、食べて食べて」
クロエーニィエが顔を上げ、明るい声で二人に食べるよう勧める。
ファーキルは、ワンプレートランチに目を向けた。白身魚のムニエルは、魚の切り身にスパイスと小麦粉をまぶして焼いた料理だ。
……あ、これ、あのお屋敷でも食べたことある。
食堂「獅子屋」のムニエルは、ドーシチ市商業組合長の屋敷の料理人とは味付けが違うが、どちらも負けず劣らず美味しかった。
一足先に平らげたファーキルに、クロエーニィエが悪戯っぽい笑みを向ける。
「坊や、お待たせしちゃってごめんなさいね。まだ食べ足りなくっても、呪医のお皿からつまみ食いしちゃダメよ」
ファーキルは思わず、呪医が注文した「湖の定食」の皿を見た。そちらのメインもムニエルのようだが、全体が緑色だ。
「スパイスの他に、緑青もまぶしてあるんですよ。陸の民が食べると、銅の中毒を起こします」
二人の視線に気付いた湖の民の呪医が、フォークで一口分を持ち上げてみせた。中は普通の白身魚だ。
「あ、いえ、足りてるんで、大丈夫です」
他の客は地下街の店の者なのか、食事を終えると大半がそそくさ出た。数組の客は、ファーキルたち同様、雑談を交わしながらのんびり食事を楽しむ。
「店長からのサービスです」
さっきとは別の給仕の娘が囁いて、デザートの皿を置いた。落ち着いた赤色のドレスにエプロンの白が眩しい。
「あらあら、こんな気を遣ってもらっちゃって」
クロエーニィエは、生クリームを盛ったシフォンケーキに目を細めた。
……俺だけこんないいモノ食べて、何か申し訳ないな。
ファーキルは、拠点で粗食に耐えるみんなを思い出した。だが、ファーキル自身が手に入れられる物では、みんなにお土産を買って帰ることもできない。
ふわふわで甘い筈のシフォンケーキは、口に入れた途端、罪悪感でぺしゃんこになり、味が消えた。
クロエーニィエは食後、自分の店「郭公の巣」の扉に掛けた【鍵】の合言葉を呪医に耳打ちして、二人を先に帰らせた。
「不用心と言うか何と言うか」
合言葉で扉を開け、呪医セプテントリオーが苦笑しながら店に足を踏み入れる。ファーキルも続いて入り、扉を閉めて言った。
「呪医は悪いコトなんてしませんよね」
「どうでしょうね?」
二人はカウンターの椅子に腰掛け、クロエーニィエが支払いを終えて戻るのを待つ。カウンターに置いたタブレット端末に額を寄せ合い、新着ニュースをチェックした。
政治の新着は「行方不明の国会議員は無事」のままだ。何となく開くと、アーテル共和国ではなく、ネモラリス共和国のニュースだった。
思わず顔を見合わせ、記事を読み進める。
先般の議員宿舎襲撃事件以来、行方不明になっていた国会議員の内、両輪の軸党の党首アサコール氏と、リストヴァー自治区出身で無所属のラクエウス議員が、アミトスチグマの難民キャンプの視察に訪れた、とある。
二人は、ネモラリスに帰国すれば、再び襲撃を受ける恐れがある為、当面はアミトスチグマに滞在し、場合によっては亡命もあり得る、と語ったらしい。
難民キャンプを視察し、戦禍を逃れて来たネモラリス人から聞き取った要望は、フラクシヌス教団とキルクルス教団を通じてネモラリス政府に伝えると言う。
関連記事には、議員宿舎襲撃事件の概要、死者、負傷者、行方不明者一覧のリンクが置いてあった。
「こんなことがあったなんて」
二人は事件の概要を読んで言葉を失った。
……アーテルや他の国の動きは気にしてたけど、ネモラリス側のニュースは眼中になかったもんなぁ。これからはあっちも見なきゃ。
ネモラリス人のセプテントリオーが、食い入るように画面を見詰める。ファーキルは彼の視線に合わせて画面をスクロールさせた。
「お待たせー。すっかり話し込んじゃって、ごめんなさいねー。他にお客さん、来なかった?」
「えっ、あッ、はいっ! 大丈夫です。誰も来ませんでした」
店の経営としては大丈夫ではなさそうだが、ファーキルは思わず口走った。
クロエーニィエは気にせずカウンターの奥へ入る。しばらくして出てくると、黄色い【護りのリボン】をカウンターに置いた。
「持って来てくれた籠、すっごく質がよかったわ。魔法で丈夫さを付与して、軽くする魔法も掛けたら、ステキなお買物籠になりそう」
「有難うございます。作ってくれた人にお伝えします」
「これは……そうね、季節に関係なく、五つでリボン一本と交換ね」
「有難うございます。……あ、それと、お昼、ご馳走様でした」
魔法の道具屋「郭公の巣」を後にして呪符屋へ戻る。
郭公の巣の方が開店時間が遅いので、二度手間になるが、苦にはならなかった。
地下街チェルノクニージニクには、面白そうな店と商品が溢れ、ちょっとしたおもちゃ箱のようだ。通りすがりに見るだけでも楽しく、何かに使えそうな物がないか考えながら歩くと、すぐに着いた。
☆先般の議員宿舎襲撃事件……「273.調理に紛れて」「277.深夜の脱出行」参照
☆ラクエウス議員が、アミトスチグマの難民キャンプの視察に訪れた……「400.党首らの消息」~「403.いつ明かすか」参照




