0421.顔のない一人
「ごめん、地図はカルダフストヴォー市とイグニカーンス市のしか入れてないんだ」
「あ、いや、ちょっと聞いてみただけだから、そんな気にしないでくれ」
少年兵モーフが慌てて言い繕う。
ファーキルは伏せた目を上げ、笑ってみせた。
「今日、街へ行く時に調べて入れるから、大丈夫だよ」
「ホントかッ? 助かる!」
モーフのごつごつした手が、ファーキルのヤワな手を握る。
……アーテルの首都の西にある半島の基地って、アクイロー基地のことだよな。
以前、ミリタリーマニアのブログで、演習の画像を見た。あの画像もダウンロードしてくれば、襲撃の役に立つだろうか。
それとも、武闘派ゲリラの攻撃目標がわかったから、呪医セプテントリオーに知らせて、やめるように説得してもらうべきか。
どうすればこの戦争が終わるのか、ファーキルには……いや、この拠点に居る誰にもわからなかった。
……そうなんだよな。空軍基地を潰せば、最低でもネモラリス共和国への攻撃は減るんだ。
取敢えず、地図をダウンロードすると約束し、ファーキルは少年兵モーフと一緒に庭へ出る。
八月も半ばになり、庭園に作ったささやかな畑は収穫を終えた。トマトにはもう花も実もないが、茄子はまだ花が咲く。
鳴く虫の種類が変わり、森の花々は萎れた。
後に生ったちいさな実が薬になるか、薬師アウェッラーナに聞かねばなるまい。
昨夜はいつもの顔ぶれに加え、魔法戦士オリョールも、ランテルナ島のこの拠点に泊まった。少し遅い時間まで病室のひとつで、ソルニャーク隊長と呪符職人、武器職人、オリョールの四人で何か話し合っていた。
ファーキルは何の話か知らないが、少年兵モーフの口ぶりからすると、基地襲撃作戦の立案だったのだろう。
……地図があれば、具体的な作戦を立てやすいもんな。
彼らがいつも通り【跳躍】でネーニア島の廃墟の拠点へ跳ぶのを見届け、ファーキルは一旦、別荘の中へ戻った。ソルニャーク隊長たちが持ち帰った素材を改めて確認する。
……まさか、魔獣を仕留めて、俺たちにくれるとは思わなかったけどな。
あんなに悲愴な思いで戦う力を求めたのが、バカみたいだ。
ゲリラの魔法戦士には、魔獣と戦える力がある。元々その道のプロだから、当然と言えば当然だ。
小型の魔獣をあっさり倒して、わざわざ炭にして持って来てくれた。
……これって、やっぱり……ソルニャーク隊長たちを仲間認定したってコトだよな。
ファーキルは複雑な気持ちで、呪符屋に【無尽袋】の対価として支払う素材を荷造りする。
薬師アウェッラーナとクルィーロが、ここ数日でたくさんの種類の魔法薬を作ってくれた。プロの薬師が説明書を付けてくれたのを整理し、種類毎に分けて鞄に詰める。
クルィーロは【霊性の鳩】学派の術しか使えないので手伝いだが、アウェッラーナの話では、以前に比べてかなり魔法の腕が上がり、任せられる作業が増えたらしい。
彼は作業の合間に【不可視の盾】の訓練も続ける。ファーキルは、クルィーロに頼まれて小石を投げた。彼はちゃんと【盾】を展開して小石を防いだ。
ファーキルも試してみたが、クルィーロが軽く投げた小石は思ったよりずっと速く、展開が間に合わなかった。
手には当たらなかったが、情けなかった。
女の子たちは着替え用の服、メドヴェージは蔓草細工の籠をそれぞれ作る。
レノ店長はネーニア島の拠点で呪符作りを手伝い、ロークはこの短期間で随分、逞しくなった。
ソルニャーク隊長と少年兵モーフは、武闘派ゲリラたちに銃の戦い方を教え、レサルーブの森で素材も採ってくれる。
……俺だけだよな。何もできなくて、何もしてなくて、何も成長してないの。
自己嫌悪に襲われる。
ファーキルはまだ肌寒かったあの日、ヤミで入手したタブレット端末を携え、全財産を叩いてネーニア島に渡った。
アーテル政府は情報統制で報道させず、ネモラリス共和国にはインターネットがなく、外部に発信できる情報量が圧倒的に少ない。
真実が隠され、アーテルの人々が、嘘の歴史と偽ニュースに踊らされる現状を打破したかった。
インターネット上なら、人種・年齢・性別・職業など、個人情報を自ら明かさない限り、「一人の意見」として、発言の内容だけを見てもらえる。
識者や政治家、芸能人やスポーツ選手などなら、姿を晒して、それまでの実績とカリスマ性で、発言に責任と説得力を持たせられるが、一般人……それも、外見がパッとしない中学生のファーキルでは、容姿を見せた瞬間、誰からも相手にされなくなるだろう。
フォロワーたちは、「真実を探す旅人」が「顔のない一人」である限り、ファーキルが発信した情報や意見の内容だけを見てくれる。
正体不明のアカウントを胡散臭く思い、チラ見して去る者や、そもそもアカウントの存在自体を知らない人の方が多い。真実を伝えられる人数は限られるが、徐々に増えていった。
……俺の目的は、正しい情報を発信することだ。
ファーキルは、麻袋の口を括って鞄を肩に掛けると、緑髪の呪医を書斎へ呼びに行った。
呪医セプテントリオーは、採取に出るメドヴェージとファーキルを拠点を囲む森へ送り迎えする他は、ずっと書斎に籠りきりだ。
新聞記事での情報収集に余念がない。攻撃をやめるよう、ネモラリス人ゲリラを説得する材料を探すのだろう。
「では、行きましょう」
散らかったローテーブルを手早く片付け、呪医はファーキルと共に庭へ出た。
すっかり耳に馴染んだ【跳躍】の呪文で、カルダフストヴォー市の北門前に運ばれる。
ファーキルは湖の民の呪医と連れ立って門を潜り、平和な街に足を踏み入れた。あの日以来、星の標によるテロはない。道行く人々も店も、何事もなかったかのように平穏だ。
「今日は、素材を届けた後、ちょっと情報収集したいんですけど、時間、いいですか?」
「私は構いませんよ。何の情報ですか?」
「地図と、半世紀の内乱の記録です」
二人は、地下街チェルノクニージニクの階段を降りた。勤務先の店へ急ぐ従業員に混じって、まだ商品や看板に塞がれない通路を歩く。
「……この間、私がお願いしたことができそうなんですか?」
「えーっと……いえ……あの」
ファーキルは、自分がアーテル人であることを隠し、ラクリマリス人のフリをしたのを思い出して口籠った。怪しまれる前に何とか言い繕う。
「運び屋さんへの支払いで、ウェブマネーが余ったら、それで電子書籍を買おうと思ってたんですけど、残らなかったんで、アーテルの歴史の教科書……まだ、買えてないんです。すみません」
「いえ、私は急ぎませんから、お気になさらず。無理なようでしたら、シルヴァさんにもお願いしてみます」
呪医セプテントリオーは、大して気にしていないようだ。
「えっと、それで、ラキュス・ラクリマリス共和国の近所の国は、半世紀の内乱を客観的に記録してるんですよね。でも、湖南語だから、他所の国の人たちには読めなくて」
「共通語に訳すんですか?」
「はい。情報を無料で見られるサイトの管理者に、翻訳の許可が取れたら、ですけど」
そんなことを話す内に、竜胆の看板を出した呪符屋に着いた。
☆ミリタリーマニアのブログ……「0331.返事を待つ間」参照
☆小型の魔獣をあっさり倒して、わざわざ炭にして……「0407.森の歩行訓練」「0408.魔獣の消し炭」参照
☆レノ店長はネーニア島の拠点で呪符作りを手伝い……「0399.俄か弟子レノ」参照
☆あの日……「0386.テロに慣れる」参照
☆この間、私がお願いしたこと……「369.歴史の教え方」「370.時代の空気が」「371.真の敵を探す」参照。




