0420.道を清めよう
「難しい質問ですね。聖者キルクルスは、三界の魔物の再来を防ぐ為、人々を脅かす“悪しき業”を禁じられました。魔力に依らず、人々の叡智に依って世界の平和と繁栄を築かねばならないと説いていらっしゃいます」
礼拝堂の人々が顔を上げ、壇上へ移動した司祭の言葉に頷いた。
「クフシーンカさんのお話によりますと、魔力ではなく、地脈の力を借りて、通行人を魔物などから守る仕組みのようです。その道を実際に通られたことは?」
「いいえ。でも、友達のフリザンテーマ……以前ウチで雇っていたお針子のアミエーラを覚えているかしら? あのコの祖母なんだけど、若い頃に何度も行って、道沿いの木の実や薪を拾ってたわ」
人々が顔を見合わせ、二人を知る者たちが小さく頷き合う。
「フリザンテーマは大丈夫だって笑っていたし、実際、何度も山へ行って無事に帰ってきたけれど、私は怖くて行ったコトがないの。ごめんなさいね」
「いえ、とんでもない。大変参考になる貴重なお話を、有難うございます」
「フリザンテーマって、あの信心深い婆さんか? なら、知ってるよ」
六十前後の男性が声を上げた。安心したのか、火傷の痕が痛々しい頬に引き攣れた笑みが浮かぶ。他にもちらほら、「フリザンテーマさんが行ったんなら」との囁き声が聞えた。
……人数が多ければ、中にはアミエーラやウィオラみたいに、無自覚な「力ある民」も居るでしょう。
実際は、通行人の魔力で敷石に刻まれた【魔除け】が発動する仕組みだ。
親友のフリザンテーマは魔女だが、半世紀の内乱の少し前にキルクルス教徒と結婚。内乱終結後はリストヴァー自治区へ移住し、【歌う鷦鷯】学派を修めた力ある民であることをひた隠しにして、生涯を終えた。
決して一人で行かないよう、自治区民に厳しく釘を刺し、後で誰かが襲われた時の言い訳も考えなければならない。
ウェンツス司祭が、頃合いを見計らって言う。
「皆さんの中にも、薪拾いに裾野まで行かれた方は多いでしょう」
大人たちが躊躇いがちに頷く。クフシーンカと菓子屋の夫婦は、司祭の傍らで人々の反応を見守った。
「ならば、私は……個人的にですが、その先へ進むのが悪事だとは思えません」
司祭はそこで言葉を切り、礼拝堂に集まった人々を見回した。貧しい人々が司祭の言葉に耳を傾け、針仕事の手を止めて続きを待つ。
「清潔を保ち、雑妖を祓うことは、聖者の教えにも適います。みんなの手で山道を清めようではありませんか」
人々は、ウェンツス司祭の宣言に瞳を輝かせ、拍手で応じた。
それから一週間、クフシーンカらリストヴァー自治区の有志は準備に奔走した。
農村地帯の支援者に頼んで、鉈や鍬、鋸、スコップなどの道具を借りる。
軽トラックも三台、出してもらえることになった。裾野で待機し、バケツリレー方式で山から下ろした落葉や腐葉土、薪や蔓草などを緑地と教会、学校へ運んでもらう。
クフシーンカは、自宅に残った私物の大部分を協力者への謝礼に充てた。
工場に家具を支払い、ビニール袋やフレコンバッグなど、大量の袋を仕入れた。農家には、蔵書や衣服、食器や調理器具を譲り渡す。残りは全て堅パンに換えた。
ラクエウス議員の政務関係の書類や物品は、とっくの昔に事務所へ移した。
残ったのは、最低限の着替えと食器、調理器具と食卓とベッドくらいだ。
ガランとした自宅に新聞屋の妻が来て、隅々までキレイに雑巾掛けしてくれる。高齢で拭き掃除が辛いクフシーンカは心から感謝した。
「こんなコトまでしてもらって、ホントに有難うね」
「いいんですよ。私らの方こそお世話になってますから」
食卓で香草茶を淹れ、一仕事終えた新聞屋の妻に寛いでもらう。
塩を一摘まみ入れたお茶ですっと汗が引き、新聞屋の妻はゆったりと微笑んだ。
「最近ね、若い工員さんが毎朝、出勤途中で教会へ寄ってくれてるんですって。ウィオラちゃんのお見舞い」
「まぁ」
全く知らなかったクフシーンカは、思わず身を乗り出した。
「来る度にその辺で摘んだお花や、お菓子や何か持って来てくれるんですって」
「ウィオラは、何て言ってるのかしら?」
「あの子は……可哀想に、まだショックが抜けないみたいで、ボーっとしてるけど、イヤがってる感じじゃないわね」
「そう」
クフシーンカは、思わず安堵の息を漏らした。ここしばらくはずっと忙しく、教会まで様子を見に行けなかったが、ずっと気懸りだった。
「御寮人様が聞き出してくれたんだけど、二人は火事の前から知り合いだったそうよ」
「……あら、そうなの?」
クフシーンカはピンと来たが、それ以上は言わなかった。
多分、その工員は事件の日、「返さなくていいから」と毛布を提供し、病院まで付き添った若者だろう。車内でウィオラを案じ、休日には病院へ見舞いに来た。
……きっと、彼が火事の後、しばらく寮に置いてくれた“お客さん”なのね。
ウィオラが身重だと気付いて追い出したが、工場の独身寮で、誰の子かわからない赤ん坊を産ませる訳にはゆかないと言う、彼の気持ちも理解できなくはない。部外者を何日も宿泊させること自体、規則違反で、彼自身が寮を追い出される恐れもあった。
もしかすると、誰かがあの赤ん坊を引き取ってくれたなら、彼はウィオラと一緒になるつもりだったのかも知れない。
「お隣さんがどうなったのかも、その内、教えてあげなきゃいけないけど、今はムリね」
「そうですねぇ」
クフシーンカたち自治区の有志たちも、当面は旧街道の清掃事業で忙しくなる。
今の状態で知らせても、安堵より動揺の方が大きいだろう。
身体の傷がちゃんと治って、二人のことがどうなるか決まってから、折りを見て話した方がよさそうだ。
二人は頷き合い、ウィオラが今度こそ幸せな選択をできるよう、聖者に祈った。
☆フリザンテーマ……「0059.仕立屋の店長」「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」参照
☆火事の後、しばらく寮に置いてくれた“お客さん”……「0294.弱者救済事業」参照




