0419.次の救済事業
「なぁ、婆さんからも、あの娘に何とか言ってやってくれよ」
知らない男性に声を掛けられ、クフシーンカは現実に引き戻された。土色の髪の中年男性だ。傍らでウェンツス司祭が眉を下げる。
「えぇっと……何かしら?」
「あの娘っ子は、山ん中で何日も無事に過ごして、木の実とか食ってたって言ったそうじゃねぇか。ってこたぁよ、山ん中に化けモンに襲われねぇ安全な道があって、何か美味ぇ実があるってこったろ?」
「でも、あのコは今」
「足が折れてるったって、小娘くれぇ俺が背負ってやっから道案内させろっつってんのに、司祭様ぁダメだっつーんだ。あんた、いっぱい寄付してんだろ? 婆さんからも何とか言ってやってくれよ。実が鳥や獣に全部食われちまう前に山へ行きてぇんだよ」
腕に大きな火傷痕のある男が一息に捲し立てた。仕立屋の店長クフシーンカは、何とか男性の目的を聞き取り、微笑んでみせる。
「あぁ、その道なら、内乱前に聞いたコトがありますよ」
「ホントかッ?」
男性はクフシーンカの両肩を掴み、瞳を輝かせた。老女がひとつ咳払いすると、男性はバツの悪そうな顔で手を放し、頭を掻いた。
ウェンツス司祭の驚いた顔に頷いてみせ、クフシーンカは男性に笑顔を向ける。
「有難う。あなたのお陰で、冬支度と食糧生産の計画を思いついたわ。色々と準備が要るから、一週間だけ待ってもらえないかしら?」
「ウチにゃ、腹空かせたガキが二人も居るんだ。こうしてる間にも、実が鳥に食われちまうじゃねぇか」
「あのコが食べたと言う木の実は、とても酸っぱくて鳥も食べないわ。冬になって他の食べ物がなくなるまで、木についたままよ」
「そうかい? でもよぉ」
「あのコは死ぬつもりで山へ入って、偶然、安全な道を通ったのよ。食べ物を採りに行くつもりで危ない所へ迷い込んじゃ、本末転倒よ」
「そうかい?」
男性がクフシーンカと司祭を交互に見る。
ウェンツス司祭は力強く頷いてみせた。
「目先の食糧だけでなく、これから先、みんながたくさん食べられるように生産体制を作る準備も同時になさるんですね」
「そうよ。今年の冬支度も兼ねてね」
司祭の言葉を肯定すると、男性の顔が明るくなった。
「じゃあ、また来週、ここに来りゃいいんだな?」
「教会のお庭をお借りしてよろしいかしら?」
「はい。なるべく人数は多い方がいいんですよね? また、掲示板に告知を貼り出します」
「あんまり人数が多いと、分け前が減るんじゃねぇか?」
男性が顔を曇らせ、小声でこぼした。
「作業の手間賃として、堅パンをお支払いしますから、ご心配なく」
「そ……そうか。じゃあ、また来週!」
男性は笑顔で礼拝堂を後にする。
針仕事の人々は手を動かしながら、一連の遣り取りに聞き耳を立てた。
クフシーンカは礼拝堂に響き渡る声で、新事業……クブルム山脈の旧街道の清掃作業の概要を語った。
「クブルム山脈を東西に横切る道と、東の端を北へ越えて、今のラクリマリス領へ抜ける古い街道があるそうよ」
「それは、私も初耳です」
司祭が驚いて口を挟んだ。
「内乱前は、魔法使いの樵や狩人が使ったらしいわ。ウィオラが雨宿りした小屋は多分、狩猟小屋か林業組合の資材置場か、山仕事する人たちの休憩所でしょう」
リストヴァー自治区の設置から三十年。力なき民のキルクルス教徒は魔物や魔獣を恐れ、山に入らない。薪拾いに行くのは山裾の林だが、そこでさえ魔物や魔獣に襲われ、毎年、命を落とす者が後を絶たない。
放置された道には、落ち葉が降り積もって腐葉土となり、その上には草木が生い茂るだろう。
旧街道に生い茂った草を毟り、木を伐って、蔓草は細工物の素材、落ち枝や伐採した木は冬用の薪として回収する。
育苗ポットなどの素材と、塩分を含まない良質な園芸用土、寒さを凌ぐ燃料が同時に手に入る。
旧街道に敷かれた石畳の清掃を兼ねて、回収した落ち葉と腐葉土は、シーニー緑地に撒く。
土が肥え、以前より植物がよく育つようになるだろう。更に、生活圏に近い安全な場所で、いい土が手に入るようになれば、鉢やプランターでの家庭菜園が楽になる。
後で緑地と集合住宅の間に壁を建て、盛り土の流出を防がねばなるまい。その工事も、一時的な物ではあるが、雇用に繋がる。
山の虫が緑地に広がって悩まされるかもしれないが、諦めるしかない。上手く行けば、今秋か来春には野菜を収穫できるだろう。それを思えば些細な問題だ。
勿論、安全な山道が開通すれば、今後は薪だけでなく、木の実や山菜の類も手に入りやすくなる。
……ウィオラが無事だったってコトは、あのコもアミエーラみたいに魔力を持ってるんでしょうね。
仕立屋の店長クフシーンカは、それを誤魔化す為の嘘を並べた。
「それとね、内乱前に聞いたのだけれど、レサルーブ古道と同じ仕組みで、地脈の力を借りて魔物や何かを退けてるそうよ」
「成程、それなら道の上に居れば、安全なんですね」
司祭だけでなく、礼拝堂の人々も安堵した顔でクフシーンカを見る。
「大昔に魔法使いの人たちが作った道だけど、この際、聖者様もお許し下さるわよね?」
人々は針仕事の手を止め、固唾を飲んで司祭の言葉を待つ。司祭は、礼拝堂に満ちる困惑に苦笑を浮かべ、人々の顔を見回した。




