0418.退院した少女
骨折したウィオラは二週間で退院した。
足が折れた他、小型の魔獣にあちこち齧られて傷だらけだ。こんな大怪我で早過ぎる気がしたが、仕方がない。クフシーンカは、聖星道リストヴァー病院の窓口で医療費を精算した。
菓子屋のワゴン車で東地区の教会へ向かう途中、ウィオラは心底申し訳なさそうに何度も礼と謝罪を繰り返した。
「えぇ。もういいから、二度と自分から死のうとしちゃダメよ」
「はい」
少女は後部席で項垂れた。菓子屋の妻がバックミラーの中で目頭を押さえる。
クフシーンカはウィオラの手を握った。
「怪我がちゃんと治るまで、教会でゆっくり休むのよ」
仕立屋の老婆クフシーンカがやさしく声を掛けたが、ウィオラは、何か思い詰めたような硬い表情を動かさず、反応を示さない。
……自分で死んじゃダメって言ったから、今度はお隣さんを煽って殺されようってつもりね。そうは行かないのよ。
例の隣人の件をいつ、どのように伝えるべきか考えあぐね、クフシーンカはそれ以上、何も言えなかった。数日様子を見て、司祭たちと相談してから決めればいいだろう。
毛布を用意し、病院まで付き添ってくれた工員は、休みの日にウィオラの病室を訪れたらしい。
きっと工場長がその後を気に懸けて、様子を見に行かせたのだろう。
事件の翌日、仕立屋の店長クフシーンカと菓子屋の夫婦、司祭の四人で改めて工場へ礼を言いに行った。工員全員に行き渡るだけの焼菓子を手渡し、置いて行った荷物を回収した。
工場長と多くの工員が、詳しい事情を知ってウィオラに同情した。
ウィオラは、ギプスで固定された足の他も、包帯だらけになった。
工場の塀の外は湖だ。消波ブロックに落ちたお陰で溺水は免れたが、足を折って動けなくなった。ブロックの影に潜む魔獣の群に襲われ、散々齧られたのだ。
司祭と近所の人々と工員たちが塀の外へ降り、ウィオラを襲った銀鱗の虫魚を鉄パイプなどで追い払ったと言う。
魔法の治療なら、骨折も、齧り取られた手足の傷もキレイに治せるが、科学の医療だけでは痕が残るのは避けられない。
「あなた、まだ若いんだから、自棄になっちゃダメよ。幸せになれる機会はいつかきっと巡ってくるから。ねっ?」
菓子屋の妻が助手席から振り向いて言う。ウィオラは俯いたまま、ぎゅっと目を閉じた。
ワゴン車が教会の敷地内に入った。
入院中に僅かな荷物を回収して仮設住宅を引き払い、今は教会の一室に置いてある。
同情した人々が、保存食や布袋、古着や雑巾など、なけなしの持ち物から見舞いの品を持ち寄り、ウィオラの財産を増やした。
「大部屋で気疲れしたでしょ? しばらく一人で過ごして、先々のコト、ゆっくり考えるのよ」
「ウィオラさん、私が隣のお部屋に居ますから、遠慮しないで何でも相談して下さいね」
クフシーンカと老尼僧が、やさしい言葉を掛ける。ウィオラは辛うじて頷き、聞こえたことだけ示した。見舞いの品の説明には、いちいちひとつずつ頷いてみせたが、表情は暗いままだ。
ウィオラに用意された部屋は、窓に泥棒避けの格子があり、隣室には見張りも兼ねて尼僧が常駐する。お手洗いの介助も必要だ。幾つもの理由で当分、ウィオラからは目を離せなかった。
クフシーンカと菓子屋の夫婦は、ウィオラにもう一度励ましの言葉を掛けて司祭の許へ行った。
生憎、司祭は来客中で、三人は礼拝堂の様子を見に戻る。
他の仕事にありつけた者や、自宅用の袋を作って満足した者、針仕事に向かないと諦めた者が去った代わりに、日雇い仕事にあぶれた者や、後から話を聞きつけた者たちが加わり、礼拝堂は相変わらずいっぱいだ。
大火の後遺症が酷い者や、暑さで参って動けない者は、ここに来ることさえ叶わない。
時折、乳呑児が力なく声を上げる他は、静かだ。
俯いて一心に針を動かす人々は、祈りを捧げるようにも見える。
……次はどうしようかしらねぇ。
商店街が再建されればその分、働き口は増えるが、到底足りない。
腕力の強い男手は、当面の復旧や建設現場に働き口はあるが、新たな工場や倉庫が完成するまで、まだもう少し救済事業で雇用を供給しなければならない。
小さな町工場の大半が焼け、東部の工場兼自宅に住む零細の社長は、多くが亡くなった。
現在も稼働するのは、焼けずに済んだ湖岸沿いの大工場と、本社がネモラリス島や外国にあり、資金が潤沢な大企業が再建させた工場ばかりだ。
中小の経営者は、リストヴァー自治区の団地地区や農村地区に居るが、まだ再建途中の所が多い。再建資金は、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教団などからの寄付でかなり助けられるが、人手と資材の不足は如何ともし難い。
早い所は今秋、遅い所は来春頃の完成見込みだと言う。
工場が再建されたからと言って、全員が職にありつける訳でもない。
どの工場でもそうだが、誰でも勤まる単純作業は少なく、溶接などの専門技術や電子回路などの専門知識が必要な職場が多い。
工業高校は仮設校舎で授業を再開したが、東部のバラック地帯に住む教員と生徒の大半が、あの大火で亡くなった。技術者の育成も喫緊の課題だ。
自動車学校が再建されれば、大型やフォークリフトの免許保持者が増え、職の幅が広がる。
頭の痛い問題が山積みだが、ひとつずつ越えてゆくしかなかった。
……急いだって仕方ないのよ。五年、十年先を見越して、私が死んだ後も、救済事業がちゃんと回るようにしなくちゃね。
齢九十を越える老女クフシーンカは、自分が居なくなった後のリストヴァー自治区に思いを馳せた。
☆病院まで付き添ってくれた工員……「0406.工場の向こう」参照




