0414.修行の厳しさ
根負けしたのか、呪医は大きく息を吐き出し、緑の瞳で陸の民の少年ファーキル見詰めて頷いた。
「……そうです。魔力を保持できる時間が短いので、矢を放つ直前に籠めねばなりません」
「魔獣に当てるだけじゃなくて、ちゃんと刺さらなきゃ、術は発動しないのよ」
クロエーニィエが、魔法の道具屋の店主として言い添える。
ファーキルは勢い込んで尋ねた。
「術って、どんな術ですか?」
「モノが矢だから、【急降下する鷲】学派とかの呪文が短い術よ。【風の矢】とか【光の矢】とか、そう言うの」
説明するクロエーニィエを苦り切った顔で見るが、呪医セプテントリオーは話を遮らない。ファーキルは却って気になり、恐る恐る呪医に聞いた。
「その矢って、何か他に危なかったりするんですか?」
「いえ……旧王国時代は、王国軍の制式装備として弓兵に支給されていました」
「えっ? 昔の兵隊さんって、魔法戦士じゃなかったんですか?」
「全員がそうではありません。【急降下する鷲】学派など、魔物や魔獣を相手に直接戦える術を修めた者は、君が思うよりずっと少ないんですよ」
「そうなんですか」
ファーキルは意外だった。魔法文明圏の騎士や兵士は、全員が魔法戦士だとばかり思っていた。そんな武器が標準装備として支給されるくらい、【急降下する鷲】学派の術は、習得が難しいのだろうか。
北ヴィエートフィ大橋の守備隊を思い出し、ファーキルは申し訳なさに改めて胸が痛んだ。
……ひょっとして、それでラクリマリス軍の人はやられちゃったのかな?
森を抜ける新道を塞ぐ火の雄牛に追われ、移動販売店プラエテルミッサのトラックが橋に逃げ込まなければ、守備隊が命を落とすことはなかっただろう。
「あ、あの、ここって、その矢、売ってますか?」
「ごめんなさいねぇ。ウチは服とか雑貨とかのカワイイ物屋さんだから、武器は置いてないのよ」
その割に客の視界に入る場所には商品を陳列しない。商品は全てカウンター内の棚に仕舞われ、何を販売するのか、店内を見回しても全くわからない。客が必要な道具や求める機能などを言うと、店主がそれに合う品を出すのだ。
強いて言うなら、クロエーニィエ店長が身に纏う色んな意味で無理な服装が、商品見本だと言われれば、頷けなくはない。
淡い色合いのエプロンドレスを纏い、ふたつに分けた黒髪には色違いの【護りのリボン】を着ける。力ある言葉の様々な呪文や呪術的な印が、デザインとして組込まれて染織や刺繍してあり、たっぷりあしらわれたレースやフリルに映える。
店主は、魔法の道具を造り出す【編む葦切】学派の徽章を首に提げる。センスはともかく、彼が自らの手で造り出した魔法の服なのだ。
少女趣味な服装のごついおっさんの口から飛び出した言葉に怯んだが、ファーキルはすぐに気を取り直して聞いた。
「じゃあ、武器屋さんの場所、教えてくれませんか?」
「君は命を捨てる覚悟があって言っているのですか?」
思いがけず、厳しい声音で言われ、ファーキルは恐る恐る呪医を見上げた。その面に怒気はないが、静かな瞳には霜のような光が宿る。
「戦う覚悟は……まだ、わかりません。でも、このままじゃ、どこにも行けないんです」
「ですが」
「戦争がいつまで続くか全然わかんないし、前の時みたいに半世紀も続いたら、隊長さんとか寿命が終わっちゃうし」
ファーキルは、呪医セプテントリオーの緑髪を見上げ、半ば叫ぶように言った。
「俺たち常命人種には、時間がないんです」
力なき陸の民の少年の言葉で、長命人種の呪医が息を呑む。クロエーニィエ店長は頬杖を外し、背筋を伸ばした。
「坊や、その為に却って命を縮めたんじゃ、本末転倒よ」
「わかってます。でも、他に何ができるんですかッ!」
クロエーニィエは肩を竦めて首を振り、呪医セプテントリオーに目顔で問う。
ファーキルは、処置なしと言われたようで気に障ったが、何と言っていいかわからず、歯を食いしばって呪医の答えを待った。
……大体、呪医は他所の人で、仲間って感じじゃないし、心配してくれてるのはわかるし、有難いんだけど……何て言うか。
「武器の習熟は、一朝一夕に成るものではありません。弓で矢を射て動く標的に当てられるようになるまで、何年掛かると思っているのですか」
湖の民セプテントリオーが、ファーキルに噛んで含めるように言い聞かせる。この呪医は旧ラキュス・ラクリマリス王国時代、魔物や魔獣から国民を守る王国軍の軍医だった。
癒し手の彼は、弓矢を扱ったことはなさそうだが、修行の厳しさはよく知るのだろう。
「生兵法は大怪我の基です」
「じゃあ、戦争が終わるまでずっとこの島に居ろって言うんですかッ?」
呪医に改めて止められ、ファーキルは泣きたいようなもどかしさで、声が上ずった。湖の民の呪医は、ファーキルの涙が滲む眼をじっと見詰めて言う。
「いいえ。君たちは、大橋のアーテル領側の番兵を欺いて通った、と言いましたね?」
「騙されちゃったんだ? アーテル軍って案外ちょろいのね」
クロエーニィエが面白そうに言い、笑いを含んだ目でファーキルを見る。
「ならばもう一度、アーテル軍を欺けばよいのです。無理に魔獣と戦う必要はありません」
……その発想はなかった。
ファーキルは息を呑んだ。大人二人が、黙って少年を見守る。
冷静に考えれば、この島で修行に何年も費やすなら、同じことだ。弓矢の扱いに慣れて魔獣を狩れるようになっても、【無尽袋】の支払いに充てる素材を全部集めるのに、どれだけの歳月が掛かるかわからない。
だが、同じ嘘は二度と通用しない。
魔獣に追われて南のランテルナ島へ渡った時は、リストヴァー自治区から逃れてきたと言ったのだ。本物の自治区民であるソルニャーク隊長たちが上手く誤魔化してくれたから、キルクルス教徒のアーテル兵は信仰に免じて通してくれた。
少なくとも、星の道義勇軍の三人と針子のアミエーラは、あの時点では、嘘を吐かなかったかもしれない。
ネーニア島は、住人の大部分がフラクシヌス教徒だ。
北半分のネモラリス領はアーテル軍の一方的な空襲に見舞われ、間に挟まれたラクリマリス王国も多大な迷惑を蒙り、キルクルス教徒への風当たりが強い。
今更、ネーニア島へ戻りたいと言えば、怪しまれるに決まっている。
今度はどんな嘘で北ヴィエートフィ大橋を渡ればいいか、全く思いつかない。
ファーキルは頭の中が真っ白になった。
「えっと……でも、どうやって……?」
「一度帰って、みんなで考えましょう」
今のファーキルは呪医に従う他ない。彼が居なければ、自力で森の拠点に帰ることもできないのだ。諦めて、使える者のない【護りのリボン】二本を鞄に仕舞い、魔法の道具屋「郭公の巣」を出た。
☆北ヴィエートフィ大橋の守備隊……「0300.大橋の守備隊」→「0302.無人の橋頭堡」「0303.ネットの圏外」参照
☆大橋のアーテル領側の番兵を欺いて通った……「0312.アーテルの門」「0313.南の門番たち」参照




