0410.ネットの普及
魔装兵ルベルは、やっと密議の間から解放された。
すっかり日が暮れ、廊下の窓から見える空に星が瞬く。会議に参加した面々は、昼食抜きで対策を話し合った。
報告以外に発言権のないルベルも解放されず、部屋の隅に置かれた椅子で大きな身体を小さくして、ちびちび水を飲んでやり過ごした。
「お前には、これからもっと頑張ってもらわねばならんからな」
湖の民のアル・ジャディ将軍が、親しげに赤毛のルベルの肩に手を置いて幹部用食堂へ誘う。今日は一日中拘束かとうんざりしたが、顔には出さずついて行った。
ツマーンの森での食事は、相棒のムラークと二人きりで、保存食とその辺で摘んだ草と木の実だった。今は将軍と同じ卓に座らされ、豪勢な肉料理を前にする。
「先程も言った通り、お前には明日から特命に就いてもらう。これは餞別だ。遠慮せず、どんどんやってくれ」
「恐れ入ります」
将軍と差し向かいでの食事は気詰まりだが、残すワケにもゆかず、ルベルは早く終わらせようと、分厚い羊肉の塊をせっせと口に運んだ。湖の民の将軍が、目を細めてその食べっぷりを褒める。
「なかなかの食べっぷりだ。若者はこうでなくてはな。昼食を忘れて済まん」
「いえ……とんでもない。作戦中は食事どころじゃないこともありますので」
ルベルは少し恥ずかしくなって食事の速度を落とした。
他の幹部たちは別の卓を囲み、聞かれても障りのない話で盛り上がる。
アル・ジャディ将軍は、半世紀の内乱後に就任した。
先のウヌク・エルハイア将軍の遠縁の親戚だとの噂があるが、真偽の程は定かでない。緑の濃い髪の下にあるのは、四十代後半から五十代前半くらいの精悍な顔だが、彼は長命人種だ。将軍の過ごした五百年前後の歳月は、二十代のルベルにとって一冊の歴史書に等しい。
将軍は野菜の煮込みを食べ終え、ぽつりとこぼした。
「やっと、平和になったと思ったのにな」
ルベルは、半世紀の内乱時代を知らない。破壊されたインフラの復旧がほぼ終わり、復興期になってから生まれた。まさか、また戦争になるとは思わなかったが、人間同士が平和に暮らしても、魔物や魔獣はそうはゆかない。軍の任務が危険なことに変わりないのだ。
魔装兵ルベルは、将軍の呟きを独り言と捉え、聞こえなかったフリをした。
「すまんな。こんなことになってしまって」
「えっ……?」
深い皺が刻まれた将軍の顔に悲しみの影が差す。ルベルは食事の手を止め、言葉を探した。将軍はふと表情を緩め、食事を続けるよう促した。
「年寄りの愚痴だ。世間話として聞き流してくれ」
ルベルは小さく頷き、食事を続けた。
夏野菜の煮込みと、網の焼き目の付いた厚切りの羊肉、ふわふわの白パン。
明日からはまた、相棒のムラークと二人で、食糧はほぼツマーンの森での現地調達になる。食い溜めしようと気持ちを切り替えたルベルに、将軍はぽつりぽつりと独り言を聞かせる。
「この戦争が終わったら、我が国にもインターネットを整備せねばならん」
ラキュス湖南地方では魔獣や魔物に阻まれ、有線の電話回線が一部の都市以外では普及できない。電力供給も、同様の理由で不充分且つ不安定だ。
だが、魔法文明国を標榜するラクリマリス王国は、この十年ばかりで急速にインターネットの通信網を行き渡らせた。最初は、聖地への巡礼者の必要に応じて、王都ラクリマリスだけだったものが、巡礼ついでの観光客の為にじわじわと広がり、今では繋がらない街を探す方が難しいらしい。
「でも……ネーニア島の南半分も、魔物や魔獣が」
ルベルが思わず口を挟むと、将軍は重々しく頷いた。
「無線通信だそうだ。基地局や中継施設は、太陽光や自家発電で電力を賄い、それぞれ独立しているらしい」
「あぁ、それなら、間に魔物の巣窟があっても大丈夫ですね」
物理回線でケーブル敷設工事する場合、軍や民間の駆除業者、警備会社が連携して作業員を守らねばならない。
命懸けで設置したケーブルも、魔物や魔獣に「縄張り荒らし」と看做され、鉄塔が倒されたり、ケーブルを食い千切られるなどして、保守管理以前の問題が山積みだ。【魔除け】などを置こうにも、人里離れた場所の長大なケーブルに行き渡らせるには、魔力の供給が全く追い付かない。
レサルーブ古道の真下に通した大ケーブルで、ネーニア島の東西の都市は電話が繋がるが、島の北岸地域は孤立する。
湖なら、女神パニセア・ユニ・フローラのご加護で、森林地帯よりも魔物や魔獣が少ない為、【魔除け】への魔力の供給やケーブルの保守が容易だ。
内戦後、湖底に通したケーブルでネモラリス島とネーニア島、フナリス群島の本島が繋がり、ネーニア島北岸地域も電話が繋がるようになった。
「復興と同時に何としてでも普及させねばならん」
「ラクリマリスだけじゃなくて、他所もみんな使ってるから、ですか?」
「そうだ。この三十年で、我が国は完全に後れをとってしまった。既に情報戦で負けたようなものだ」
「えっ……いえ……それは」
ルベルは思わず周囲を見回した。将軍の声が聞こえなかったのか、幹部たちや給仕の職員は誰も反応しない。
密議の間で先程、アーテルに土地勘のある密偵を複数放ったと聞いたばかりだ。アーテル軍の動向を事前に掴めたからこそ、ネーニア家の当主を説得し、生贄を集める時間的な余裕ができた。情報を得られたからこそ、あの大空襲を未然に防げたのだ。
将軍の大胆な発言に何と言えばいいかわからず、魔装兵ルベルは無言で湖の民の将軍を見詰め、次の言葉を待った。
「腑に落ちんようだな……ルベル、我らの敵は、今や眼前のアーテルではなく、世界なのだ」
将軍の皮肉な笑みに魔装兵ルベルは呆然となった。食事の手と思考が停まり、正面にある湖の民の顔をまじまじと見詰める。将軍は笑みを消し、赤毛の若者を見詰め返した。
「これからは兵学校……いや、国民全体の教育も変えてゆかねばならん」
どう言うことかわからず、ルベルは無言で待った。何を質問すればいいかさえ、わからない。
「インターネットの通信網が行き渡った国々では、誰もが大量の情報に接し、また、大量の情報を世界中へ向けて発信できる」
「誰でも……ですか?」
「そうだ。小さな子供でも、よからぬ思想を広める輩や犯罪者でも、誰でもだ」
……そっか。一度に、大量に、世界中にって、詐欺とかの被害者もそれだけ増えるし、アーテルの「星の標」みたいな過激なテロ集団とかも、団員を勧誘しやすくなるよな。
ルベルが頷くと、将軍は食事を続けるよう促して話を続けた。
「正しく、有益な情報だけでなく、有害な情報や出所不明の噂、悪質なデマ、悪意のない間違った情報なども混在している」
将軍は、手振りで給仕を呼び、お茶の用意を命じた。
☆ツマーンの森での食事……「0394.ツマーンの森」「0396.橋と森の様子」参照
☆あの大空襲を未然に防げた……「0309.生贄と無人機」参照




