0408.魔獣の消し炭
蝉時雨が武闘派ゲリラの耳を打つ。
クブルム山脈の北側に沿って、ネーニア島を東西に横断する舗装道路には、車が一台も走らない。レサルーブ古道沿いは人家のない森林で、東西の端にある諸都市からは住人が姿を消した。
レサルーブ古道の東に位置するゼルノー市、マスリーナ市、医療産業都市クルブニーカは、冬に始まったアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で壊滅した。住人の大部分が避難し、政府が立入制限を敷く。最近の報道で、リストヴァー自治区に復興支援物資を運ぶ為、ゼルノー市のグリャージ港だけ仮復旧したらしいとわかった。
西側の北ザカート市も空襲に晒された。廃墟の街に住人の姿はなく、オリョールたち武闘派ゲリラの拠点がある他は、火事場泥棒や魔獣狩りが侵入するだけだ。
ラクリマリス王国の湖上封鎖のおかげで、ネーニア島西部がアーテル空軍を食い止める最前線となり、ネモラリス軍がザカート港に駐屯する。
レサルーブ古道は、道路脇に等間隔で配置された【魔除け】の石碑で守られ、雑妖や魔物が居ない。大型の魔獣は流石に防げないだろうが、ゼルノー市からトラックで避難した時は、大いに助かった。
舗装道路の上には、北側の森と南側のクブルム山脈の裾野から伸びた木々の枝が蔽い被さり、影を落とす。
石碑への魔力の供給は地脈の力を使うらしいが、冬の空襲以来、道路本体の維持管理はされなかったようだ。
ロークは、メドヴェージが運転するトラックでこの道を通ったのが、遠い昔のような気がした。
遙か東のゼルノー市は見えない。
……あの時は、ただ、逃げることしか考えられなかったのにな。
アサルトライフルのストラップを握る手に力が籠もる。
ロークは、祖父と両親が星の道義勇軍のテロ支援者だと知りながら、その計画を警察に知らせなかった。
自分の家族が本当にそんなことをする筈がないと言う甘い楽観。
家族が逮捕されれば自分の前途が閉ざされてしまうと言う保身。
ロークはあの日、ゼルノー市が星の道義勇軍の侵攻を受けるのを目の当たりにして、頭を殴られたような衝撃を受けた。
……チス、ヴィユノーク、チェルトポロフ。
仲の良かった友人たちは、テロで命を落としたかもしれない。生き残れたとしても、その後、追い打ちを掛けたアーテル軍の空襲で焼かれた可能性が高い。
ずっと燻ぶり、胸を焦がし続ける後悔が燃え上がる。
「俺、作用力がないから【編む葦切】の職人になるんだ。一応、魔力はあるんだけど、自力じゃ術を使えないからな」
淋しげに笑ったヴィユノークのふくよかな顔が、朧に浮かんで消える。「練習で作ったんだ」と、買えば高価な護符を誕生日プレゼントにくれた。
ヴィユノークが作った【魔除け】の護符は、今もロークを守ってくれる。流石に魔獣は防げなかったが、ロークの傍には雑妖が近付かない。
……親友だの何だのっ言っときながら、俺は何もしてやれなかったのに。
警察に言えなくても、せめてヴィユノークたちにだけでも教えておけば、助かる可能性はあったかもしれない。
ロークはテロの第一波を見て、慌てて警察に知らせた。第二波の避難所での毒ガス使用は防げたようだが、それしきで埋め合わせになるとは思えなかった。
……みんなの仇を討ちたくて訓練に参加したのに。
あんな大きな魔獣が目の前に居たのに全く気付かなかった。それどころか、すぐ傍で撃たれた自動小銃の発砲音に怯えて、声も出せない。
さっき、誰かがこの魔獣には毒があると言った。ソルニャーク隊長が助けてくれなければ、今頃、死んでいたかもしれない。
ロークは周囲を見回した。
ソルニャーク隊長は、オリョールやクリューヴたちと一緒に森の縁で草毟り。他のゲリラたちは、道路脇の薬草摘み、周囲の警戒、水分補給など、思い思いに過ごす姿が見えた。
「あ……あの……さっきは有難うございました」
一旦声を出すと、後は思ったより落ち着いてすらすら言えた。魔法戦士パーリトルが、鼻の下に塗ってくれた香草の汁のおかげだろう。
ソルニャーク隊長は顔を上げ、微笑を浮かべた。
「少し落ち着いたようだな。水を飲んで、もう少し休め」
「俺も休憩だから」
少年兵モーフにも言われ、ロークはもう一度、命の恩人たちに礼を言って、水筒の水を口に含んだ。鼻の下がスースーする。
……香草って、こう言う使い方もできるんだな。
妙に冷えた頭がそんなことを考える。全身の震えと硬直はとっくに解けて、ちゃんと動けた。
ソルニャーク隊長たちが、道路脇の一角から草を毟り終えた。魔法戦士オリョールが、剥き出しになった土を踏み固め、小枝で円を描く。頭部を失い、穴だらけになった魔獣の死骸を円からはみ出さないように丸めて入れる。
オリョールが立ち上がって呪文を唱えた。もう何度も、クルィーロが唱えるのを聞いた【炉】の呪文だ。円内に膝の高さの火柱が立つ。
……そうか。【魔獣の消し炭】にするんだ。
紫と黄色の毒々しい蜥蜴が、炎に包まれる。血抜きされた身が、炎に炙られて反り返る。
ロークは、蜥蜴型の魔獣が黒い炭に変わってゆくのを無言で見詰め続けた。




