0403.いつ明かすか
現在は、職人の指導の許、難民が呪符作りに携わる。
魔力を籠めるのは作成者とは別人でもよく、力なき民でも、中高生以上の器用で根気強い者なら呪符を書ける。時間を掛ければ小学生でも可能だ。
役割分担し、誰もが何か手伝える「仕事」ができた。
ただ無為に不安な日々を過ごす人々は、仕事を得ると同時に心の支えをも手に入れたのだ。
「完成した呪符は、難民キャンプでも使いますが、ネモラリス本国や周辺諸国の【編む葦切】学派の職人さんに安く買取ってもらっています」
「魔術のことはよく知らんのだが、そんなことをして値崩れせんのかね?」
「殆どの難民は素人ですから、【灯】や【炉】、【魔除け】など簡単なものばかりです。大半の呪符は、きちんと術を学んだ者でなければ作れません」
力ある民のアサコール党首が、キルクルス教徒のラクエウス議員にもわかるように説明する。
「呪符は、工業的な大量生産ができないんですよ。職人さんは日々の暮らしでよく使う呪符を作るので忙しいんです」
「ふむ。それはわかった。だが……何故、一般に流通させんのだね」
「それこそ、値崩れを起こすからですよ。それに、【編む葦切】は呪符も作りますが、魔法の道具を作るのが本業ですから」
「ふむ。それで?」
魔術の素養のないラクエウスにも、だんだん話が見えてきた。先を促すと、アサコール党首は、水を一口飲んで話を続けた。
「ラクリマリスの湖上封鎖で水運が滞り、【無尽袋】の需要が高まりました。これは素人には作れませんが、呪符作りの負担を少しでも減らして、プロの労力を袋に振り分けたいのです」
「成程な」
……そう簡単にはゆくまいが、確かに、何もせんよりマシだろうな。
「術の特性上、生きた家畜や青物は【無尽袋】に入れられません。ですが、少しでも、物価の上昇を抑えられれば、成功と言って差し支えないでしょう」
「難民支援と職人の過労防止、物価高騰の抑制……それらを合わせて国内外の不満解消か」
「仕事が上手く回って、効果が一斉に現れてくれればいいんですけどね」
党首自身、流石にそこまでの夢は見ないらしい。口許に皮肉な笑みを浮かべ、軽く流した。
ローテーブルに広げた草稿を示して言う。
「今は、魔哮砲が何であるか、真実を伝える言葉を練っています」
「それはいつ発表するんだね」
ラクエウス議員が勢い込んで聞く。
「幾つかの場合を想定しています。ひとつは、ネモラリス軍が魔哮砲を回収し、再び利用した時。これは、おわかりいただけますね?」
「これ以上、使わせない為……だな?」
アサコール党首は力強く頷いた。
「次は、ラクリマリスやアーテルなど、他国に発見、捕獲された時。言い訳になりますが、与党を中心とした一部の議員と軍部の暴走によるもので、ネモラリス国民の総意ではないことを強調します」
「ネモラリス軍の利用でも、そうだな」
「はい。我が国への国際的な批難は免れませんが、少しでも、一般国民や国外難民……それに、ネモラリスに親戚の居るラクリマリス人や、アーテル人を守る為でもあります」
魔哮砲は、七百年程前に造られた魔法生物を兵器に転用したものだ。
遙か古、アルトン・ガザ大陸で兵器として開発された魔法生物……三界の魔物が暴走。爆発的に増殖し、多くの国々を滅ぼした。
世界に散らばった三界の魔物は、人々の英知と戦力を結集し、数千年掛かりで駆除された。その戦いは、地形が大きく変わる程、激しかったと伝わる。
三界の魔物の最後の一体は、あまりに強大で倒せなかった為、二千数百年前にラキュス湖北地方に封印された。
その封印の年が、今に続く「印暦」の元年だ。
ラクエウスが信仰するキルクルス教はその頃、三界の魔物との戦いで魔力がほぼ枯渇したアルトン・ガザ大陸で成立した。
力なき聖者キルクルスが、二度と三界の魔物の惨禍を招かぬよう、智で「魔術なき世界」を導く。科学文明を奨励し、魔術を「旧時代の悪しき業」と看做す。
魔法文明を奉じる国々でも、三界の魔物による惨禍の再来を防ぐ為、製法を記した【深淵の雲雀】学派の魔道書は焚書され、その術を修める者は年を追うごとに減少した。
封印後もしばらくは、厳しい規制の下で魔法生物の製造が続く。だが、五百年程前に【深淵の雲雀】学派の術者が絶えてからは、製造も全面禁止だ。
未使用で封印された魔法生物が、稀に遺跡などから発見されるが、世界中で兵器利用が禁じられる。
湖北地方に封印された三界の魔物は、ムルティフローラ王国が少しずつ縮小させるが、二千年以上経つ現在も、瘴気を吐き出し続けると言う。
世界中……特に封印の地に近いラキュス湖地方では、三界の魔物の再来を思わせる「兵器化した魔法生物」の存在自体、受け容れられるものではなかった。
「なかなか、理解を得るのは簡単ではなかろうがな」
ラクエウス議員が眉を下げて嘆息すると、アサコール党首は淋しげに同意した。
「それでも、一言も弁明しなければ、アーテルに殲滅戦の口実を与えてしまいます」
「まぁな。いずれ、歴史が証明してくれることを祈る他あるまい」
「そうですね。それで、メッセージ公開条件の残るひとつは」
アサコール党首は水で口を湿し、キルクルス教徒の無所属議員ラクエウスを見詰めた。
☆魔哮砲は、七百年程前に造られた魔法生物を兵器に転用……「0241.未明の議場で」「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照




