0402.情報インフラ
アサコール党首はこの家をよく知るのか、迷わず奥へ進み、一室の扉を開けた。
「私が借りている部屋です。どうぞ」
客間らしい。白い部屋にはベッドと籐椅子、ローテーブルの他に家具はなく、広い窓からはアミトスチグマ王国の夏の都がよく見えた。
白い家々がなだらかな丘に並び、ラキュス湖まで続く。穏やかに輝く青い湖水に昼網の漁船が行き交う。ラクエウス議員は、アミトスチグマ王国の沿岸部が、ラクリマリス王国による湖上封鎖の範囲外なのを思い出した。
籐椅子に腰を落ち着けると、アサコール党首は水差しからグラスに冷水を注ぎ、ラクエウス議員に勧めた。
「改めまして、お久し振りです。ラクエウス先生」
「君も……無事な姿を見られて安心したよ」
「それ、意外と似合いますね」
冗談口をきいたアサコール党首の笑顔は弱々しい。スマーフら落命を確認できた党員の名を幾つも上げ、岩山の神スツラーシに小声で祈りを捧げる。キルクルス教徒のラクエウス議員も、静かに瞑目した。
彼らは、魔哮砲の使用に異議を唱え、与党多数派と軍の手で議員宿舎に軟禁された。綿密に計画を練り、雨の夜に脱出作戦を決行。国会議員と外部の協力者らが、ネモラリス正規軍を相手に術と銃で死闘を演じたのだ。
ラクエウス議員は、若手議員のクラピーフニクの協力で辛くも脱出できた。
二人は互いの潜伏場所や、活動場所の具体的な地名は出さず、この数カ月、何をして過ごしたかだけ語る。
アサコール党首率いる両輪の軸党は、支持母体のネモラリス建設業協会と連携。空襲の被害状況を先程の板……タブレット端末で撮影して記録し、インターネットで公開した。
記録映像に湖南語と共通語で字幕と音声を付け、周辺諸国のみならず、世界中にアーテル共和国による一方的な攻撃の被害を訴え、支援を要請し続ける。
「我が国は、科学方面の情報インフラが完全に遅れていますからね」
魔法文明中心のラクリマリス王国でさえ、ここ十年余りで急速にインターネットの接続環境を整備した。湖南地方の他の国々も、スクートゥム王国などの一部を除き、科学の情報インフラが整いつつある。
「この戦争が終わったら、早急に整備を進めねばなるまいな」
「そうですね。今はせいぜい、その穴を最大限に利用しましょう」
この三十年で、ラクリマリス王国は聖地巡礼の観光収入、アーテル共和国はアルトン・ガザ大陸のキルクルス教諸国からの経済支援で急速に復興し、新しいインフラの整備が着々と進む。
いずれもないネモラリス共和国は、大きく後れをとった。半世紀の内乱からの復興さえ道半ばだ。その上、今回の戦費と復興の予算を捻出しなければならない。
ネーニア島とネモラリス島は湖南地方の他の国々同様、魔物や魔獣に阻まれ、有線の電話網さえ不十分だ。費用と技術的な問題、作業員の安全確保など課題は山積みで、新しい情報技術……インターネットの接続環境が整う日がいつになることやら、ラクエウス議員には皆目見当がつかなかった。
……アーテルに侮られて当然だな。
無所属のラクエウス議員は、祖国の国際的な立ち位置を改めて思い、嘆息した。少数派のキルクルス教徒とは言え、祖国を憂える気持ちに変わりはない。
アサコール党首は、老議員ラクエウスの胸中を察したのか、淋しげな笑みを浮かべ、ローテーブルに書きかけの草稿を広げる。
「弱者だからこそ、できる戦い方があります」
「お涙頂戴と言う奴かね」
「流石、話が早い。これがなかなか侮れないんですよ」
アサコール党首は、老議員の皮肉に我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。
「難民の少女が、国民健康体操の曲に平和を願う詩をつけて歌った動画……ご存知でしょうか?」
「うむ。儂の耳にも届いておる」
「あれで相当な資金が集まりました。お陰で、難民キャンプの食糧事情がかなり改善したんですよ」
スニェーグが、クラピーフニク議員の支援者から聞いてきた情報と同じだ。アサコール党首の口から語られる難民キャンプの現状に耳を傾ける。
国連機関や人権団体などに寄付が集まり、一日一食しかなかった食糧が、朝夕二回に増えた。
資金に余裕が出たことで、難民キャンプの支援者らは、キャンプで暮らす人々にタブレット端末を配布した。
端末本体の購入費用だけでなく、通信費などの維持費が必要な為、一人一台とはゆかない。数十人から百人前後に一台の割合だが、全く何もないよりは余程いい。
端末は、ニュースなどでの情報収集や、学校に行けない子供たちの勉強にも活用する。また、難民有志にあの歌の練習をしてもらい、合唱の様子を撮影した動画をインターネットに公開した。
その動画で、世界中に向けて支援を訴えると同時に広告収入を得られた。
動画で得た収入は、チヌカルクル・ノチウ大陸中部・東部の国々での医薬品と呪符素材の買い付けに回した。ラキュス湖周辺地域では、戦争の影響で品薄になり、価格が高騰して手が出ない。輸送費を差し引いても、遠方で購入した方が安い。
人権団体はインターネットで情報をやり取りし、国境を越え、そうした支援にまで手を広げてくれた。
☆スマーフら落命を確認できた党員……スマーフ議員「0273.調理に紛れて」死亡記事「0378.この歌を作る」参照
☆魔哮砲の使用に異議……「0241.未明の議場で」「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆雨の夜に脱出作戦を決行……「0277.深夜の脱出行」参照
☆難民の少女が、国民健康体操の曲に平和を願う詩をつけて歌った動画……「0290.平和を謳う声」「0324.助けを求める」参照




