0399.俄か弟子レノ
呪符職人が、完成した呪符をもう一台の机に置いた。乾燥台として使う机には、既に何枚も並ぶ。
「君は力なき民だから、呪文は知らないんだよね?」
「少しだけ教わりました。知ってれば、呪符を使えるからって」
「へぇー、何の呪文?」
小柄な呪符職人が、作業机から身を乗り出した。
「俺が教えてもらったのは【魔除け】です。それと、呪歌の【癒しの風】も。実際、呪符を使ったこともありますよ」
「そうなんだ。じゃ、【灯】を作れるようになったら、次それ頼むよ」
呪符職人が次の羊皮紙を用意しながら言う。紙同士がくっついて一枚だけがなかなか取れない。
……【灯】とか【魔除け】って、攻撃用の呪符じゃないのに要るのか?
素人のレノを使い、貴重な材料を消費してまで作る必要性があるとは思えない。彼も呪医セプテントリオーたち同様、武闘派ゲリラを止めたくて協力するフリをするのだろうか。
何となく、それを聞くのは危険な気がして、苦笑を浮かべて誤魔化した。
「書くの凄く難しくって……【魔除け】はかなり先になりそうですけど、いいんですか?」
「いいよ。【灯】の呪符も、他の素材と交換してもらえるから」
「そうなんですか?」
呪符職人の意外な言葉に思わず驚きが漏れた。
「呪符は嵩張らないし、力なき民の人でも使えるのもあるから、割と色んな物と交換してもらえるんだ。現金と違って実用性があるし」
「頑張ります!」
武闘派ゲリラの手伝いだが、作り方をしっかり身につければ、後の生活が楽になる。前途に希望ができたレノは、なるべく余計なことを考えず魔獣の消し炭を粉にした。
小さな鮮紅の飛蛇でも、魔獣の消し炭の粉は、パン皿くらいの大きさの平皿に山盛りになった。呪符を書き写し続けて凝った肩がほぐれ、指先の痛みも引いた。
……職人さん、俺の休憩と気分転換の為に作業させてくれたのかな?
呪符職人が、レノの知らない呪符を書き上げるのを待つ間、芯を引っ込めたボールペンで【灯】の見本をなぞった。
「作業、終わりました」
「ん? ……あぁ……有難う。じゃあ、インクの調合もやってもらおうかな」
完成を見計らって声を掛けると、職人は夢から醒めたように机から顔を上げた。
「水知樹の樹液と、魔獣の消し炭は割よく使うインクだよ。今、僕が書いたこれとか」
「へぇー……」
何の呪符か知らないが、呪符職人が仕上げたばかりの呪符は、黒と緑と青で複雑な呪印と呪文が描いてある。
「【灯】や【魔除け】は、鶏の生き血と水と魔獣の消し炭で作ることが多いな」
「鶏を調達するまで、【灯】の呪符はムリってコトですか?」
「そうなるね。呪印だけ書く呪符なら、水知樹の樹液でいいんだけど」
「どう言うコトですか?」
昨日、呪符職人自身の口から、作る呪符の種類によって専用の素材があると聞いたばかりだ。
「えーっとね、【灯】とかの呪文なしで、印だけ描く呪符。これだったら書くの簡単だし、素材も他のと共通でいいんだけど、力ある民でないと使えないからね」
「それって、イミあるんですか?」
「あるよ。その術の分、呪符に魔力を蓄えられるから、本人の魔力を節約できるし、【炉】や【魔滅符】、【魔除け】とかは、魔力を上乗せして威力を上げられるんだ」
「そんな使い方もできるんですか」
知らないことだらけのレノは、素直に感心した。
職人はやわらかな笑みを浮かべ、俄か弟子にインクの作り方を丁寧に説明する。
「大きい方の薬匙三杯分の水知樹の樹液と、すり切り一杯分の魔獣の消し炭。液と粉は別の薬匙を使って、混ぜるのはガラス棒を使ってね」
「はい」
レノは職人に渡された小さな絵の具皿を受け取り、【水知樹】と書かれた瓶を開けた。ツンとした刺激臭が鼻を突く。
「それ、臭いよね。でも、水知樹の樹液で作ったインクは長持ちするんだ。鶏の生き血は半日くらいしか使えないから、その度に鶏を絞めなきゃいけなくて色々大変なんだよ」
「ホントに大変なんですね」
「まぁねぇ。でも、細かい作業が苦にならない人なら誰でもできるから、【飛翔する鷹】学派の武器職人に比べたら、人数多いけどね」
武器職人の【飛翔する鷹】学派は、自身も魔物などと戦う魔法戦士となり得る。石ころなど、何でも武器にして戦い、僅かな魔力で最大限の攻撃を加える術が多い学派だと言う。
レノは瓶をゆっくり傾け、薬匙で少しずつ受けた。匙がいっぱいになったところで止め、皿にあける。三杯分きっちり量って注ぎ、瓶に蓋をした。
計量を見守った職人がにっこり笑う。
「言うの忘れてたけど、それ、肌に触れたら爛れるから、気を付けてね」
「……もし、ついた時はどうすればいいですか?」
「すぐに水で洗い流すんだ」
「わかりました」
少し粘性のある液は透明で、こぼれていてもわかり難い。
レノは、水知樹の樹液を入れた皿をひっくり返さないよう気を付けて、魔獣を焼いた炭の粉を量って入れた。粉が液面にさっと広がり、透明な樹液を黒く染める。薬匙をガラス棒に持ち替え、静かにかき混ぜた。液体の粘度が下がり、さらりとした黒インクになる。キツい臭いもなくなった。
ダマがなくなるのを見届け、レノは思わず溜め息を吐いた。
「できた? ちゃんとできたら、触っても大丈夫になるから安心していいよ」
「それ聞いて安心しました」
「お疲れさん。じゃあ、さっきの続きどうぞ」
生きた鶏が手に入るまで、レノはずっと練習らしい。だが、正確に書けるようになるには、まだまだ練習が必要だ。複雑な思いで、ひたすら手を動かし続けた。




