0387.星の標の声明
二人は何も言わず、大通りを北へ歩く。
地上の街カルダフストヴォーの道は、歩道と車道に分かれるが、車は滅多に通らなかった。どちらもアスファルトではなく、石畳だ。熱せられた白い石の上を二人の影が通り過ぎる。
等間隔に植わる街路樹は、カルダフストヴォー市ができた当初からここに在るのか、どれも枝を大きく広げ、道行く人々に安らぎを与える。
大通り沿いの店は、テロ現場へ救助に向かう人々の姿が見えなくなると、普通に商売を再開した。
古いビルが並ぶ大通りを抜け、住居を兼ねた小さな店が連なる商店街に入った。夕飯の買い出し客で魚屋や八百屋、食料品店が賑う。
「さっきの話が間違いだったみたいに平和ですね」
「或いは、テロリストがここまで侵入できない……させない自信があるのかもしれません」
呪医セプテントリオーは足下の石畳を指差した。よく見ると、文字のようなものが彫ってある。ファーキルが気付いたのを見て取り、呪医は歩きながら説明した。
「ここに来るまでの道も全て、【魔除け】【防火】【耐震】と【跳躍】除けが施されていました。建物にはもっとたくさんの防護が幾重にも掛けられて、ちょっとした砦になりそうな物件が何棟もありましたよ」
「じゃあ、建物に逃げ込めば、大丈夫なんですね?」
「恐らく。それでみなさん、落ち着いていらっしゃるのでしょう」
ファーキルは、呪医がそんな部分に注目して歩いていたのかと感心した。魔法使い……それも、元軍医だ。当然のことながら、ファーキルとは眼の着け所が違う。
……それに、キルクルス教の原理主義者なら、こんな呪文だらけの道、歩けないよな。
ファーキルは脇道に入り、住宅街へ向かう。
老婦人シルヴァが拠点にする老人宅に着く頃には、伸びた影が暑さを和らげてくれた。
「取敢えず、場所だけ」
「そうですね。シルヴァさんはお留守のようですし」
周囲の家々は灯が点り始めたが、この家の窓はまだ暗い。老人は起きているのか寝ているのか。シルヴァは日に何度か世話をしに行くと言っていたから、大丈夫なのだろうが、テロがあったと聞いた後では、少し心配になった。
「あら、坊やどうしたの?」
ファーキルはギョッとして振り向いた。シルヴァと一緒に居る時、何度か顔を合わせたことがある近所のおばさんだ。
「こんにちは。お医者さん、来てもらえたんですけど、おばあちゃん、まだ帰ってなくて、今日の合言葉わかんないし、どうしようかなって」
「あらあら」
おばさんは気の毒そうに首を振った。呪医が話を合わせる。
「今日はもう遅いですし、また今度にしましょう。聞いたところ、今すぐ別条がある症状ではありませんから」
「さっきバス停でテロがあったそうですよ。物騒だから、それがいいわ」
おばさんの話に二人は顔を見合わせた。
「あら、知らなかった? 大橋のとこの大きいバス停で、トラックが爆発したのよ。建物は無事だったけど、破片で怪我した人が結構居て、大変だったみたい」
「その人たちは、もう大丈夫なんですか?」
「えぇ。亡くなったのは、トラックの運転手さんだけらしいわ。いつも荷物の配達してる島の人だから、本土で積んだ荷物に混ぜられちゃったのね。気の毒に」
「あいつら、戦争中でもテロするんですね」
ファーキルが喉の奥から絞り出した声に、おばさんは街の南へ目を遣った。
ここからでも、夕日に輝く巨大な吊り橋の威容が見える。
入道雲が茜色に染まり、真下の湖に夕立をもたらす。塒へと帰る鴉の行く下を虫を食む蝙蝠が舞う。低いビルと民家が雲と同じ色に染まり、青々と茂る街路樹で蝉が鳴く。夕飯の匂いが風に漂った。
あの橋の袂で血腥い事件が起きたとは、信じられない穏やかな風景だ。
「あの人たちにとっちゃ、私らなんて、アーテル人の内に入んないんだろうね。呪医も気を付けなよ」
おばさんはやれやれと肩を竦めると、買物袋を抱え直して家へ入った。
ファーキルは、鞄からタブレット端末を取り出し、ブラウザを起動した。
ランテルナ島のFM局のサイトを開く。トップページの一番上に爆弾テロ発生の見出しが、大きなフォントで表示された。充電器を夕日に向けてリンクを踏んだ。
呪医がファーキルの隣に立って画面を覗く。
テキストが事件の概要を説明し、音声が詳細を伝える。
今日、午後三時五十分頃、巡回バスの南ヴィエートフィ大橋ロータリーでトラックが爆発。積荷の搬出作業をしていた運転手が死亡し、周辺に居た五人が重軽傷を負った。
数分後、荷台の荷物が二度目の爆発を起こしたが、これによる死傷者はない。
負傷者は呪医の手当てを受け、全員が治癒。これまでのところ、周辺の建物への被害は報告されていない。
キルクルス教原理主義団体「星の標」が、ホームページで「ネモラリスと通じる悪しき魔法使いの巣窟を焼き尽くすまで、我々は裁きの炎を絶やさない」との犯行声明を発表。
午後六時現在、アーテル政府からは、この事件に関する発表はない。
「……帰りましょう」
呪医セプテントリオーに肩を叩かれ、ファーキルは呪縛が解けた。端末をのろのろ鞄に仕舞い、街の北門へ歩きだす。
一番星が瞬き、濃紺の帳が降りてきた。
湖の民が一緒だからか、門番は何も言わずに北門を通す。呪医セプテントリオーは、ファーキルと手を繋いで【跳躍】の呪文を唱えた。
☆老婦人シルヴァが拠点にする老人宅……「0269.失われた拠点」参照




