0385.生き延びる力
ファーキルが同乗したトラックは六月初旬、ツマーンの森で、火の雄牛となんだかよくわからない真っ黒な魔獣に遭遇した。
移動販売店プラエテルミッサは魔獣に追われ、モースト市へ逃げ込んだが、ラクリマリス王国軍の北ヴィエートフィ大橋守備隊は壊滅。火の雄牛が放った火球で、巨大な鉄扉がひしゃげて開かなくなった。
血の臭いを嗅ぎつけ、他の魔獣の群も押し寄せたとは言え、魔装兵主体の王国軍でさえ敵わなかった化け物相手に戦えとは、死ねと言われたに等しく思えた。
呪符屋は疑わしそうに聞く。
「坊主、ホントにわかんねぇのか?」
「だって、魔獣と戦うなんて、考えたコトもないのに」
ファーキルは暗い声をこぼして鎮花茶に視線を落とす。視界の端で、店主の口許がにやりと笑みの形になった。
「ウチを何屋だと思ってんだ?」
「あっ」
顔を上げると、いたずらっぽく笑う店主と目が合った。隣で呪医が小さく首を傾げる。
「呪符屋さん」
「そう言うこった。ウチは運び屋の待合所じゃねぇんだぞ」
……でも、それだと別に呪符代も掛かるんだよなぁ。
ウェブマネーの支払いは受付けてもらえない。
薬師アウェッラーナと工員クルィーロに【急降下する鷲】学派の術を習得してもらえれば、費用は要らないが、流石に二人だけに命懸けの負担を強いるのは酷だ。今でさえ、魔法薬作りでかなり無理してもらっている。
アウェッラーナは【跳躍】を行使でき、いつでもゼルノー市の焼け跡へ帰れる。立入制限のせいで跳べないだけで、ある程度復旧が進んで規制が解除されれば、他のみんなを置いて一人でなら帰れるのだ。
……王都の神殿で家族を捜したいって言ってたけど、それだって規制がなくなれば、おうちの人が船で帰るかも? で、やっぱ、ゼルノー市へ様子見に帰るよな。
クルィーロもそうだ。力ある民だが、魔法が苦手だから工員になったのだろう。
ずっとみんなと一緒に居られる訳でもない。もうイグニカーンス市の実家には戻らないと決めたのだ。この先、一人で生きてゆかねばならない。
そもそもファーキルは、歴史の真実と、現在のアーテル政府や軍の所業をアーテル人に伝える為、家族と祖国を捨てたのだ。
アーテル領内で当初の目的を果たすのは非常に危険だ。厚意で助けてくれた移動販売店プラエテルミッサのみんなに迷惑が掛かってしまう。
……事を起こすなら、みんなと別れてからだよな。
そして、生き延びなければ、伝えられない。
「呪符って、何と換えてもらえるんですか?」
「呪符の素材や魔法薬、魔法の道具類辺りだ」
呪符屋の店主は、一覧表を三枚寄越した。呪符の名称と交換品の一覧だ。
ファーキルはざっと目を通した。一枚目は、交換品が呪符素材の場合、二枚目は魔法薬、三枚目は魔法の道具や日用雑貨、食料品その他だ。
力なき民でも何とかなるのは、素材と食料品だけだが、初めて目にする名称や、獲れそうもない魚や栽培が難しい果物などが並ぶ。自力で採れるのは傷薬になる薬草と地虫と蝉くらいしかなかった。
「この表、もらってもいいですか?」
「あぁ、構わん。その為のコピーだ」
「魔獣の消し炭とありますが、魔獣の種類は何でも構わないのですか?」
横から覗いた呪医が聞く。呪符屋はなんでもないことのように答えた。
「あぁ、何だっていいんですよ。左右口の獣でも、鮮紅の飛蛇でも、跳び縞でも何でも、何せ、魔獣を焼いた炭が要るんです。よく使うインクになるもんでね」
跳び縞なら、ファーキルもイグニカーンス市の外れの草原で見た。
二本脚で立って跳ねる草食の魔獣だ。
大人しく、人間には危害を加えない為、都市近郊では駆除されないが、麦や野菜を食べてしまうので、農村部では自警団や猟友会が出動する。
追い詰められれば、角と太く大きな尻尾で反撃するらしいが、普通の銃でも戦える魔獣だ。
……でも、猟銃とかないしなぁ。
包丁などで戦うとなると、勝てる気がしなかった。
角で刺されるか、ごつい尾で打たれるか。いや、それ以前に逃げられてしまうだろう。二階建ての民家を軽く跳び越して逃げるのをテレビで見たことがある。銃があっても、あんなに速く動く魔獣に当てられる気がしない。
呪符屋の店主は、簡単な獲物を教えたつもりだろうが、ファーキルは一層、萎れてしまった。
「……でも、魔獣を獲るのにやっぱり、呪符が要りますよね?」
「そうなるか。やっぱり」
ファーキルは残念そうな店主に申し訳なくなった。気持ちを切替え、魔法の道具類との交換一覧に目を通す。
……あっ! これなら!
各種護りのリボンは、【魔滅符】十枚と交換できるとあった。
星の道義勇軍の三人が編んだ蔓草細工の帽子は、郭公の巣で魔法の品と交換してもらえる。あのリボンを使いこなせる者は、一行の中には居なかった。
「あ、あの」
「ん? 何だ? 交換品を負けてくれってのは、ナシだぞ」
「あ、いえ……【魔滅符】って、どのくらいまでいけますか?」
「せいぜい、こんくらいまでの、実体化したばっかの奴くらいまでだな」
呪符屋の店主が、両手で人間の赤ん坊くらいの円を描く。ファーキルは椅子を降りながら言った。
「それ、お願いします。交換のアテがあるんで」
ファーキル自身が驚く程の明るい声に、呪符屋の店主と呪医が顔を見合わせた。
☆火の雄牛となんだかよくわからない真っ黒な魔獣に遭遇……「0299.道を塞ぐ魔獣」参照
☆北ヴィエートフィ大橋守備隊は壊滅……「0302.無人の橋頭堡」「0303.ネットの圏外」参照
☆蔓草細工の帽子は、郭公の巣で魔法の品と交換……「0356.交換の選択肢」参照




