0384.懐かしむ二人
雑居ビルの階段から、地下街チェルノクニージニクに降りる。ファーキルは、一度通っただけの道順を鮮明に思い出せた。
見覚えのある看板を辿り、曲がりくねった通路を行く。
あの日は早朝の営業時間前だったが、今は昼過ぎで人通りが多く、煉瓦敷きの通路には、商品と床置きの看板が幾つもはみ出す。
二人は、はぐれないように手を繋ぎ、身体を斜めにして躱しながら歩いた。
不意に、呪医セプテントリオーが足を止める。定休日で、シャッターの下りた店だ。通行の邪魔にならぬよう端に寄る。
「呪医、どうしたんです?」
「このお店……知っていますよ」
「えっ?」
「軍に居た頃、何度か来たことがあります」
「じゃあ、次からはここへ【跳躍】」
「できませんよ。地下街全体に【跳躍】除けの結界が掛かっていますから」
呪医は苦笑して、ファーキルの言葉を遮った。
魔法使いなら当然の防犯対策だ。それに、営業日ならこの場所には人が居る。結界がなくとも、こんな所へ跳ぶのは危険だ。考えなしに発言したのが恥ずかしくなり、ファーキルは黙って呪医の説明に耳を傾けた。
「当時は何カ所か、【跳躍】許可地点がありましたが、今も残っているか」
ファーキルは、鞄からタブレット端末を取り出した。起動してネットの接続を確認する。繋がったことにホッとして画像フォルダを開いた。
「前に来た時、道順を写真に撮ってて、何度も見返したから憶えてたんです。このお店も撮っときましょうか?」
「いいんですか? 写真の枚数、大丈夫ですか?」
「枚数?」
「フィルムの残り」
そこまで言って、呪医セプテントリオーは、口を噤んだ。違うことに気付いたらしい。ファーキルも、昔のカメラのことを言われたのだと察したが、具体的なことはわからないまま、曖昧に頷いて説明する。
「容量はまだまだ余裕があるんで、大丈夫ですよ」
店名がないので何屋かわからないが、シャッターに描かれた絵を撮り、呪医に確認してもらう。
「有難うございます。食堂ですよ。昔は、このすぐ近くに階段があって、何事もなければ、お昼はちょくちょくここに来ました」
「そうなんですか」
嬉しそうに言う呪医に頷いてみせ、ファーキルは看板を見上げた。
文字はなく、きのこを咥えた二匹の魚が円を描いて煉瓦敷きの通路を見降ろす。木製の看板は、日射しや風雨に晒されない地下街で、二百年以上前から客を迎え続けたらしい。
今も同じ経営者が同じ味を守るのか、シャッターの中はどんな様子か。
「道具屋さんは遠いんですか?」
「いえ、もうちょっとです」
呪符屋の扉を開けると、店主一人が無愛想にファーキルを迎えた。狭い店内は、改めて見回すまでもなく、隠れる場所などない。
ファーキルに続いて、湖の民の呪医セプテントリオーが遠慮がちに入った。店主はオヤと眉を上げ、心持愛想のいい声で新規の客を迎えた。
「いらっしゃい。ウチは呪符屋だ。薬素材も少し扱うが、何が要り用だい?」
「いえ……すみません。私はこの子の付き添いなんです」
呪符屋のおっさんは、同族の男性からファーキルに視線を移動する。言葉もなく驚いた目を向けられ、ファーキルは少し気マズくなった。
「えーっと、つい最近、この島で知り合ったんです」
「そうか。まぁ、座れや」
湖の民の呪符屋は二人に背を向け、お茶の準備を始めた。
ファーキルは、麻袋を椅子の背に引っ掛け、鞄をカウンターに置いて、納品する薬を出した。呪医セプテントリオーが、その隣に遠慮がちに腰を降ろす。
「あんた、見ねぇ顔だな」
「えぇ。最近……来たばかりなので」
湖の民二人が、互いに緑の瞳で相手を窺う。カップに注がれた鎮花茶の香が店内に満ち、ファーキルは知らず知らず入っていた肩の力が抜けた。
呪符屋が少し角の取れた声で質問を重ねる。
「じゃあ、この街も初めてか。ごちゃごちゃで、迷子ンなりそうだろ?」
「そうですね。王国時代に何度か来ましたが、すっかり様子が変わって」
「上に街ができてて、たまげたろ」
「えぇ。当時は畑でしたからね。店長さんも、その頃からここで商売を?」
呪医セプテントリオーがさりげなく質問する。ファーキルは鞄から薬入りの巾着袋を取り出し、椅子に落ち着いた。
「若い時分は他所で修行してたんだ。一端の職人になって、さぁ独立しようかって時に丁度、腥風樹の始末が終わったって聞いてな」
「それからずっと、こちらで?」
呪符屋は頷いて、鎮花茶のカップを二人の前に置いた。
「店がヒマな時、上へ行ってどんどん家が建つのを見んのは面白かったな。……坊主、今日はどの薬だ?」
ファーキルは、巾着袋からコピー用紙で作った封筒を出し、薬師アウェッラーナから聞いた通りに説明した。店主は耳を傾けながら幾つか開披して確認する。包み直して薬包紙を数え、帳簿に付けた。
「何のかんの言って、素材も順調に集まってるみたいだな」
「まぁ……植物系は……あの、ホントに火の雄牛の角とか、四眼狼の眉毛とか、魔獣……獲らなきゃダメですか? って言うか、この島、居るんですか?」
質問する声が、だんだん震えてくる。
魔獣から素材を採るには、存在の核を壊してはいけない。物理攻撃のみか、魔法は敢えて急所を外し、物理攻撃でトドメを刺さなければならないのだ。
移動販売店プラエテルミッサの持ち物で武器になりそうなのは、包丁とカッターナイフ、裁ち鋏くらいしかない。ソルニャーク隊長たち三人は、星の道義勇軍で戦闘訓練を積んだそうだが、魔獣との実戦経験があるか、聞かなかった。
「居るから、駆除も兼ねて頼んだんだ」
「そんな無茶な」
呪医セプテントリオーが、ファーキルに代わって抗議の声を上げた。
「この島じゃ、力なき民でもそんくらいできなきゃ、長生きできんぞ。軍も警察も俺たちを助けちゃくれんからな。あんたたちも、行くにせよ、残るにせよ、戦う力は必要だ」
「力なき民でもって……どうやってあんなのと戦うんですか?」
ネーニア島で遭遇した火の雄牛を思い出し、ファーキルは泣きそうな震え声で聞いた。
☆あの日は早朝の営業時間前……「0173.暮しを捨てる」「0174.島巡る地下街」参照
☆ネーニア島で遭遇した火の雄牛……「0299.道を塞ぐ魔獣」「0300.大橋の守備隊」「0303.ネットの圏外」参照




