0383.空の路線バス
「そろそろお昼にしましょう」
二人は、破壊された港の跡に出た。腥風樹の駆除後、ランテルナ島の南東に連なる小さな入江のひとつに整備された港町は、半世紀の内乱で滅びた。
今は、草の間に建物の基礎だけが見え隠れする遺跡だ。漁港か貿易港か、もうわからない。
東には、フナリス群島の島並が灰色に霞む。水鳥の群が翼を陽光に白く輝かせ、風に乗って高く昇った。
呪医が持って来た堅パンは、もしもの時の為にとって置いて、今朝レノ店長が焼いたパンを頬張る。タンポポの葉を混ぜた緑のパンは香ばしかった。
……店長さん、今頃どうしてるかな?
ネーニア島の拠点へ行ったレノ店長たちの顔を思い浮かべる。実戦ではなく訓練だけだから、命に別条ないと思うが、銃が暴発したら……との不安は残る。
ファーキルは、気持ちを落ち着かせようと瓶入りの水を飲んだ。汗がどっと噴き出す。
「塩も舐めた方がいいですよ」
呪医に小指の先くらいに固めた塩の塊を分けてもらい、口に含む。干し杏と一緒に飲み下すと、汗がすっと引いた。
呪医はちびちび水を飲み、緑青飴を口に含んだ。
三十分ばかり食休みする。
夏の日射しを受けて輝く湖面には一隻の船もない。
南に目を凝らすと、南ヴィエートフィ大橋の先に繋がる大陸がぼんやり見えた。もっと視力がよければ、対岸のイグニカーンス市の街並も少しは見えるだろうが、ファーキルの眼では無理だ。
イグニカーンス市付近の空軍基地から飛び立つ戦闘機はなく、なんてコトない平和な夏の昼下がりに見える。
……でも、戦争してんだよな。
エンジン音に振り返る。呪医も車道に警戒の眼を向けた。
身を隠せる場所はない。
「……あぁ、あれ、路線バスですよ」
「そのようですね」
二人は安堵して、その行く先を見遣る。南ヴィエートフィ大橋方面へ向かうバスは、二人の後ろをゆっくり通り過ぎ、少し先で停まった。
……あれっ? この辺、バス停なかったハズだけど?
エンジンが停止し、前扉が開く。制服姿の運転手が降りてきた。人の良さそうな陸の民のおじさんが、車道の端から声を掛ける。
「あんたら、こんなトコで何やってんだ?」
運転手に心配する声を掛けられた。
どう誤魔化せばいいか、咄嗟に思いつかない。ファーキルは呪医を見た。
「遺跡を巡っているのですよ。昔の港の」
「船もないのにそんなの見てどうすんだ? 昼時も過ぎたし、もう街へ戻っちゃどうだ?」
「そうですね。そろそろ行きましょうか」
呪医に声を掛けられ、ファーキルは頷いて立ち上がった。
「お財布、持ってこなかったんで歩いて帰りますよ」
「どうせ空気しか乗ってないんだ。二人くらい構うもんか。乗ってけ」
「よろしいんですか?」
「まぁ、【跳躍】すりゃ一瞬だろうけどよ、たまにゃバスも悪かないだろ?」
運転手に勧められ、二人は厚意に甘えることにした。運転席の真後ろの席に並んで座る。車内はエアコンが効いて涼しい。汗だくのファーキルは肌寒さに身震いした。
「二人で何話してたんだい?」
「昔のことを聞いてました。古い王国の時代には、腥風樹って言う毒の木が生えてて、大変だったとか」
「へぇー、あんた、長命人種なのかい?」
ファーキルが言うと、運転手は緑髪の呪医をミラー越しに見た。陸の民の運転手に頷いてみせ、セプテントリオーが聞き返す。
「えぇ。あなたは?」
「俺? 俺は力なき民だから、この仕事してんだ。戦争が始まってから、人の行き来がめっきり減って、毎日あっちからこっちへ空気運んでるだけだ」
バスを走らせながらぼやく。
ランテルナ島は、アーテル領内で生まれた力ある民を隔離する島だ。
この運転手のように、島生まれの力なき民も住むが、魔法使いは大抵【跳躍】で移動する。運転手は、ただでさえ少ない利用者の減少を頻りに嘆いた。
十分ばかり行くと、南ヴィエートフィ大橋の袂に着いた。イグニカーンス市から来たバスが、ロータリーで折り返す。
「よぉーし、終点だ。……ご乗車、有難うございました。またのご利用を心よりお待ち申し上げます」
運転手は、昇降口を屋根付きのバス停にぴったり横付けにし、仰々しく言って扉を開けた。
「有難うございます」
「運賃、本当によろしいんですか?」
「あぁ、いいってことよ。みんなには内緒だけどな。次からバス停で料金払ってから頼むわ」
バスを降りた二人に笑顔で手を振り、運転手は車体を回した。
……戻っちゃったな。
あの日、悲愴な決意を固めて家を出て、このロータリーに降り立った。あの日と変わらない街並に陽炎が揺らめき、夏の日差しが濃い影を作る。
「こっちです」
物珍しげに辺りを見回す呪医に声を掛け、ファーキルは歩きだした。
陸の民と湖の民が混在し、呪医セプテントリオーも通行人にすんなり溶け込む。この街の医師は白衣を着ないのか、それとも逆に見慣れた存在なのか、誰も彼の白衣を気にしない。
ファーキルは、人通りの多い道を歩きながら人々を観察した。道行く人はこの時期にしては厚着だ。半袖は一人も見えない。みんな刺繍や染色で呪文や呪印を施された魔法の服だ。
白衣のセプテントリオーより、半袖のTシャツと無地のズボンで、夏らしい服装のファーキルの方が周囲から浮いていた。




