0039.子供らの一夜
クルィーロたちは昨夜、民家の車庫で一夜を明かした。
この一帯も停電しており、どの家も灯が点らなかった。
術の【灯】や蝋燭すら点らないのは、住人が避難したからだろう。
小学生二人に住人への呼び掛けをさせてみたが、どの家も全く応答がない。
戸を叩いても、呼び鈴を鳴らしても、声を掛けても、何の反応もなく、子供たちの間に不安が募った。
日が暮れれば、魔物や雑妖が力を得る。
クルィーロについて来たのは、力なき民の子ばかりだ。
魔物に襲われれば、ひとたまりもない。
クルィーロ自身も、魔物と戦い、身を守る術は知らない。
……どこか、どこか避難できる所……いっそ窓割って他人ん家に? いや、ダメだ。流石にそれはマズい。どこかないかッ? せめてチビたちだけでも。一軒くらい残ってないのかよッ?
少しでも子供たちの不安を和らげようと、アマナに鉛筆を借り、術で【灯】を点した。辺りが月光のように淡い光に照らされる。
皆、疲れ切っていたが、愚痴ひとつ零さず、クルィーロについてくる。
先生より正しい判断をした大人で、この場に居る唯一の魔法使い。
クルィーロに頼る他、生き残る術はなかった。
十数人の子供たちの生命を背負い、若い工員は避難できる場所を探し、土地勘のない地区を彷徨った。
黄昏が深まり、家々の陰で雑妖が蠢く頃、開け放しの車庫を見つけた。
一階が車庫で二階が住居。余程、慌てて避難したのか、シャッターが上がったままだ。
「アマナ、ちょっとここんち、呼んでみてくれ」
「うん」
アマナとエランティスが、手を繋いで階段を上がり、玄関へ向かう。中学生のピナティフィダも少し遅れて上がった。
他の中学生たちは、クルィーロと共に階段の下で待つ。
アマナが呼び鈴を鳴らし、エランティスと声を揃えて呼び掛けた。
「こんばんはー。ごめんくださーい」
しばらく待って再び呼び鈴を鳴らす。
ここも応答がない。居留守ではなく、避難したのだろう。どの窓からも灯が漏れていない。
「うん。もういい。ありがとう。戻ってくれ」
三人を呼び戻し、がらんとした車庫に入った。
コンクリ打ちっ放しの四角い空間は清掃が行き届いていた。
夕日は差さないが、雑妖の姿はない。
隅に工具箱と洗車用の水道がある。クルィーロは蛇口を捻ってみた。水は出る。念の為、【操水】の術で水を起ち上げ、床、壁、天井を洗い流してから、子供たちを招じ入れた。
工具箱に【灯】を点し、車庫の中央に置いて言う。
「男子、荷物置いたら全員、外に出ろ。女子はここで待って」
男子中学生六人は戸惑いながらも、リーダーと認めた大人の指示に従った。
幼い妹が、泣きそうな声で兄を呼び止め、ついてくる。
「待って。お兄ちゃん、どこ行くの?」
「トイレ。もうすぐシャッター閉めるから、先に済ますんだ。女の子たちは、男子が終わったら、【灯】を渡すから」
アマナはそれで安心し、こくりと頷いた。
三軒離れた家と家の間に溝があった。
溝の中で無数の雑妖が蠢く。少年たちは互いに顔を見合わせたが、クルィーロが夜中に車庫から出るのは危険だと言うと、諦めて用を足した。
車庫に戻り、クルィーロは【灯】をピナティフィダに渡して、先程とは反対側の溝に案内した。
「じゃ、何かあったら、大声で呼べ。すぐ行くから」
そう言い残し、車庫に駆け戻る。
休む間もなく、再び水道水を起ち上げ、人肌より少し温かい湯にして男子中学生を洗う。一人洗う度に湯の汚れを捨て、六人全員を洗った。
汗が冷え、顔色の悪かった少年たちが、ホッとして床に座る。
疲れ切っていたが、戻ってきた女子十人も洗い、最後に自分を洗って水と汚れを外の道路に捨てた。
「よし。これで全員戻ったな?」
子供たちに確認し、シャッターを降ろす。
内側の面に【魔除け】の呪文と印が描かれていた。
……助かったッ!
「日月星 蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
クルィーロはシャッターに掌を押し当て、力ある言葉を読み上げる。
術は間違いなく発動し、シャッターが真珠色の微かな光に包まれた。
緊張が緩み、疲れがどっと押し寄せる。
クルィーロが【灯】の傍に腰を降ろすと、アマナがしがみついた。妹を抱きしめて横たわる。闇に引きずり込まれるように意識を失った。
冷たく固いコンクリートの床でも、眠っただけマシだったようで、朝には少し、元気を取り戻していた。
子供らに水道水を飲ませる。
アマナを始め、水筒を持っている子には、満タンにするよう指示した。
【操水】の術で車庫を洗浄し、一宿の礼として外へ出た。
風はそうでもないが、大気はしんしんと冷え、息が白い。
無人の住宅街を恐る恐る歩く。
人は居ないが、鳩や雀、鴉などの野鳥は、いつも通りに囀っていた。
置き去りにされた犬が飼い主と餌を求めてしきりに鳴く。
幹線道路に出ると、昨日の渋滞が嘘のように車が減っていた。あるのは路上駐車の放置車両。時折通るのは、警察や軍の車両だった。
クルィーロはアマナと手を繋ぎ、無言で鉄鋼公園を目指した。
街区の案内板を見ると、ここがミエーチ区だと分かった。
なるべく東を見ないようにジェリェーゾ区へ向かう。そうして西側へ大きく回り込み、昼前にようやく、ゼルノー市立中央市民病院へ辿り着いた。




