0381.街へ往く二人
昨夜も念の為、同じ用心をして休んだが、武闘派ゲリラが留守だからか、一昨日よりよく眠れた。
いつもより早く朝食を済ませ、昨日と同じ八人がネーニア島の拠点へ跳ぶ。呪医セプテントリオー唯一人がすぐ戻った。
庭に残って待ったファーキルが、思い切って声を掛ける。
「呪医、おかえりなさい」
「……ただいま」
湖の民の呪医は面食らって固まったが、すぐ表情を緩めた。
「どうされました?」
ファーキルは、他のみんなが別荘へ戻って二人きりなのを確めて言った。
「今日も訓練だから、ゲリラの人たちは多分、怪我しないと思います。アウェッラーナさんのお薬もありますし……だから」
「私に【跳躍】で街まで連れて行って欲しいんですか? 生憎、私は」
「いえ、あの、徒歩で、ついて来て欲しいんです。カルダフストヴォー市の場所を呪医にも覚えて欲しいんです」
ファーキルは、呪医の早合点を慌てて訂正した。
呪医の緑の瞳が、ファーキルをじっと見詰める。
四百年以上の時を過ごした魔法使いの眼には、中学生のファーキルがどう映るのか。陸の民の少年は、湖の民の呪医の視線を受け止め、見詰め返した。
「いいでしょう。私も、現在の島をもっとよく知った方がよさそうです」
「現在……呪医は、旧王国時代に来たコトあるんですか?」
「えぇ。当時は、カルダフストヴォーと言う名の街はありませんでした。私が知る頃の面影は、きっと全く残っていないでしょう」
呪医セプテントリオーは視線を門外へ向けた。森の幻に遮られ、その先は見えない。本物の森に日が射し、小鳥や虫が目を覚ます。この世の生き物たちの賑やかな声に負けぬよう、ファーキルは声を張り上げた。
「じゃあ、ちょっと荷物取ってきます!」
「私も用意したいので、三十分程、待って下さい」
食堂で呪医を待つ間、ファーキルは荷物を点検した。
鞄の中身を出してみる。魔法薬を詰めた巾着袋。薬師アウェッラーナが昨日までに作った分だ。今回は粉薬ばかりなので、重量は大したことない。一回分ずつを呪符屋がくれた薬包紙に包んである。五種類をコピー用紙で作った封筒に分け、巾着袋にまとめてある。
昼食用のパンと昨日の残りの干し杏、飲料水の瓶二本。地図とタブレット端末と共に鞄へ詰め直した。
麻袋には蔓草細工の帽子。二人が被る分は別にして、メドヴェージから預かった交換用の十個を重ねて麻袋に入れた。郭公の巣のクロエーニィエ店長に交換品の販売価格を聞いて、転売するか、別の物との交換を交渉する。
呪符屋に頼まれた魔法薬は、一度に全部は運べない。街へ行く度に少しずつ届けるが、まだ五分の一にもならなかった。
この拠点の薬草園の素材で作った薬は、老婦人シルヴァに渡さねばならず、傷薬は武闘派ゲリラに渡す約束だ。薬師アウェッラーナの負担は大きいが、ファーキルたちには素材集めや、手でできる作業しか手伝えない。
……それに、魔獣から採る素材が困るんだよなぁ。
呪符屋の店主は「ムリすんなよ」とは言ってくれたが、勘弁してやるとは言わなかった。どうにかして手に入れなければならないのだろう。
薬師アウェッラーナは、火の雄牛の角は肝硬変の薬の素材だと言った。呪符屋から聞いて作った一覧では「素材をそのまま渡す物」だ。呪符素材としても使えるのだろう。
……魔法で存在の核を壊すと、この世の身体が全部消えちゃうから、物理攻撃で倒すか、魔法は急所を外して倒さなきゃいけないんだよな。
力なき民のファーキルは、魔法で手加減ができるかどうかさえわからない。銃ならどれだけ撃てばいいのか。それ以前にこの魔獣をみつけられるのか。遭遇して生きて帰れるのか。
……あの人たち……一生、ネーニア島に帰れないんじゃあ?
薬師アウェッラーナは【跳躍】できるが、他は無理だ。
戦争が終われば、北ヴィエートフィ大橋を渡れるようになるかもしれないが、終戦の仕方によっては、二度と渡れないかもしれない。それに、また橋を落とされる可能性もあった。
「お待たせしました。行きましょう」
呪医セプテントリオーは病院の白衣を着て、その下にウェストポーチを巻いて来た。よく見ると、白衣の裾や袖には白糸の刺繍がある。護りの呪文だろう。白衣の胸ポケットに【青き片翼】の徽章を捻じ込んで門へ向かう。
「呪医、坊主、気ィ付けてなー」
「危なくなったら【跳躍】で逃げてますから、大丈夫ですよ」
門まで見送りに来てくれたメドヴェージに手を振り返し、ファーキルは呪医と手を繋いで森の幻に足を踏み入れた。
右手は呪医と繋ぎ、左手を前に出して一歩ずつ足下を確めながら進む。
驚いたバッタがキチキチ鳴きながら飛び出した。幻だと知っていても、木の幹にぶつかって行くのは何となく怖い。
ファーキルの左手が突き抜けるのを見て、呪医が息を呑んだ。
「どの木が幻か、憶えているのですか?」
「いえ……えーっと、門と同じ幅の道があるらしいんですけど、俺もちょっと自信ないんで、こうやって触れるか確めてるんです」
「そうでしたか」
呪医はファーキルに倣って空いた手を前に出した。足に触れる草の感触は本物だが、木の幹は全部、何の手応えもなく手が突き抜ける。
広場に出た途端、二人は大きく息を吐き出した。呪医が来た道を振り返る。
「成程……これは全くわかりませんね」
「でも、目印を置いたら、【幻術】で隠した意味なくなっちゃいますからね」
「確かに」
ふたりで苦笑して広場から車道へ続く道を歩く。蝉だけでなく、ファーキルの知らない何種類もの虫たちが盛んに鳴いていた。
☆同じ用心……「0365.眠れない夜に」参照
☆昨日と同じ八人……「0366.覚悟はあるか」参照
☆火の雄牛の角は肝硬変の薬の素材……「0303.ネットの圏外」参照




