0378.この歌を作る
自由に外出できない点については、議員宿舎と変わらない。だが、自らの意志でここに居る点が大きく異なる。兵の監視もない。
魔哮砲の使用に反対した国会議員は、賛成派の手によって宿舎に軟禁された。数カ月掛けて外部の者と密かに連絡を取り合い、雨の夜に脱出を図った。監視兵と戦闘になり、混乱の中、双方にどれ程の死傷者が出たか不明だ。
ラクエウス議員は、若手議員のクラピーフニクに守られ、辛くも脱出した。
クラピーフニク議員の【跳躍】で彼の支持者スニェーグ宅に移動。現在も匿われて暮らす。
あの雨の夜から季節は移ろい、今は盛夏だ。スニェーグ宅の庭では薔薇が咲き誇り、濃い緑の上の白い塊を蜜蜂が忙しく飛び回る。陽光を受けた薔薇が今を盛りと輝く。
ビルの谷間にポツンと取り残された古い家だ。正午を挟む二時間は、強い陽射しが降り注ぐが、後は影に入る。随所に呪文らしき模様が描かれ、半世紀の内乱でも無傷だったらしい。
日中、スニェーグは仕事兼情報収集に出掛ける。力なき民のラクエウス一人で留守番するが、家の中は涼しく快適だ。空調機が見当たらないので、これも魔術の為せる技だろう。エアコンの効いた部屋では痛くなる膝が、ここでは全く痛まない。
……皮肉なものだな。
ラクエウスの信じる聖者キルクルスの教えは、魔法を「悪しき業」と断ずる。
クラピーフニク議員が魔法で外部と連絡を取り合い、アサコール党首ら両輪の軸党、外部の【歌う鷦鷯】や【舞い降りる白鳥】学派の術者たちの連携がなければ、ラクエウスは今頃、どうなっていたかわからない。
与党の多数派を中心とする魔哮砲支持者らは、あの夜からかなり経ってようやく「議員宿舎が何者かの襲撃を受けた。多数の国会議員が殺害、または拉致されて行方不明の状態にある」と発表した。人命尊重の為、水面下で捜索を続けたが、拉致犯からの要求がないことから公表に踏み切ったと言う。
拉致された議員一覧が新聞に掲載された。国民の善意の通報を狙ったのだろう。
勿論、そこにはラクエウス議員やクラピーフニク議員の名もある。魔哮砲に反対した両輪の軸党の面々も、三分の二程が逃げ延びたようだ。アサコール党首や、料理教室で講師を務めたモルコーヴ議員らの名も連なる。
一緒に料理を作ったスマーフ議員ら、見知った人々の名を死者一覧でみつけ、ラクエウス議員は胸が痛んだ。
……アサコール党首たちは、何とか逃げ果せたのだ。それがわかっただけでも、よしとせねばな。
港へ向かった彼らは、捕まらずにどこかへ辿り着いたのだろう。ラクエウスは何とか自分を鼓舞した。
相当数の国会議員が失われたが、戦時下を理由に選挙は行われなかった。
夕方、スニェーグが帰宅した。【歌う鷦鷯】学派のソプラノ歌手オラトリックスも一緒だ。二人の無事な姿に安堵する。
夕飯はオラトリックスが腕を揮ってくれた。さっぱりしたトマトスープにタマネギが溶け、香草が食欲をそそる。白身魚の肉団子が口の中でぷりぷり弾け、その滋味に思わず目を細めた。
年寄り三人は濃厚なスープとパンを食べ進めながら、若者たちの活動を語る。
「コンサートに足を運んで下さるのは、それなりに余裕がある人なんですよね」
「えぇ。時間と懐、心と体……そして、志のある人の割合が高いので、我々の活動に協力して下さる方が多いのですよ」
ラクエウスはオラトリックスとスニェーグの言葉に頷いた。
脱出以来、ラクエウスは竪琴の先生ハルパトーラに変装してコンサートに出演する他、外出しない。この家を稀に訪う客としか顔を合わせない日々が続く。外部の情報は新聞とラジオ、スニェーグや協力者がもたらす話だけだ。
折角、命懸けで救出されたのに何もできない無力が恨めしい。
「でも、多くの国民は、そんな余力がありません。日々の暮らしを守るだけで精一杯なんです」
「何とかしたいと思っても、目の前のことに追われて、声を上げることさえできない方々が多いんですのよ」
「そんなに悪いのかね?」
「えぇ、ラクリマリス王国の湖上封鎖で物資が滞りがちですし、空襲で無一物になった人が多いですからね」
ラクエウスの問いにスニェーグが溜め息混じりに答えた。だからこそ、コンサートでは余裕のある人々に寄付を募り、物作りで経済を回すよう、家庭菜園や手仕事を促すのだ。
志と余裕のある人々の活動だけでは焼け石に水で、空襲の痛手を埋め合わせるには程遠かった。
リストヴァー自治区の復興が飛躍的に進んだのは、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国から支援の申し出があり、ネモラリス政府が受け容れたからだ。
アーテル共和国が宣戦布告で挙げた「キルクルス教徒の自治区救済」が成されれば、終戦……少なくとも、停戦交渉の糸口を掴む可能性が拓ける。また、自治区の工場が再建、フル稼働すれば、その分、国内経済が動く。
ネモラリス政府、与党は形振りに構えぬ程、追い詰められたらしい。
食器を片付け、スニェーグとオラトリックスが食卓に資料を置く。ピアノ奏者スニェーグが明るい声で話題を変えた。
「募集した歌詞は、思った以上に外国から寄せられています」
「インターネットとやらでかね?」
ラクエウスの問いに二人が頷く。
「湖南語圏……アミトスチグマの難民キャンプや、ラクリマリスの支援者の方々からが多いのですが、共通語に翻訳された動画のコメント欄には、この戦争とは無縁の国々からも寄せられています」
スニェーグの長くしなやかな指が、封筒から紙束を抜き、ラクエウスの前に広げた。寄せられた歌詞の案だ。
「コンサートの動画に寄せられたご意見には、主催者の口上を入れてはどうか、と言うのが多いんですよ」
「申し遅れましたが、今日は先生にご意見をお伺いしたくて参りましたの」
オラトリックスは広げた中から一枚抜いて、一番上に置いた。
インターネットで寄せられた案や意見を集計したものらしい。同案多数の内、最も多かった部分が一番上に記される。
以前のコンサートで主催者が発言した「共に手を取り合って、憎悪と悲しみの鎖を断ちましょう」を歌詞に入れて欲しい、との要望だ。
動画のコメントとして寄せられた意見には、数日前の時点で、八万件を越える賛同のチェックが入ったとの説明が添えられる。
ラクエウスは、その言葉を舌の上で転がし、頭の中で竪琴を爪弾いた。何度もそれを繰り返し、頭の中で弾き語りを試みる。この未完の曲は、同じ旋律が繰り返し使われる。言葉と旋律の繋がりを手探りで求めた。
スニェーグがそっと立ち、香草茶を淹れて戻った。食卓に爽やかな香気がふわりと漂う。
頭の中で曲と言葉が結びついた。
「……前半と後半に分ければ、どこかに組み入れられそうだな」
「分けるんですか?」
オラトリックスが怪訝な顔をする。スニェーグは、ラクエウスの顔と食卓の資料を交互に見た。
「ふむ。繰り返し出てくる旋律があるだろう」
ラクエウスは二カ所の旋律をハミングし、二人の反応を待った。ソプラノ歌手オラトリックスが旋律に言葉を乗せる。
「共に手を取り合って……憎悪と悲しみの鎖を『断ちましょう』のままでは、語呂が合いませんね」
「憎悪と悲しみを『断って』……とした方が、音数が合いますね」
「それに、次の言葉に繋げやすくなるな」
スニェーグの改変を肯定し、ふたつの箇所を実際に歌ってみた。旋律が離れている為、歌詞としては分割されるが、どちらも別の言葉を続けやすそうだ。
三人はそれぞれ、旋律に言葉を乗せた。
「やっぱり、先生にお伺いした甲斐がありましたわ。明日、楽団と合唱団のみなさんにお伝えしますね」
オラトリックスが喜んで帰るのを玄関で見送る。
庭の白薔薇が、むせかえるような香気を夜空に放った。
☆魔哮砲の使用に反対した国会議員は、賛成派の手によって宿舎に軟禁……「0253.中庭の独奏会」参照
☆雨の夜に脱出……「0277.深夜の脱出行」参照
☆クラピーフニク議員が魔法で外部と連絡……「0260.雨の日の手紙」参照
☆料理教室で講師を務めたモルコーヴ議員……「0272.宿舎での活動」「0273.調理に紛れて」参照
☆竪琴の先生ハルパトーラに変装……変装「0295.潜伏する議員」、ハルパトーラ「0306.止まらぬ情報」参照
☆以前のコンサートで主催者が発言……「0305.慈善の演奏会」参照




