0375.傾き揺れる心
針子のアミエーラは、夏物のズボンを一本完成させ、仕上がりを確認した。パン屋の姉妹と工員の妹は黙々と針を動かす。
武闘派ゲリラが戻って来た時にはどうなることかと思ったが、今は静かだ。モーフたちが、銃の使い方を教えると申し出てくれたお陰で、ネーニア島にある別の拠点に引き揚げた。
ランテルナ島のこの拠点は魔法で隠され、アーテル軍に見つかる心配はないらしいが、今度はいつ、あのゲリラたちが戻って来るかわからず、アミエーラは気が気でなかった。ソルニャーク隊長たちが庇ってくれなければ、あの男たちに何をされたかわからない。
アミエーラは恐ろしい想像から逃れる為、次に縫う生地に待ち針を打った。
……そうよね。ここは元々あの人たちが借りてたとこだし。
後から来た居候の自分たちが、出て行ってくれとか、もう来ないで欲しいなどとは言えない。
何とかして、別の居場所を探したいが、移動販売店見落とされた者の誰も、このランテルナ島に土地勘がなかった。
呪医セプテントリオーと葬儀屋アゴーニは、別荘の外に出たコトがないと言う。物件所有者の親戚だと言う老婦人シルヴァはある程度、土地勘があるようだが、聞ける雰囲気ではなかった。
……また、トラックで野宿なのかな?
それは既に経験済みで、リストヴァー自治区の自宅よりずっと居心地よく、苦にはならない。だが、魔物に襲われたり、アーテル軍にみつかることを考えると、安心できなかった。
戦争に巻き込まれたラクリマリス人の少年ファーキルは、老婦人シルヴァに頼んで、この島のどこかにある大きな街へ何度も行った。
だが、魔法で瞬時に跳ぶから、道順はわからないだろう。
ファーキルは、その街の道具屋にトラックを運べる魔法の袋の仕入れを頼んでくれた。それだけでなく、運び屋に運賃も尋ねてくれた。巻き込まれた不運なラクリマリス人の少年には、どれだけ感謝しても足りない。
……おカネがあれば、帰れるのよ。
運び屋は、ラクリマリス王国の王都までなら、連れて行ってくれるらしい。そこから先は船だ。ネーニア島へ安全に帰るには、遠回りして莫大な旅費を工面しなければならないらしい。
薬師アウェッラーナも、ゼルノー市まで【跳躍】の術で送ると言ってくれたが、ソルニャーク隊長が断った。メドヴェージが言ったように、色々助けてもらった恩返しをしたいので、アミエーラもそれはそれで構わなかった。
……それに、私はもう自治区には帰れないし。
あの大火で住む所を失い、唯一の家族だった父は行方不明だ。
仕立屋の店長が、ネモラリス島に居る遠縁の親戚を頼るようにと送り出してくれた。半世紀の内乱で亡くなったかも知れず、雲を掴むような話だ。
当時の住所と写真しか手掛かりはないが、アミエーラは他に宛がない。
荒っぽい武闘派ゲリラの男たちは、運転手メドヴェージが「子供らはみんな癒し手だ」と言うと手を引いた。癒しの術の使い手は、アミエーラが思ったより大切にされるらしい。
……アウェッラーナさんと二人きりになれたら、私も教えてもらおうかな?
店長宅で【魔力の水晶】を渡された時、初めて自分が力ある民だと知った。【水晶】に宿った魔力の輝きを思い出し、アミエーラは何とも言えない気持ちになる。
待ち針を打ち終え、まずは別布のポケットを袋状に縫う。みんなを採寸して、老婦人シルヴァが持って来た型紙を個別に調整するのに随分、手間取ってしまった。
ミシンがなく、全て手縫いするしかない。慣れない三人――しかも、そのうち二人は小学生――に仕立て方を教えながらの作業だ。
移動販売店のみんなの分だけでなく、型紙の対価にシルヴァの分も作る。この二カ月近く、四人掛かりで作業したが、まだ全員分は揃わなかった。
女の子たちはすっかり作業に慣れ、本職の針子に質問せず黙々と手を動かす。
隔世遺伝で魔力はあるが、アミエーラは自分にどんな術の適性があるか全くわからない。
まだ、魔女になる覚悟もないのにとは思うが、店長が持たせてくれた魔法の品々の恩恵で、何度も助けられた。店長が祖母から預かったと言う品々がなければ、クブルム山脈のどこかで死んでいただろう。
身を守る力は欲しいが、信仰やこれまでの人生を捨て去るのは、恐ろしい。湖の民アウェッラーナから、魔法の手解きを受ければ、後戻りできなくなる。
……店長はあぁ言ってくれたけど、司祭様は絶対、反対するでしょうね。お父さんだったら、何て言うかな?
聖者キルクルスの教えを捨て去り、「悪しき業」の使い手になる覚悟は、まだできなかった。
アミエーラは針を動かしながら、もう何度も繰り返した問いを自分に問い直す。目は、手元の針の動きを追うが、もう二度とは会えない懐かしい人々の顔がそこに重なった。
お茶の時間には、女の子たちが手掛けた分も仕上がった。白とやさしい緑色。工員の妹アマナは、薄紅色のTシャツに合わせてズボンは白を選び、パン屋の姉妹はTシャツと同じ色で作った。
「お兄ちゃんの分、渡して来るね」
部屋を出るアマナに、パン屋の姉妹が笑顔で手を振る。廊下の角を曲がって友達の姿が見えなくなると、笑みを消し、複雑な表情で顔を見合わせた。
パン屋の兄は、武闘派ゲリラと共にネーニア島の拠点へ行ってしまった。他にソルニャーク隊長とモーフ、高校生のロークと葬儀屋アゴーニも一緒だ。
今日は訓練だけだ。きっと大丈夫だろうが、姉妹の心配は痛い程よくわかった。
「私たちも休憩しよっか」
できるだけ明るい声で言い、アミエーラはできあがったズボンを畳んで重ね、二人を促した。
☆武闘派ゲリラが戻って来た時……「0360.ゲリラと難民」参照
☆トラックを運べる魔法の袋……「0333.金さえあれば」参照
☆あの大火……「0054.自治区の災厄」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆父は行方不明……「0059.仕立屋の店長」参照
☆仕立屋の店長が(中略)送り出してくれた……「0074.初めての作業」「0080.針子の取り分」「0081.製品引き渡し」→「0091.魔除けの護符」→「0099.山中の魔除け」「0213.老婦人の誤算」参照




