0374.四人のお針子
ラクエウス議員の事務所では、クフシーンカが作った計画書を基に人々が忙しく働く。
グリャージ港の仮復旧で輸入が再開し、リストヴァー自治区の食糧価格高騰はやや落ち着いた。便乗値上げした団地地区の店は白い目で見られつつ、便乗分を下げて素知らぬ顔で商売を続ける。
何はともあれ、バザーの売上で買える食糧が増えたことに変わりない。ラクエウス議員の支持者たちは、寄付品の仕分けに汗を流した。
「また、野菜が盗まれたそうですよ」
「どうせなら、手癖の悪い奴が焼けてくれればよかったのに」
誰かの呟きに溜め息が漏れる。
農村地区の支持者の発案で、苗ポットを作る事業も行った。
蔓草で編んだ苗ポット十個につき、野菜の苗一株と交換し、上手く育てれば茄子やトマトを食べられる。
植替え用に蔓草で植木鉢を編み、シーニー緑地や、クブルム山脈の山裾から土を採って来て、瓦礫置き場から回収したコンクリートブロックの上に置く。
シーニー緑地より東の地区は土壌の塩分濃度が高く、直植えできない為、苗ひとつ育てるだけでも大変な手間だ。
空缶に溜めた雨水や、日曜だけ開かれる公衆浴場の水道で汲んで水遣りし、虫がつけば取り除く。苗を手に入れた人々は、農家の指導を忠実に守って甲斐甲斐しく世話する。
だが、小さな実がついてから、東地区のあちこちで苗の盗難が頻発した。
「奪うことより、物を作り、作物を育てることを学び、収穫の喜びを知る人が少しでも増えてくれれば……と思ったんですけどね」
発案した農家のおかみさんが項垂れる。
東地区の工場前で食堂を経営したおばさんたちが、同情と諦めを口にした。
「泥棒はあんたのせいじゃあるまいし、気にしなさんな。下町じゃ前からあったコトだし、みんな今更、気にしやしないよ」
「前は星の道義勇軍の人たちが、空家になったバラックを取り壊して、廃材でプランターを作って、ウチらの店で出た生ゴミから種子を集めて、野菜を育ててたんだけどね」
「それもみんな、青い内から根こそぎやられてたよ。残ったのは食べられない雑草ばっかりだけど、それでもみんな、有難がってたさ」
「それで何で?」
農家のおかみさんが手を止めて首を傾げる。
「そりゃ、空家がなくなった分、風通しがよくなって雑妖が減るし、プランターが残ってれば草が生えて、涼しいし」
「食べられる草なら、野菜でなくても有難いからね」
バラック地帯だった頃の困窮ぶりは、農家のおかみさんの想像を遙かに超えたらしい。言葉を失ってしばらく固まったが、小さく溜め息を吐いて作業を再開した。
今の東地区は、クブルム山脈に近い一部を除いてバラックが一掃され、きちんと区画整理した上で仮設住宅やアパートなどが建てられた。下水道と仮設トイレ、排水溝が整備され、悪臭と雨の日の悩みが減った。上水道は充分とは言えないが、汚染された井戸水を飲む頻度が下がった分、以前より遙かにマシだ。
キレイになった街は雑妖が激減し、魔物の被害も減った。
冬の大火で人口は激減したが、教団などからの寄付が行き渡り、ここ数カ月と言うもの、餓死者を出さずに済んだ。
……それでも、他人の物を盗むのね。
野菜の苗だけではない。
焼け出された全ての者に行き渡ったタオルや肌着なども、洗濯して干す間に盗まれる。盗難防止の為、洗濯せずに着続ける者も居て、せめて室内に干すよう、役所が指導して回った。
農村地帯のように、武装警備員を街中に配置しなければならないのか。
……でも、お隣のゼルノー市や他の街はそんなコトないのに。
弟のラクエウス議員から聞いた自治区外の様子を思い出し、クフシーンカは胸に暗い思いを抱えた。
お茶の時間に作業を終え、自宅兼店舗に帰る。
アミエーラの代わりに雇った針子のアシーナとサロートカは、この二カ月弱でかなり腕を上げた。繕いだけでなく、巾着袋やエプロンなど簡単な物ならイチから作れるようになった。
「店長さん、おかえりなさい。もうすぐ夏祭なんで、私たち、踊りの練習したいんですけど、出勤時間ずらしてもいいですか?」
金髪のアシーナが明るく元気な声で聞く。大地の色の髪のサロートカは、屈託なく笑う同僚に批難がましい目を向けたが、何も言わなかった。
「サロートカは、踊りの練習に乗り気じゃないようね」
「はい。私はお裁縫、まだまだ下手なので、練習はこっちを優先したいです」
「えー? 付き合い悪ーい。……ねぇ、店長さん、夏祭の踊りは遊びじゃなくって信仰の為の踊りだし、いいですよね? 二時間くらい遅く来ても」
アシーナはサロートカを嘲り、クフシーンカに媚びた声音で甘えた視線を寄越した。
……断ったら、私が留守の間に不平不満をサロートカにぶつけて、仕事の手も抜くのでしょうね。
この娘は、「仕立屋の店長は夏祭の踊りの練習をさせてくれなくてケチで不信心だ」と被害者面で言い触れ回るだろう。
それは痛くも痒くもないが、大人しいサロートカと二人きりにするのは心配だ。
クフシーンカはこの二カ月弱で、アシーナが他人を批難したり、誰かを嘲り貶める為に信仰を持ち出し、自分では信心深いつもりでいることに気付いた。
聖職者の前では、猫を被っていたのだろう。
アシーナ自身はあまり賢いとは言えず、聖者キルクルスの教えをかなり履き違えている節がある。
今もそうだ。
教会の行事に参加すれば信心深く、乗り気でないサロートカを不信心だと批難して蔑む。
「聖者キルクルス様は、魔術ではない知識や技術を身に着けることを第一に説いていらっしゃいます。ここでお裁縫を頑張るのも勿論、教えに適う立派な行いなのですよ」
クフシーンカが言うと、サロートカは安心したのか、心持ち表情を緩めて小さく頭を下げ、アシーナは視線を尖らせた。
「二時間も遅くなったら、来る時暑いでしょうから、一時間になさいね」
「練習、途中で抜けなきゃいけないんですか?」
「そうよ。基本の型を覚えれば、おさらいは帰ってからでもできるでしょう」
夏祭で踊るのは、同じ型を一時間程繰り返す舞だ。アシーナは少し考えたが、巧い言い訳を思いつけなかったのか、渋々頷いた。
……その踊りが【踊る雀】学派の【祓魔の舞】だと知ったら、どんな顔するかしらね。
クフシーンカは若い頃、親友のフリザンテーマとカリンドゥラに教わった。
二人は【歌う鷦鷯】学派を修めた魔法使いだ。呪歌の歌い手である姉妹は、魔踊を舞う【踊る雀】学派の術者と共に、フラクシヌス教の神殿での活動が多かった。
【踊る雀】学派の術は呪文の詠唱を必要とせず、作用力の有無も問わない。魔力を持つ者が、力ある言葉を動作に織り込んだ舞を踊ることで発動する。
ラキュス湖南地方では、力ある民と力なき民の混血が進み、一族の中に魔力を持つ者と持たない者が混在する。それは、キルクルス教徒の家でも同様だ。
この地にキルクルス教が伝来したのは、ほんの二百数十年前で、力なき民のキルクルス教徒同士で婚姻を重ねても、魔力を持つ子が産まれることがある。半世紀の内乱前は、信仰について誰もがのんびりしたもので、フラクシヌス教徒と結婚するキルクルス教徒も居た。
以前雇っていた針子のアミエーラは、フリザンテーマの孫娘だ。フリザンテーマはキルクルス教徒の男性と結婚し、内乱後は力ある民であることを隠して、夫と共にリストヴァー自治区に移住した。
キルクルス教は魔力が枯渇したアルトン・ガザ大陸で生まれた宗教だ。
魔物や魔獣が多いこの地にも伝わったが、チヌカルクル・ノチウ大陸で頑なに信仰を守れば、生命を守れない。
チヌカルクル・ノチウ大陸西部のラキュス湖地方では、キルクルス教の聖職者や信者が信仰の解釈を曲げ、力ある言葉で呪文を唱えない【踊る雀】学派の魔踊を教会の行事に取り込んだ。舞い手の中に力ある民が居れば、術が発動する。
それどころか、事あるごとに唱える祈りの言葉も、共通語や湖南語に訳した【魔除け】などの呪文が含まれると言う。
聖者自身の教えが、元々魔術から完全に離れられなかったのか、後世の信者が身を守る為に教えを変質させたのか、定かではない。
……物事の上辺だけを見て、本当のことを知ろうともせず、その意味に思いを致すことすら思いつきもしない。
本当に信心深く聡明だったアミエーラ、困窮しても娼婦に戻らず新しい仕事を身につけようと懸命に努力するウィオラ、真の信仰をきちんと理解して技術の習得に努めるサロートカ。
三人の針子と渋々針を動かすアシーナの姿を内心、比較してしまい、クフシーンカは溜め息を吐いた。
☆クフシーンカが作った計画書……「0282.寄付の始まり」参照
☆日曜だけ開かれる公衆浴場……「0276.区画整理事業」参照
☆苗の盗難が頻発した……「046.人心が荒れる」参照
☆前は星の道義勇軍の人たちが(中略)野菜を育ててた……「0046.人心が荒れる」参照
☆冬の大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆アミエーラの代わりに雇った針子……「0294.弱者救済事業」参照
☆この地にキルクルス教が伝来……「0370.時代の空気が」参照
☆フリザンテーマはキルクルス教徒の男性と結婚……「0090.恵まれた境遇」参照




