0038.ついでに治療
モーフは車外に耳を澄ました。
複数の足音が、近付いてくる。
遅い。
ひとつは明らかに片足を引きずっていた。
「あの、この子、足挫いちゃってるんですけど、これも、イケますか?」
「程度によりますね。でも、何もしないよりマシですから、居て下さい」
若い男の声が遠慮がちに聞き、先程の少女が落ち着いた声で答えた。
青年と幼い女の子が、声を合わせて礼を言う。父子なのか、兄妹なのか。安堵と小さな喜びが声に滲む。
「それでは、お願いします」
先程の警察職員が改まった口調で言う。
若い魔女は頷いたのか、一呼吸置いて声が聞こえた。
……ん? あれっ?
少年兵モーフは拍子抜けした。
てっきり、何か魔法を使うのだと思って身構えたが、魔女は暢気な調子で歌い始めた。
歌詞は全くわからない。外国の歌なのか。
ちゃんと中学に通えたなら、少しは共通語がわかるようになる。世界の約四割で使用され、ネモラリスなどで使われる湖南語とは、文字の形も文法も全く異なる言語だ。
モーフが小学生の頃に父が亡くなり、それ以降はモーフも働きに出るようになった。中学にも一応、何度か行ってみたが、全く授業に付いて行けず、仕事に専念すると決めた。事実上、小学校中退だ。
職場の工場で信者グループに誘われ、廃工場の集会に参加するようになった。
去年からは家にも帰らず、廃工場で寝起きし、武器の組み立てを手伝い、戦闘の訓練も受けた。
今ではもう、立派な戦士だ。
この作戦では、既に多くの魔法使いを屠った。武器の扱いだけでなく、素手で戦う技も身に着けた。
……手が届くんなら、あんな歌すぐ止めさせてやんのに。何のイヤミだよ。クソ女めッ!
挽歌ならまだわかる。
フラクシヌス教の聖歌で死者を悼むなら、気持ちもわかる。
何の為に外国のバカみたいにノリのいい歌なんて歌うのか。
こんな状況で、楽しげな歌を歌える神経がわからなかった。
……魔法使いには、人の心なんかないってのは、やっぱ、ホントだったんだ。
この先、自分たちがどんな扱いを受けるのか。少年兵には全く予測がつかなかった。
怒りに曇ったモーフの目には、傷が癒えた自分の身体も見えない。
祈りの詞を呟いていた兵が、ゆっくりと包帯代わりのシーツを解く。
傷は拭い去ったように消えていた。元々命に関わる重傷ではないとは言え、初めて目の当たりにし、体験した魔法の癒しに、その兵が言葉を失くす。
恨み言を呟いていた兵は、解いたシーツをきつく編み、綱を作っていた。ソルニャーク隊長は何も言わず、その兵に自分の包帯シーツを差し出した。
隊長がそうしたので、少年兵モーフもそれに倣う。
そこでやっと、爆発物の破片が刺さった傷が塞がっているのに気付いた。
先程の遣り取りの意味がわかり、歯噛みする。
……クソッ! 癒しの魔法なんか使いやがって……ッ! 「ついで」って、巻き添えのコトじゃねぇかッ!
「どう? 歩けそう?」
【癒しの風】の詠唱を終え、薬師アウェッラーナが声を掛ける。
小学生の女の子は恐る恐る足を動かした。顔がパッと明るくなる。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「ティスちゃん、よかったね」
同じ年頃の女の子も声を弾ませた。
友達なのだろう。二人とも陸の民で、足を挫いた子は濃い茶色の髪、声を掛けた子は金髪だ。
アウェッラーナの周囲に集まったのは、十数人の中学生と小学生二人と、工場の青いツナギ姿の青年だった。
「あなたたち、今、来たばかりなの? ごはんは?」
湖の民の癒し手の質問に、全員が力なく首を振った。
「お水は、あの行列の先の水道が使えて、食べ物は、そっちのグラウンドで軍の配給があるわ。まだ、残ってればいいけど……」
「ありがとうございますッ! おい、みんな、食いもんあるってよ!」
青年の声で、子供たちが口々に礼を言いながら、鉄鋼公園へ駆けだす。
アウェッラーナも、警察職員に会釈して護送車から離れた。
「では、私もこれで……」
「ご協力、ありがとうございました」
若い警察官が、その後ろ姿を敬礼で見送る。年配の警察職員も、軽く会釈を返し、手を振った。
アウェッラーナはゆっくり歩いて、子供たちの後を追った。




