0371.真の敵を探す
「時代の……空気」
長命人種のセプテントリオーが「思い出」として胸に抱える事実を、ファーキルはアーテル政府が発行した教科書や、検閲を通した歴史書でしか知らない。
半世紀の内乱以降の時代に関しては、外国のサイトを違法アクセスで見るまで、他国から見たアーテルや半世紀の内乱への視点を知らなかった。
呪医セプテントリオーが、愕然とするファーキルに目を伏せて頷く。
「半世紀の内乱は、そんな時代の空気が生んだ争いです。各陣営やその指導者、中心人物だけを責めたのでは、単なる責任逃れに終わり、真の反省と平和は得られません」
「アーテルは反省しなかったから、また戦争を始めたんですか?」
ファーキルが聞くと、呪医は首を小さく横に振った。
「それも、原因の一端ではあるのでしょうが、全てではないでしょう。情報統制しても、思想までは統一できなかったから、ラジオで報道されたように、軍や政府の方針に正面から異を唱える人々が居るのでしょう」
音楽家団体の後ろには、それぞれのファンが居る。政治的な発言で醒めて離れる者も居るだろうが、心酔しきった一部のファンは、全てを擲ってでも、その音楽家についてゆくだろう。
アーテルの音楽家団体「安らぎの光」が抗議声明をネット上に出し、それを国営ラジオが報道したのも、ファンの後ろ盾があるからだ。
戦争反対を唱える一般人のデモは、軍や警察に呆気なく鎮圧された。逮捕者も出たが、戦争や逮捕に異を唱える知識人が逮捕されたという報道は、今のところ目に触れない。彼らが、逮捕されない一線を弁えるからだろうが、ファーキルは、何となくそれだけではないような気がしてきた。
「ファーキルさんが先日、見せて下さった航空写真で色々わかりました」
「色々……? 例えば、何ですか?」
「アーテルの復興状況です。半世紀の内乱で壊滅し、復興を諦めた所と、その分の予算を回して内乱以前より大きくなった都市、その中間」
ファーキルが生まれ育ったイグニカーンス市は、「中間」の中でもかなり上位の都市だと聞いた。
南ヴィエートフィ大橋の袂に位置する交通の要衝で、往時には北ヴィエートフィ大橋のモースト市と並び、大いに繁栄したと言う。復興予算が多く配分され、内乱の傷痕は殆ど残らなかったが、かつての栄華からは程遠いらしい。
独立後、アーテル地方最大の都市だったルフスを首都と定め、復興と同時に一極集中が進み、首都圏は現在も拡大中だ。
力ある民を排除した結果、西のストラージャ湾に面した諸都市は、魔物や魔獣を防ぎきれず、多くが放棄された。軍の駐屯地付近の都市は細々と存続するが、魔獣対策に多くの予算を割かねばならず、最低限の復旧は成ったが、復興には至らない所ばかりだ。
「それが、今回の戦争と関係あるんですか?」
「少なからず、関係するのではないか、と思っています」
呪医セプテントリオーは、木箱からファイルを一冊抜いた。パラパラ捲り、ひとつの切抜きを示す。
「武闘派ゲリラがまとめた情報です」
独立記念日に発表される「復興の歩み」特集の記事だ。
ファーキルも小学生の頃から、授業や宿題で何度も目にした。毎年恒例のまとめ記事だ。首都圏と、ラニスタ共和国に近い東部の発展と復興は右肩上がりだが、西部の復興は停滞気味だ。
「武闘派ゲリラは、この格差で生じた不満に目を付け、アーテル本土で協力者を手に入れました」
「えっ……!」
ファーキルは絶句した。そんな重要な情報を中学生の子供、しかも、この戦争の部外者であるラクリマリス人に漏らしていいのか。
……いや、呪医は、ゲリラの人たちを止めたくてここに居るって言ってた。俺をラクリマリス人だと信じてる。俺もネットで、この情報を拡散して欲しいのか?
自信はないが、そうでもなければ、子供のファーキルにこんな話をするとは思えない。
湖の民セプテントリオーの口から、予想外の言葉が語られる。
「国内の不満を逸らす為、アーテル政府には、共通の敵が必要なのでしょう」
「共通の、敵……?」
「三界の魔物の再来と成り得るかも知れない……魔哮砲の存在に危機感を抱いたのも、原因のひとつでしょうが、事情はそう簡単ではないと思うのです」
「じゃあ、魔哮砲や自治区の迫害のことは、バルバツムやバンクシアの援助を引き出す為の口実?」
「それもあるでしょうね。信仰の名の許に戦争を正当化する必要もあるのでしょう」
中立を謳う国連の常任理事国が、信仰を理由に殲滅戦に加担したとあっては、国際社会からの謗りは避けられず、国連の活動にも支障を来たす。
……呪医の言うことが全てじゃないし、合ってるかどうかもわかんないけど。
少なくとも、ファーキルには、筋が通っているように聞こえた。
「どうすれば、戦争を終わらせられるんですか?」
「わかりません」
湖の民の呪医は、ファーキルの目を見て即答した。緑の瞳に映るファーキルは、とても小さい。四百年の歳月を経た魔法使いは、十代半ばの力なき民の少年に言った。
「アーテルに蔓延する“現在の時代の空気”を知るには、過去がどう伝えられているか、知る必要があります。ラクリマリス人のファーキルさんにお願いするのは申し訳ないのですが」
「いえ、気にしないで下さい。俺……」
……本当は、アーテル人なんです。
その言葉を寸前で飲み込み、ファーキルは湖の民に笑顔を向けた。
「大した手間じゃないし、俺、大丈夫ですから」
「そうですか。有難うございます」
セプテントリオーが心から礼を言って頭を下げる。ファーキルはその誠実な姿に罪悪感が湧き上がり、作り笑いが引き攣った。
歴史の教科書は自宅に置いて来た。まさか取りに帰るワケにはゆかない。ランテルナ島も同じ教科書かわからなかった。
書店で一般販売していたとしても、カネがない。
ファーキルの学校は紙の教科書だったが、一部の学校では、電子版に切替えた。ダウンロード販売なら、動画の広告料が振り込まれれば、何とかなりそうだ。あと数日で振込予定日を迎える。
それまでは、この謙虚で聡明な魔法使いの手伝いを続けようと決めた。
タブレット端末にコピー用紙を重ね、カルダフストヴォー市の主要道路を書き写す。老婦人シルヴァが拠点にする例の老人宅への道順や、商店街、地下街チェルノクニージニクへの入口なども書き込んだ。
「よぉ。昼飯だぞ」
メドヴェージが、ノックもせずに入ってきた。ファーキルが窓辺に端末と充電器を置く背後で、呪医セプテントリオーが質問する。
「メドヴェージさんは今、お幾つですか?」
「何だい、呪医、藪から棒に?」
ファーキルが振り向くと、キルクルス教徒のトラック運転手は、苦笑しながらも呪医の唐突な質問に答えた。
「三十……五だったか、六だったか、細けぇのは忘れちまったが」
「そうですか。では、自治区で教育を受けたのですね」
「うん、まぁ、自治区へ引越す前のこたぁ、正直、ロクに覚えちゃねぇが、何だい?」
運転手が怪訝な顔で問いを重ねる。
呪医はやさしい微笑を浮かべ、廊下に出た。
「後で、自治区の学校のことを教えて下さい」
「俺が呪医に学校のお勉強を教えんのかい? 無茶言っちゃいけねぇ」
「あぁ、いえ、私が知りたいのは、自治区のみなさんが、歴史をどう教わったかです。アミエーラさんにもお尋ねしますが」
「そんなの知って、どうすんだい?」
ファーキルはメドヴェージと一緒に廊下へ出た。ひとつ答えられる度に別の質問が生まれ、メドヴェージは落ち着かない顔で不安を声に乗せる。
「今の時代の空気を作ったものを知りたいのです。過去を知れば、今の戦争を終わらせる手掛かりがみつかるかも知れませんから」
肩越しに振り向いた呪医の瞳が、新緑のように輝いた。
☆外国のサイト……「0183.ただ真実の為」参照
☆ラジオで報道された……「0328.あちらの様子」参照
☆戦争反対を唱える一般人のデモ……「0162.アーテルの子」参照
☆ファーキルさんが先日、見せて下さった航空写真……「0347.武力に依らず」参照
☆呪医は、ゲリラの人たちを止めたくてここに居る……「0319.ゲリラの拠点」参照
☆老婦人シルヴァが拠点にする例の老人宅……「0269.失われた拠点」「0289.情報の共有化」「0324.助けを求める」参照




