0369.歴史の教え方
訓練への参加を断られ、ファーキルは自分に何ができるか考えた。
……やっぱ、情報収集と提供……後は、森とかで素材集めくらいなもんか。
隊長と少年兵モーフ、レノ店長とロークは、葬儀屋アゴーニと共に北ザカート市の拠点へ行った。折角ネーニア島に戻れたが、北ザカート市は空襲で壊滅した廃墟だ。銃火器を扱う訓練をして、夕方にはまた、ランテルナ島の拠点へ戻る。
魔法使いの工員クルィーロは、薬師アウェッラーナの手伝いで部屋に籠る。
運転手メドヴェージは、ソルニャーク隊長に留守番を命じられた。日除けの帽子が、魔法の品と交換できるらしいとわかり、別室で蔓草細工に勤しむ。
力なき民のファーキルが、一人で森へ行くのは危険だ。
呪医セプテントリオーと共に書斎へ行き、ダウンロードした地図をコピー用紙に書き写す。新品の紙を分けてもらえたので、作業はどんどん捗った。
湖の民の呪医は、難しい顔で資料のファイルを読む。ファーキルがペンを走らせる音と、時折、呪医がページを捲る音だけが耳に触れた。
メドヴェージに渡すランテルナ島の主要道路地図を写し終え、ファーキルが顔を上げると、呪医と目が合った。
「今度、シルヴァさんと街へ行く時に調べてもらいたい件があるのですが」
「はい。いいですよ。何ですか?」
気安く応じると、呪医はホッとして続けた。
「アーテルの学校で、歴史をどのように教えるか……調べられますか?」
ファーキルは、顔から一瞬で血の気が引くのを感じた。顎が強張り、声を出せない。心臓が不吉な程、激しく拍動する。
硬直したファーキルを呪医が気遣う。
「大丈夫ですか?」
「……はい。調べられます。でも……どうして?」
なんとか絞り出した声はかすれ、抑えられない震えに揺れた。呪医セプテントリオーは、淋しげに微笑んだ。
「昨日、オリョールさん……ゲリラの魔法戦士と話した時に知ったのですが、ネモラリス共和国の若い世代は、旧王国時代を知りませんでした」
「旧王国時代……?」
「ラキュス・ラクリマリス王国……民主化前の時代です。ラキュス湖が現在の姿になってから、百八十年程前まで続いた王国です」
湖の民と陸の民の共同統治で、数千年の長きに亘って王朝を維持した。フラクシヌス教の信仰の中心地で、王家の血統は未だ絶えない。
力ある民や湖の民の家系には時折、何事もなければ千年近く生きる長命人種が生まれる。数千年の歳月も、ファーキルたち常命人種が思う程には、長くないのかも知れない。
「呪医は、ご存知なんですか?」
「えぇ。私は四百年以上生きていますから」
あっさり言われて、ファーキルはさっきの動揺が吹き飛んだ。呪医が、王国軍の軍医だったと言ったのを思い出した。
「どんな時代だったんですか?」
「私が知っているのは、末期のほんの二百年程ですが、のんびりした時代でしたよ」
湖の民セプテントリオーは、緑の瞳で遙かな昔を見詰めて語る。
「我々湖の民も陸の民も、信じる神の区別もなく、同じ王国の民として、普通に近所付き合いをしていました」
「それって、キルクルス教徒の人も、ですか?」
「えぇ。キルクルス教が西の鵬大洋を越えて、この地に伝わったのは、今からほんの二百数十年くらい前ですが、特に衝突することもなく、平和に暮らしていましたよ」
ファーキルは驚きに息を呑んだ。
「……魔法、ダメなのに……ですか?」
「彼らは、最低限の近所付き合いだけはありましたが、我々湖の民や、力ある陸の民とはなるべく関わらないようにしていましたね。我々の方でも、彼らの信仰を尊重し、無理に関わりませんでした」
「関わらないけど、近所付き合いがあったって言うのが、ちょっと想像できないんですけど?」
「そうですね。……例えば、挨拶や町内会の用事などは普通にして、魔法の治療は、拒否されれば、無理強いしませんでした」
「それで、死んじゃっても……ですか?」
「そうです。それは、キルクルス教が伝来してから、リストヴァー自治区ができるまで、ずっと続きました」
……何の為の信仰なんだ?
信仰の為に、助かる生命をむざむざ捨ててしまう。
ファーキルには到底、そんな気持ちは理解できなかった。
中学生のファーキルが知る独立後のアーテル本土には勿論、呪医は居ない。力ある民を隔離したランテルナ島には、居るかも知れないが、建前上は居ないと看做される。
科学の治療でどうにもならなければ、そこで諦めるしかない。
奇跡や新しい治療法の開発を聖者キルクルス・ラクテウスに祈る者も多いが、その願いが叶うのは稀だ。
「ラクリマリス王国にはキルクルス教徒が居ませんから、ご存知ないかも知れませんが、救急搬送された意識不明の患者を治療して、目覚めた時に自殺されたこともあります」
ファーキルは、感情を押し殺して過酷な経験を語る呪医に掛ける言葉がみつからなかった。
折角、助けられた生命を「魔法を使われたから」と言う理由で捨てる気持ちが、全く理解できない。
そして、原理主義団体「星の標」のテロを思い出した。
魔術の完全な排除を目指す彼らは、自らの命を魔法使いへの無差別殺傷に捧げ、その戦果をサイトで誇る。多くの国が、星の標を国際テロ組織に指定した。
呪医セプテントリオーは、ほんの僅かに表情を緩めて付け加えた。
「自治区で発生した重大な労災事故は、会社が治療費を払う場合に限って、ゼルノー市の市民病院に搬送されるんです。メドヴェージさんは意識があって、ご本人の了解が得られたので、心置きなく治療できました」
「キルクルス教徒でも、魔法の治療を受け容れる人って、居るんですか」
「えぇ。信仰にも色々ありますからね」
星の標や、それを容認するアーテル政府、テロリストの演説に聞き入る両親の姿が、ファーキルの脳裡を駆け廻る。近所の人たちも大体そんな感じだ。小学生の頃は、魔女狩りごっこなどという遊びも流行った。
その全てがイヤだった。
メドヴェージのようにゆるい信仰なら、誰も攻撃しなくてもいいのではないかと思った。あの運転手もテロリストらしいが、きっと何かやむにやまれぬ事情があったのだろう。
「聞いた話なんですけど、アーテル領内のネット回線には通信制限があって、外国のサイトには殆どアクセスできないそうなんです」
「私も、少し前にラゾールニクさんから教えてもらいました。アーテルでは、外国の情報をほぼ遮断しているそうですね」
ネット事情に疎い魔法使いが、意外なことを口にした。ファーキルは、呼称に聞き覚えはあるが、ラゾールニクが誰か思い出せないまま、頷く。
「そうです。情報統制があって、政府にとって都合の悪い情報は遮断されるって聞きました」
「湖南経済新聞は、発行されてますけどね」
呪医セプテントリオーが、手元のファイルに視線を向ける。整理分類された切抜きは、ほぼキルクルス教の機関紙と言える星光新聞、アミトスチグマに本社がある湖南経済新聞の二紙だ。
「紙の新聞も多分、検閲されてるんじゃありませんか? それに、サイトもアーテル版が別にあったので、こっちも多分、あっちの本社が載せてるのとは、内容が違うんじゃないかなって」
呪医セプテントリオーは、少し考えて言った。
「周辺国が伝える客観的な史実を国民に知られない為、でしょうね」
「……そう、なんですか?」
ファーキルが以前からずっと思っていたことを、ネットに疎い魔法使いが口にしたことに驚く。
「ラキュス・ラクリマリス王国……共和国は、フラクシヌス教の中心地です。半世紀の内乱中は巡礼にも支障が出ました。周辺国は、介入こそしませんでしたが、戦況や決着への関心は高かったのですよ」
ファーキルは家にいた頃から、ヤミで手に入れた違法ソフトで検閲や障壁を突破し、外国のサイトにもアクセスしていた。
そこには、教科書に載るアーテルの歴史や、キルクルス教徒への一方的な弾圧とは、全く異なる記述があった。
複数の周辺国が、各陣営の非人道的な行いを記録する。フラクシヌス教を奉じる陣営にも与せず、半世紀の内乱が終結するまで中立を守り通した。
「呪医の若い頃は、みんなで仲良く暮らせてたのに、どうして内乱になったんですか?」
呪医は答えず、窓外に緑の瞳を向けた。庭の木々が夏の日射しを受け、瑞々しい青葉を輝かせる。周囲の森から蝉の声が届き、残り僅かな生命の大合唱が物悲しく聞こえた。
☆ゲリラの魔法戦士と話した時……「0358.元はひとつの」参照
☆戦果をサイトで誇る/テロリストの演説に聞き入る両親の姿……「0293.テロの実行者」参照
☆アーテル領内のネット回線には通信制限……「0162.アーテルの子」「0183.ただ真実の為」「0265.伝えない政策」参照
☆少し前にラゾールニクさんから教えてもらいました……「0289.情報の共有化」参照




