3577.入院患者の死
「えッ……? 嘘……」
アミエーラは思わずタブレット端末を落としそうになって力を入れた。握りしめた指先が白くなる。
アミトスチグマ王国の夏の都にある自宅マンションで、夕食の片付けを終え、食卓でお茶を飲みながらニュースを読んでいた。
何かの間違いではないかと読み返し、関連記事を幾つも開いたが、詳しい情報が集まっただけだ。
ルフス神学校聖職者クラスの神学生クアエスツスが、警察病院の屋上から飛び降りたと言う。鎮痛剤系違法薬物による薬物依存症が寛解して、退院の話が出たばかりだ。
クアエスツスは、違法薬物と引換えにミェーフ大統領の暗殺を引き受け、ルフス神学校の正門前で実行。大統領の護衛を務める魔獣駆除業者クラウストラたちに捕縛された。退院後、テロと殺人未遂、爆発物取締法違反、違法薬物使用などの罪で裁判を受ける予定だった。
関連記事によると、クアエスツスの両親がルフス神学校を提訴したらしい。
保健室の鎮痛解熱剤が違法薬物でなかったなら、或いは、体調不良を訴えた時、直ちに病院へ連れて行くか、実家に帰してくれれば、クアエスツスは薬物依存症にならずに済んだと言うのが両親の言い分だ。
ルフス神学校に保健室の常備薬の点検を怠った責を問い、業務上過失傷害と違法薬物所持罪で刑事告発。民事の損害賠償訴訟も提起した。また、警察病院にも、患者の自殺を未然に防ぐ管理を怠ったとして、裁判を起こした。
ルフス神学校の聖職者クラスと言えば、アーテル共和国ではエリート中のエリートだ。クアエスツスは一人っ子なので、両親の無念は一入だろう。
神学生クアエスツスは、アミエーラが音楽の非常勤講師として接した限り、何事もなければ違法薬物に手を出すことなど有り得ない、況してやテロリストに加担するような子ではなかった。
ルフス神学校側は、両親の訴えに対して全面的に争う姿勢だ。
件の薬物は、バルバツム連邦で製造されたローシカ製薬の鎮痛解熱剤で、救援物資として正規ルートでルフス神学校を含む各学校園に配給された。箱とシート、錠剤の色と大きさ、形状まで本物と全く同じだ。成分だけが、違法薬物にすり替えられていた。
中身が違法薬物にすり替わっていることなど予見できず、養護教諭が鎮痛解熱剤の外観から違法薬物であることを疑うのも不可能だ。
アーテル共和国では、ローシカ製薬株式会社とライセンス契約を結んだ製薬会社の一部が、星の標や国家再統合反対派から資金を与えられ、箱とシート、成型機は正規品と同じものを使用した上で、違法薬物の成分で鎮痛解熱剤を密造した。
バルバツム連邦でも、同様の手口による犯行が疑われる。
ルフス神学校が、体調不良を訴えた神学生クアエスツスをすぐ病院に連れて行かなかったのは、どこの医療機関も深刻な人手不足だからだ。魔獣の襲撃による負傷者や薬物依存症などで、多くの病院は病床がすべて塞がる。五月に体調不良を訴えてすぐ病院に連絡したが、八月下旬の予約しか取れなかった。
実家に帰らせるにしても、燃料不足で車を動かせない。歩道脇の植込みなどでは土魚が犇めき、日中でも四眼狼など中型から大型の魔獣が徘徊する。都内であっても、徒歩での移動は危険だ。
保護者が迎えに来るのが不可能で、ルフス神学校も彼一人の為に車を出すことができない。
ルフス神学校の敷地内であれば、音楽の非常勤講師アミエーラ、フラクシヌス教の王都第二神殿が派遣するギームン神官と歌唱ボランティアが定期的に【道守り】で結界を張るので、少なくとも土魚からは守られる。
アミエーラには、クアエスツスを実家に帰らせなかったルフス神学校の判断が間違いだとは思えなかった。
……国が再統合してたら、王子様の薬で薬物依存症が治って、こんな目に遭わなくて済んだのに。
アーテル共和国とラキュス・ラクリマリス王国の国家再統合は、アミトスチグマ王国で得られる情報では、あまり進展が見られなかった。アーテル共和国で実施する国民投票では毎回、国家再統合への賛成が七割以上に上る。
大統領選挙では、星の標と国家再統合反対派による爆弾テロと【簡易結界】のロープを切断するテロが同時多発。多数の死者を出したが、それでも、国家再統合を公約に掲げるミェーフ大統領が三選した。
「この子、何も白状しなかったら、蜥蜴の尻尾切りされて終わりそうね」
あの事件の日、クラウストラが漏らした呟きが不意に甦った。
警察病院は、被疑者の脱走や死亡を防ぐ為に厳重な警備を敷く。実際、幾つもの記事が警察の不手際を糾弾した。通常なら有り得ない大失態なのだ。
記事のひとつは、警察病院では日頃、洗濯物を干す時以外は屋上のドアと屋上へ続く階段前のドアを施錠し、患者が上がらないようにしてあると報じた。
クアエスツスがどうやって屋上に上がったか不明だ。洗濯物を干しに上がった職員について行っても、普通なら気付かれるだろう。
あの事件の時点でのクアエスツスは、一応、会話が成立して、離脱症状は重症に見えなかった。
薬物依存症の治療は、様子を見ながら少しずつ減薬する。断薬に至るまでの入院期間は長くなるが、取調べできる状態になるのは最長でも一週間程度と聞いたことがある。
アミエーラは、彼の大統領暗殺未遂事件の続報をずっと追い続けたが、クアエスツスが自白したと言う記事を目にしたことがなかった。この記事の関連記事にも、自白の有無を報じたものはない。
……そう言えば、あの時、レフレクシオ司祭様が【明かし水鏡】で調べて、警察にも星の標が居るってわかったのよね。
現在も星の標が警察内部に居座り続けるか不明だが、クアエスツスが都合の悪い証言をする前に消された可能性を捨てきれなかった。
☆神学生クアエスツス……「3113.神学生の異変」~「3115.神学校で聴取」参照
☆保健室の鎮痛解熱剤が違法薬物……「3122.養護教諭の話」「3124.ハイとイイエ」参照
☆警察にも星の標が居るってわかった……「3125.警察に委ねる」参照




