3576.故郷の田舎町
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊のデルタ伍長は、久々にまとまった休暇を与えられ、連邦構成国のひとつ、マクルラ共和国のリラシナ市郊外に位置する田舎町に帰省した。
リラシナ空港まで迎えに来たのは父一人だ。涙を溜めた目で息子の無事な姿を確認し、両手で息子の顔を撫で、言葉もなく手を握りしめた。
父の運転で実家に帰る。
カーラジオからニュースが流れて沈黙を埋めた。
あの会議以来、バルバツム連邦では、ローシカ製薬株式会社の鎮痛解熱剤を買占め、フリマサイトで転売する事件が毎日のように発生すると言う。薬剤師資格のない者が医薬品を販売するのは違法だ。
転売者たちは摘発への対抗策として、SNSで合言葉を伝え、全く別の商品として出品するようになった。
先に取引相手とSNSで遣り取りして合言葉を伝え、医薬品ではない商品に偽装して出品した鎮痛解熱剤を落札させるのだ。
それを狙う詐欺事件も派生した。
フリマサイトの出品情報から合言葉らしき単語を含む商品を調べ上げ、偽装した違法薬物の商品情報をそっくりそのまま書き写して出品。違法薬物ではなく、書いてある通りの商品を発送して、不自然に高額な商品代金を騙し取る手口だ。
発送するのは出品情報通りの商品なので、ローシカ製薬製鎮痛解熱剤のつもりで落札した買い手は、出品者やフリマサイトの運営者に苦情を言うこともできず、泣き寝入りだ。SNSには怨嗟の声が溢れる。
……正規品が手に入らなくなるから、違法薬物の密売組織が儲かるだろうなぁ。
例の会議に通訳として無理矢理出席させられたデルタ伍長は、これからの惨状を想像して遠い目になった。
田舎町に着いたのは昼食時だ。
実家では、母と祖母がデルタ伍長の好物を作って待っていた。
「おなかすいたでしょう? 遠慮しないでどんどん食べてね」
「軍隊は美味しい物ちっとも食べさせてくれないんでしょ?」
食卓には、食べきれそうにない量のご馳走が並ぶ。
デルタ伍長は苦笑して聞いた。
「みんなも元気そうでよかったよ。姉さんたちも元気してる?」
「えぇ。みんな元気よ」
祖母が目を細める。
食卓に着いた父がデルタ伍長に言った。
「そう言えば、お前、凄いニュースに出てたな」
「凄いニュース?」
デルタ伍長は何となくイヤな予感がした。
母が瞳を輝かせる。
「魔法の国の王子様が居る会議」
「あぁ、あれ……俺、別に居なくてもよかったと思うよ? 何もかもお付きの人が通訳したから」
「リゴー君に教えてもらって動画ニュース最初から最後まで見たけど、立派だったわよ」
「え……いや、まぁ、あの……」
デルタ伍長はどんな顔をすればいいかわからず、郷土料理を口に入れた。挽肉と玉葱とキャベツが塩コショウでシンプルに味付けされた素朴なミートパイだ。久々に舌に触れたお袋の味は、子供の頃と何も変わらない。懐かしい味にホッとして、思わず頬が緩んだ。
「凄い美味しい」
「ふふっ、これ、小さい頃から大好きだもんねぇ」
祖母が目尻の皺を深くして笑う。
母が動画内の発言を思い出して聞いた。
「辞表を書いたの大分前なのに、まだ受取ってくれないのね?」
「うん。あっ、あの社長が通訳代にくれたおカネあるんだけど」
「折角だから取っときなさいよ。結婚資金とか色々要るでしょ」
母が言うと、祖母と父も頷いた。
「大勢を薬物依存症で苦しめて稼いだ汚いカネなんぞ要らん!」
あの会議以来、レーグルス王子が会議で叫んだ言葉が何度も鮮明に甦り、デルタ伍長はこのカネに手を付ける気がしない。思い切って言ってみた。
「会議では通訳しなかったのに受取るのどうなんだろって思ったんだけど、秘書の人が道中の通訳で助かったからって返金を受付けてくれなくて、でも、俺としてはこのカネ、自分の為に使うの気が引けるんだ」
「あんた昔から曲がったコトが大嫌いだもんねぇ」
母がしみじみ言って何度も頷き、父と祖母が同意する。
「それで、薬物依存症患者の支援団体に寄付しようと思うんだけど、どこに寄付するのがいいと思う?」
「お父さん、どこがいいと思う?」
母が父に話を振ったが、父も難しい顔をするだけで答えの持合せがないらしい。
祖母が助け舟を出してくれた。
「リゴー君に聞いてみればいいんじゃない? それか、あの子にあげるとか」
「受取ってくれるかわかんないけど、聞いてみるよ」
デルタ伍長はホッとして南瓜のスープを口に入れた。
祖母が険しい顔になる。
「それにしても、あの会社のお薬、危ないものだったのねぇ。有名な大企業の商品だから大丈夫だと思ってたのに」
「私たちはみんな元気だったから、痛み止めなんて使わなくて済んでたけど」
母も遠い目になった。
鎮痛解熱剤を気軽に買える都会では、薬物依存症患者が溢れる。
だが、この田舎町には病院が一軒もなく、町医者すら居ない。薬局も、少し離れた都市部まで行かなければなかった。
各家庭で救急箱に常備薬を用意するが、年に一回使うか使わないかでは、大半を残したまま使用期限が切れてしまう。大抵は農作業で負う傷の対策として、使用頻度の高い消毒薬と包帯、虫刺されの薬くらいしか買い置きしない。
それが、命と人生を守ることになるなど、夢にも思わなかった。
食後、デルタ伍長は手土産を持ってリゴー・ソーレックス宅を訪問した。彼の一家にこの町へ引っ越すことを提案したのは、デルタ伍長だ。
「あっ、副隊長さん、その節は大変お世話になりまして、恐れ入ります」
「いえいえ、とんでもない」
手土産の菓子を彼の妻に渡して、応接間に通される。
リゴーはリグヌムを連れて来た。黒髪の中年女性がお茶とお菓子を置いてすぐに退室する。
久々に顔を合わせたが、リグヌム元二等兵は割と元気そうだ。瞳を好奇心で輝かせて来客を見詰める。脳解毒薬の重篤な副作用で脳が初期化され、デルタ伍長がかつて上官だったことも何もかも忘れてしまい、初対面同然なのだ。
不意に兄のリゴーに顔を向けてハッキリ発音した。
「パパ」
「妻が俺をパパって呼ぶからそれで覚えちゃって」
リゴーが笑う。
「えッ? もう喋れるようになったんですね?」
デルタ伍長の甥っ子が意味のある単語を喋ったのは、二歳頃だった気がする。
「早い子は二歳になる少し前から、簡単な単語を急にたくさん言えるようになるそうなんですよ。娘も居ますし、みんなで話し掛けるから、それでリグヌムも」
「へぇー……そうなんですか」
デルタ伍長は元部下の順調な発育に胸が詰まり、それ以上、言葉が出なかった。
「副隊長さん、凄い会議に出てましたね」
「いや、俺、別に居なくてもよかったんじゃないかな」
「いえいえ、副隊長さんがローシカ製薬の社長に言うべきことをちゃんと言ってくれて、俺、凄い救われましたから」
デルタ伍長は、リゴーの隣で無邪気に微笑むリグヌムから視線を逸らした。
リゴーが晴れやかな顔で言う。
「あの会議のお陰で、弟がこうなった大本の薬が売れなくなって嬉しいです」
「あぁ、製造中止になったんでしたっけ?」
アーテル共和国に長期派遣されたデルタ伍長は、ニュースでしかバルバツム連邦の状況を知らない。
「えぇ。強い依存性があるって社長の口から出たんで、その日の内に薬局から撤去されて返品されて、それ以前にヤク中にされた人たちはこれから大変だけど、知らずにヤク中にされる新規の患者を減らせるのって大きいですよ」
リゴーは泣き笑いの顔を弟のリグヌムに向けた。リグヌムはお菓子をひとつ手に取ってしげしげ眺める。少し考えるような顔をして口に入れた。
兄のリゴーがデルタ伍長に向き直って言う。
「王子様は王国の利益より、世界中の人を薬物依存症から守る選択をしてくれたんです」
「そうですよねぇ。そんな汚いカネなんか要らないって断言してましたもんね」
「戦争からの復興でおカネがいっぱい要るのに、なかなかできるコトじゃないですよ」
デルタ伍長は忘れない内に用件を告げた。
「あ、あの、その、会議の通訳代、あの社長に札束押し付けられたんだけど、薬物依存症患者の支援団体に寄付しようと思うんだ。どこがいいと思う? それか、君たちが必要なら」
「俺たちは王子様がよくして下さったから、特に困ってないんです」
リゴーはデルタ伍長に皆まで言わせず、ポケットからタブレット端末を出してつついた。
「ウチはこの団体でお世話になってます」
「有難うございます」
デルタ伍長は、自分の端末に支援団体のサイトを表示させてブックマークした。
リゴーがユアキャストの画面をデルタ伍長に向ける。
「あの会議、コメント欄に凄いコト書いてあるんですけど、もう見ました?」
「凄いコト?」
バルバツム連邦から行ったフリージャーナリストのクアエシートル記者が撮影した生配信のアーカイブだ。
リゴーがコメント欄をスクロールさせ、お目当ての投稿を表示した。
〈おいおい、これって呪いじゃね?〉
〈呪いじゃないって言ってるけど?〉
〈魔法文明圏はこれが合法なんだ?〉
〈南部の国ってこれが普通なのか?〉
〈でも、嘘吐いたら罰が当たるのって神話や民話みたいだよな〉
〈あ、ホントだ〉
〈俺たち、神話の場面を目撃したのか〉
〈胸熱〉
〈フラクシヌス教の神話に新たな一ページが加わった感あるな〉
〈リアル神話が生配信されるってスゲー時代になったもんだな〉
〈そう言やこの王子様、ほぼ女神様って呼ばれてるんだっけ?〉
〈マジ女神様〉
〈王子なのに女神って脳がバグるんですけど〉
リゴーが拳を固める。
「あの社長、鎮痛解熱剤に依存性はないって嘘で大勢を不幸にして大儲けしたから、罰が当たったんですよね」
「そう……ですね」
あの時、会議室に居合わせたデルタ伍長は、改めてレーグルス王子の言葉を噛みしめた。




