0357.警備員の説得
陸の民三人が息を呑み、扉に向き直る。足音に気付かなかった。
湖の民の呪医セプテントリオーが男の顔を見上げて緊張を解く。
「オリョールさん、お久し振りです」
元警備員は、大地の色の眼を見開いて四人を見回した。ソルニャーク隊長の眼には警戒の色が浮かび、工員クルィーロとファーキル少年は怯えに揺れる眼で魔法戦士を見上げる。
「志願者……なのか?」
先に気を取り直したのは、オリョールだ。呪医セプテントリオーが首を傾げる。
「アゴーニから聞いていませんか?」
「シルヴァさんに薬の素材を頼まれた、としか」
……誰かが負傷しない限り戻らないと踏んで、伏せてくれたのか。
薬師アウェッラーナが作った傷薬で、多少の傷ならここまで戻る必要もなくなった。当分、遠ざけられると思ったのだろう。
セプテントリオーは溜め息を吐いてみせた。
「仕方のない人ですねぇ。彼らは、ネモラリス人の難民です」
「えっ? どうやってこんなトコまで?」
呪医セプテントリオーが視線で促すと、ソルニャーク隊長がかいつまんで事情を語った。
オリョールが信じられないと言いたげに首を振る。ファーキル少年が、タブレット端末に魔獣の写真を表示させ、戸口に向けた。
「火の雄牛に追っかけられたのか?」
「はい。それで」
ファーキルは更に、破壊された鉄扉と橋頭堡の写真を表示させた。
オリョールは、これがどんな機械か知っているらしい。食い入るようにファーキルの手元を見るだけで、質問しない。
「ホントに、あのラクリマリス軍が……?」
戸口に突っ立ったまま、オリョールが呆然と呟いた。
魔装兵だけで構成された軍だ。旧王国時代と同じ、魔物や魔獣の駆除に特化した部隊も創設されたらしいが、北ヴィエートフィ大橋の守備隊がそうだったとは考え難い。
「空襲犠牲者を喰らって受肉したのだと思うが、北ザカート市付近には出なかったのか?」
「いや、前と似たようなモノしか」
オリョールは、ソルニャーク隊長の問いに答えかけ、むっとして口を噤んだ。一歩部屋に入って誰何する。それには、セプテントリオーが答えた。
「私の客人でもあります。市民病院で受け持った患者さんとご家族、そのご近所さんなどです」
「シルヴァさんは、親戚に言った嘘がホントになるし、居ていいって」
工員クルィーロは早口に言い添えたが、オリョールに睨まれて語尾が消えた。
ファーキルが、オリョールの胸で輝く銀の鷲を凝視する。
魔法戦士【急降下する鷲】学派の証だ。
「オリョールさん、どなたかお怪我を?」
呪医セプテントリオーが思い切って話題を変えると、オリョールは首を横に振った。
「いえ……呪医に相談があって来たんですけど」
見知らぬ陸の民三人に視線を巡らす。
ソルニャーク隊長が小さく頷き、ソファから腰を上げた。クルィーロとファーキルも、オリョールから目を離さずに立ち上がる。
三人が書斎を出ると、オリョールは扉を閉め、向かいのソファに浅く腰掛けた。足音が充分遠ざかるのを待って切り出す。
「シルヴァさんが、新入りを連れて来てくれたんです。銃も調達できました」
セプテントリオーは顔を曇らせたが、オリョールは、口の端に皮肉な笑みを浮かべた。
「同じ轍は踏みません。ギリギリまで北ザカート市の拠点に置いてますよ」
「いえ、そう言うコトでは……ネーニア家の当主が迎撃に参加した件は、ご存知ですか?」
「えぇ。北ザカート市に駐留してる部隊から聞きましたし、あの嵐が術によるものだってコトくらい、俺でもわかりますよ」
「ならば、あなた方がアーテル本土で戦う必要性は」
「あります」
セプテントリオーにみなまで言わせず、オリョールは身を乗り出した。両膝を握る指が白くなる。
「呪医こそ、防空網を突破されて、都市に被害が出たのをご存知ないんですか? 元を絶たなきゃいけないんですよ」
「それが、相手の憎悪を煽り、戦闘を継続させる口実を与えるのですよ」
呪医セプテントリオーは、努めて冷静にもう何度繰り返したかわからない説得を口にした。警備員オリョールも、これまで重ねてきた言葉を今日も重ねる。
「こっちで犠牲者が出る分にはいいんですか? 誰かがアーテルに殺される度にその身内や恋人や友達が、復讐に駆り立てられるんですよ」
それは、セプテントリオーにも痛い程よくわかる。だが、その繰り返しでは、復讐が復讐を呼び、報復の連鎖を永遠に止められなくなってしまう。
警備員オリョールは、大地の色の瞳に悲しみを湛えて言葉を並べる。
「力ある民なら、一人でも戦えるんです。俺たちを止めたって、単独でも、復讐に命懸ける人たちは、大勢居るんですよ」
「それはそうですが……アーテルにも軍のやり方に反発し、正面から抗議する人たちが居ます」
湖の民セプテントリオーは、新たに仕入れた情報を口にした。オリョールの眼が緑髪の呪医を冷たく射る。
「何て言ってるんですか? 単に戦争反対って言うだけなら、誰だって」
「ネモラリスにも力なき民が居るのに、異教徒だからと言って焼き尽くすのは、教義に悖るからいけない……と。なるべく多くの人の目に触れるよう、インターネット上に抗議声明を」
オリョールは鼻で笑い、呪医の説明を遮った。
「それ結局、俺たちみたいな力ある民は、悪しき魔法使いだから、皆殺しにするのは賛成だって言ってますよね?」
「今のアーテルでは、そう言うしかないのでしょう。当局に拘束されないギリギリの表現なのではありませんか?」
「随分、肩持つじゃありませんか」
オリョールが顔を歪める。湖の民を映す大地の色をした瞳が、僅かに翳った。セプテントリオーは小さく息を吐き、その一瞬に思いを巡らせて言葉を乗せる。
「肩を持つワケではありません。アーテルとて一枚岩ではないと知っていただきたいのです」
「知って……そいつらと手を組めって言うんですか?」
「それは、相手のあることですから、今は何とも言えません。その報道は、アーテルの国営ラジオで流れました」
「湖南経済新聞じゃなくて、ですか?」
驚愕に数秒沈黙して、オリョールはようやく、それだけ言った。
セプテントリオーが深く頷く。
「一度広まった情報は、人々の記憶から完全に消し去ることなどできません。恐らく、アーテルの国営放送にも、この戦争に異を唱える人が居るのでしょう」
「そんなコトって」
「人々に届き、心に刺さった情報が、後々行動に繋がるかも知れません」
それがいつの日で、どんな行動に繋がるかわからないが、呪医セプテントリオーは、命を懸けて声を上げた人々を信じたかった。
その勇気と願いが、誰にも届かないまま消えるとは思いたくない。
「仮に、声明を出した団体が潰え、報道の判断をした人が処刑されたとしても」
警備員オリョールが細くゆっくり息を吐く。その吐息の震えが治まるのを待ち、呪医セプテントリオーは説得を重ねた。
「ネモラリスとアーテルは、共に民主主義の国です。選挙で選ばれた代表が議会で協議し、国を動かしています」
「それが、何だって言うんですか?」
「まだ選挙権を持たない子供の意見は汲み上げられず、落選候補を支持した人たちの意見は、切り捨てられてしまいます」
呪医セプテントリオーはそこで言葉を切り、オリョールの反応を待った。
民主化された時代しか知らない若い陸の民が、ふたつの民の有力者による共同統治時代から存在する長命人種の言葉を噛みしめ、小さく頷いた。
「また、議会で過半数の承認を得られた意見が国政に反映されますが、僅差でも大差でも、それは変わりません。ギリギリで通らなかった半数近い人の意見も、同様に切捨てられます」
「呪医、何を言いたいんです?」
呪医セプテントリオーは、窓に視線を向けた。いつの間に来たのか、くたびれた衣服に身を包んだ一団が、すっかり草取りを終えた庭園を見回す。
衣服同様くたびれた男たちは、夏の日差しの下で、存在そのものがくすんで見えた。
☆ネーニア家の当主が迎撃に参加した件……「0309.生贄と無人機」参照
☆アーテルにも軍のやり方に反発し、正面から抗議する人たち/インターネット上に抗議声明……「0328.あちらの様子」参照
☆同じ轍……「0269.失われた拠点」参照
☆ネモラリスとアーテルは、共に民主主義の国です……「348.詩の募集開始」参照
☆ふたつの民の有力者による共同統治時代……「0019.壁越しの対話」「0059.仕立屋の店長」「0093.今日の行く先」「0326.生贄の慰霊祭」参照




