3563.電脳軍の働き
ラクリマリス城の客間に設置されたデスクトップパソコンで“科学文明国に於ける脳解毒薬の調合に関する会議”の生配信アーカイブ動画の再生が続く。
寝台に横たわったセプテントリオーは、脳解毒薬の承認に関わる論文の共著者として、湖南経済新聞が撮影した動画で会議の内容を確認した。
女官と近衛兵も、寝台の傍らに整列して動画を視聴する。
動画の中でレーグルス王子が、ローシカ製薬株式会社に脳解毒薬の販売を許すつもりはないと断言した。だが、ローシカ社長はレーグルス王子を子供扱いして歯牙にもかけない。
魔法薬学会の副会長が強引に話を議題に戻した。
社長によると、ローシカ製薬株式会社がこの会議に出席した目的は、脳解毒薬の素材を調達することだと言う。
レーグルス王子が、ラキュス・ラクリマリス王国政府と総合商社パルンビナ株式会社の契約について説明する。
契約と調達先に関しては、セプテントリオーも過労で倒れる前に報告を受け、把握済みだ。
パルンビナ株式会社で正社員として働くファーキルが、アルトン・ガザ大陸南部からの調達を担当すると聞いた。
ファーキルなら魔法の契約などなくとも、ローシカ製薬に幾らカネを積まれようと決して紫連樹の葉を売らない。
薬師カリオンは、魔力こそ弱いものの技術的には優秀で、既に中間素材の調合には成功したと言う。
レーグルス王子は続けて無表情に説明した。
「だが、彼女が脳解毒薬の調合技術を身につけたところで、バルバツム連邦の臨床現場で投与できるようになるワケではない」
「何故だ! この魔女は大枚叩いて引き抜いたんだぞッ?」
ローシカ社長は薬師カリオンを指差して叫んだ。貧困層だけでなく、魔法使いに対しても重度の差別感情を抱くらしい。
レーグルス王子が脳解毒薬の使用上の注意を説明する。
ローシカ社長はいちいち食って掛かり、自社でどうにもならないことは、すべて意図的な妨害扱いして罵った。
レーグルス王子が淡々と問題点を指摘する。
「研修生たちから、アルトン・ガザ大陸南部には、開頭せず、脳内の水分に直接【癒しの水】を掛けられる呪医も居ないと聞いた。しかも、バルバツム連邦では医療費が高額で、富裕層ではない国民がICUに入院すれば、その多くが破産すると言う」
「貧乏人がどうなろうと知ったことではないし、医者を調達するのは製薬会社の仕事ではない」
ローシカ社長は平然と言い放った。
……いや、まぁ、仕事の範疇はそうだろうが、使えない薬を販売するのは道義的にどうなんだ?
「私は、古代の偉大な呪医パニセア・ユニ・フローラの血に連なる者だ。少なくとも、魔法医療に関しては、腐敗や汚職を防ぎ、患者を救うことを第一にする理想を掲げ、癒し手たちに身を以て示し続けなければならない」
動画の中で、レーグルス王子が「ほぼ女神様」として断言する。
セプテントリオーも、物心ついた頃からずっと言い聞かせられて育った。
……カネと欲に塗れたバルバツム連邦では、医療に関する事柄でも、汚職や不正が罷り通るのだな。
セプテントリオーは何とも言えない気持ちで動画を見詰めた。
ローシカ社長は、飽く迄も上から目線の姿勢を崩さない。
「お前の貧乏王国は、戦争の復興でカネが要るんだろう? 幾ら出せば紫連樹の葉を……いや、完成品の脳解毒薬を売るんだ? 今なら言い値で買ってやらんこともないぞ?」
「大勢を薬物依存症で苦しめて稼いだ汚いカネなんぞ要らん! 私の話はそんなに難しかったか? 脳解毒薬だけあっても患者は救えないと言っただろう」
「バカ王子め! 医者の調達は製薬会社の仕事ではないと言っただろう! そんなこともわからんのか!」
王子と社長が程度の低い罵り合いを始め、セプテントリオーの背後で誰かが盛大に溜息を洩らした。多分、女官長アルボルだろう。
湖南語訳のない部分は、文官二人が一時停止して通訳してくれた。
レーグルス王子は会議の冒頭から喧嘩腰だ。
セプテントリオーはこうなることが予測できたので、特に驚きも失望もない。
「ローシカ社長! 流石に言葉が過ぎる!」
動画の中では、終に緑髪の近衛兵が通訳をやめ、共通語で叫んだ。
セプテントリオーの背後で、凍り付いた空気が安堵で緩む。
「言わせておけ。ローシカ社長に思ったことを何でも言えと命じたのは私だ」
「しかし、あまりにも酷い言い草です」
王子と近衛兵の遣り取りで、再び客間の空気が凍った。
レーグルス王子本人が許しても、ラキュス・ラクリマリス王国を含むフラクシヌス教圏の国々の世論、特に湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信者は、この社長を決して許さない。
ラキュス湖周辺地域以外の魔法文明圏でも、呪医であり【飛翔する梟】学派の導師でもある王子への侮辱に腹を立てる者が、医療者を中心に出る可能性が高い。
王国軍や魔法使いの医療者に救われたバルバツム兵とその家族も、ローシカ製薬を快く思わないだろう。
……それこそが、レーグルス殿下の狙いかもしれないな。
「悪口は自己紹介の法則ってあるよね」
ラゾールニク少佐が、面白がる顔をして共通語で口を挟んだ。
緑髪の近衛兵は、フリージャーナリストに扮して会議を取材する金髪の佐官を睨みつけたが、何も言わなかった。
記者たちの質問で、再びローシカ製薬と薬師カリオンの契約に話が及び、バルバツム企業の悪辣さが浮き彫りになる。
レーグルス王子が共通語で確認した。
「共通語圏に住む貧しい患者には、脳解毒薬を売る気がないと言うことか?」
「魔法薬製造は未知の領域だ。情報収集、合法化に向けてのロビー活動、その上でヒトとモノを揃えるのに一体幾ら掛かったと思ってるんだ? 少なくとも投資を回収できる価格設定にして当然だ。この経済音痴め。王族がそのザマだからいつまで経っても国が貧しいままなのだ」
魔力を籠めて「思ったことを何でも口に出せ」と命令されたローシカ社長が、言わないでもいいことまで口にする。
レーグルス王子が、ラキュス・ラクリマリス王国の経済状況の悪化は、経済制裁が原因だと説明し、通訳として駆り出されたバルバツム兵も加勢する。
……我が国の兵士や医療者に救われた恩義を感じているのだな。
セプテントリオーは、若いバルバツム兵のカネよりも恩義と道義を重んじる姿勢に感心した。
ローシカ社長は、通訳として駆り出されたバルバツム兵をも罵る。だが、兵士は開き直った。
「えぇ。何度も辞表を出してますけど辞めさせてくれないんで、軍人失格で結構ですよ」
……辞めさせてもらえない? どう言うコトだ?
セプテントリオーは、レーグルス王子とローシカ社長の罵り合いを聞き流しながら考えた。
通訳として社長に雇われたのは、彼が湖南語を覚えたからだろう。湖南語のわかる兵士はバルバツム軍にとって貴重な人材だ。アーテル軍や救援物資の輸送先と意思疎通しやすくなる。
彼が租借地の病院で湖南語を使わなかったのは、魔獣に襲われた恐怖で口もきけなかったか、日常会話はわかっても、医学用語までは習得していないからだろう。
動画の中で罵詈雑言の応酬が一段落し、レーグルス王子が本題に戻した。
「薬物汚染が酷いアルトン・ガザ大陸北部はキルクルス教国ばかりで、魔法使いの医療者が一人も居ない。南部の両輪の国には、脳解毒薬の服用後に実施すべき高度な治療を実行できる呪医が一人も居ない。それで、患者がどのようにして、高度な治癒魔法を行使できる呪医をみつけられるのだ?」
「この辺の国に薬を持ち込んで医療ツアーすればいい」
ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者は、いけしゃあしゃあと厚かましいことを口にした。
セプテントリオーは呆れて動画を眺める。
動画の中で、レーグルス王子が魔哮砲戦争による人手不足を説明し、ラゾールニク少佐も指摘した。
「生き残りでどうにか仕事を回すしかないんだけど、王族出身の呪医が過労死寸前で倒れたって言ったら、どのくらい酷い人手不足かわかるかな? 租借地の病院ではアーテル兵やバルバツム兵も受容れるけど、その中にヤク中が混ざってるせいで病院の人たちどんどん辞めてくんだ。大変過ぎて」
「根性なしめが」
ローシカ社長は、一言で切り捨てた。
セプテントリオーは胃を刺されたような心地で、先月の会議を見守る。
租借地の病院では、薬物依存症の離脱症状による不穏状態で暴れるアーテル人やバルバツム兵に負傷させられ、看護師が次々と辞めてしまう。
セプテントリオーは、保健省の医官として租借地の病院内にも魔装兵を配置し、医療者を守るように指示した。気合や根性でどうにかなる問題ではないのだ。
星光新聞の記者が、バルバツム連邦を含むキルクルス教圏でも同様だと冷静に指摘する。
だが、ローシカ社長はバンクシア人記者の指摘も一言で切り捨て、新聞記事などカネでどうにでもなると鼻で笑った。
星光新聞バンクシア本社の記者が堂々と言い返す。
「少なくとも私は、聖者キルクルス様への信仰と人間としての良心に従って記事を書いています」
「何度も言うが、薬物依存症患者を生み出す一方でその治療薬を製造販売しようなど、言語道断だ。お前たちが崇める聖者キルクルスは、そんな汚い稼ぎ方を賢い儲け方だと褒めてくれるのか?」
レーグルス王子が記者に加勢した。
ラゾールニク少佐にも揶揄われ、ローシカ社長が激昂する。
ラゾールニク少佐が社長を茶化すのは、怒りを起点に本音を吐かせる為だろう。
彼は要所要所で挟むほんの一言で新聞記者たちの質問と社長の発言を誘導し、世界中に向けてローシカ製薬株式会社の悪行を暴露する。知らない者の目には、彼が面白がって会議を掻き回すようにしか見えないだろう。
セプテントリオーは、ラゾールニク少佐が電脳軍の情報将校であることを改めて思い知らされた。
魔哮砲戦争に於いて、ネモラリス共和国軍は電脳世界でアーテル共和国軍に成す術もなく敗北したが、今回は、ラキュス・ラクリマリス王国がバルバツム連邦に勝てそうな気がした。
☆ネモラリス軍は魔哮砲戦争では電脳世界でアーテル軍に成す術もなく敗北……「0410.ネットの普及」「0411.情報戦の敗北」参照




