3559.転向の可能性
騎士だった頃の【鎧】を纏った素材屋プートニクが、身内であることが判明した呪医ジーマラスチに弱々しく微笑みかける。
「えーっと……命を助ける手段は別に臨床じゃなくてもいいんじゃないか?」
「ど……どうしてです?」
呪医ジーマラスチは、魔法薬で傷と病を癒やす【飛翔する梟】学派と外科領域を掌る【青き片翼】学派、ふたつの徽章を持つ優秀な呪医だ。
半世紀の内乱が激しかった頃に産まれた比較的若い長命人種だが、臨床現場で働く医療者としてはベテランと言える。
ラクリマリス城の茶会用サロン「木の芽の間」に何とも言えない緊張が走った。
セプテントリオー付きの女官長アルボル、見習い女官ランクス、ラクリマリス城勤務の女官アレヌーハは、壁際に控えて彫像のように動かない。
近衛兵たちと衛生兵も、無言で待機する。
家族省の官吏は卓の傍らに立って控え、余計なことは口にしなかった。
セプテントリオーは、元伯爵のプートニクと彼の分家の子孫ジーマラスチの顔合わせに立会う者として、会話の行方を注視する。
アビョース元伯爵こと素材屋プートニクは、ぽつぽつ言葉を発した。
「例えば、アーテルも再統合したら、一気に何十万人もの薬物依存症患者を抱えるコトになる。脳解毒薬の調合に専念すれば、大勢の助けになると思うけどな」
「あッ……でも……」
呪医ジーマラスチはハッとしたが、すぐに目を伏せた。
プートニクが慌てて言う。
「いや、あの、別に今すぐ見合いしろとかそう言う話じゃなくて、将来的に誰かを好きになったら、その時は遠慮しなくていいって話だから」
「多分……それはない……と思います。でも……もし……アーテルの再統合が実現したら、私は脳解毒薬の調合に専念した方がいいんでしょうか?」
呪医ジーマラスチが、途中からセプテントリオーに顔を向けて聞いた。
「え……? えーっと……私も最近のことはわからないのですが、レーグルス殿下が、再統合に備えて脳解毒薬の増産と備蓄を進めているそうですね」
「はい。私も時々トポリ基地に呼ばれて、脳解毒薬を調合しますし、別の日には他の人たちも作業するそうですけど、それでは足りない感じですか?」
呪医ジーマラスチの声が不安に揺れる。
素材屋プートニクが言った。
「ウチの常連から聞いたんだけど、バルバツムの製薬会社が紫連樹の葉を売れってギャンギャン騒いでるらしい」
「バルバツムって科学文明国ですよね? 作れるんですか? 上級魔導書の魔法薬ですよ?」
脳解毒薬は、魔道医療の先進国であるラキュス・ラクリマリス王国内でも、まだ二十人しか作り手が居ない。その一人である呪医ジーマラスチが、有り得ないものを見る目を素材屋プートニクに向けた。
「常連の話だと、製薬会社の社長がルニフェラ人の薬師を雇って学会の研修に出して、レーグルス王子との面談を取り付けてミクランテラ島に渡ったらしいんだ」
「そうなんですか?」
セプテントリオーとジーマラスチの声が揃った。
「俺はインターネットの機械を持ってないから見てないんだが、その会談の一部始終が生配信されてたらしい……誰か見なかったか?」
素材屋プートニクは、木の芽の間に居合わせる者たちを見回した。
黒髪の若い女官アレヌーハが、小さく手を挙げた。
「私が視聴したのは八月末頃で、湖南経済の短い動画ニュースですが」
「どんな動画でしたか?」
セプテントリオーは期待を籠めて聞いた。
「レーグルス王子殿下が大変ご立腹でした。えーっと……確か題名が」
黒髪の女官アレヌーハが、黒いエプロンドレスのポケットからタブレット端末を出して検索する。
呪医ジーマラスチも端末を出してつついた。
「あぁ、折角、親戚と再会できたのですから、動画は後で他の人に見せてもらいますよ」
「いえ、このくらいしか恩返しできないので」
呪医ジーマラスチは、女官アレヌーハと同時に同じ動画を再生した。
「ローシカ社長、先程の“お前の考えを何ひとつ包み隠さず正直に話せ”と言う命令は解除してやろう」
レーグルス王子が流暢な共通語で言い、近衛兵の湖南語訳する声が二台の端末から同時に流れた。
呪医ジーマラスチが卓の中央に端末を置き、セプテントリオーは小さな画面に注目する。続けて流れたレーグルス王子の声に耳を疑った。
「えぇッ? いきなり【強制】? 何の話し合いでこんなことに?」
「えっ? あっ、すみません。この動画、検索して一番上に出たから開いたんですけど、公式じゃなくて誰かが切取った一部みたいです」
ジーマラスチが頭を下げる。
セプテントリオーはその方面に疎く、ワケが分からなかった。
「動画と言うのは、写真のように切取ることができるものなのですか?」
「私も詳しくは知らないんですけど、専用のアプリとかで編集できるって患者さんが言ってました」
呪医ジーマラスチは自信なさそうに答えた。
女官アレヌーハが助け舟を出す。
「えぇ。ジーマラスチ呪医のご説明に間違いございません。私もパソコンに動画編集ソフトを入れて、お作法講座を作っておりますので、よくわかります」
呪医ジーマラスチは、表情を緩めて黒髪の女官に会釈した。
セプテントリオーは、衛生兵が止めないのをいいことに続けて聞く。
「では、公式ではない動画と言うのはどう言うことですか?」
「投げ銭や広告収入目当てに公式動画をダウンロードして、要約版や面白おかしく注釈をつけた短い動画を作る人が、少なからず存在するのですよ」
女官アレヌーハが形のいい眉を顰めて答えた。
呪医ジーマラスチが動画を止めて検索し直す。
「えーっと……この、湖南経済新聞の公式動画、三時間ちょっとありますね」
「三時間も?」
「時間のない人には要約版が助けになりますが、自分の主義主張に合わせて都合のいいように捻じ曲げて編集する人も居りますし、そもそも著作権の侵害でございますから、決して褒められた行為ではないのですよ」
ユアキャストを使いこなす女官アレヌーハが、困った顔で付け加えた。
「科学者にカネを掴ませ、お前の会社が製造した鎮痛解熱剤の依存性を過小評価する論文を書かせたなら、その論文も訂正しなければならない」
黒髪の女官アレヌーハの端末から、レーグルス王子が怒りの籠る共通語で言い放つ声と、近衛兵の淡々とした湖南語訳が流れる。
セプテントリオーは、この一言で納得した。
「レーグルス殿下は恐らく、ローシカ製薬の鎮痛解熱剤に関する虚偽を封じるつもりで、社長の求めに応じたのでしょうね」
呪医ジーマラスチが不安な声を出す。
「この社長が辞めて他の人が社長になれば、依存性のある鎮痛解熱剤をこれまで通り売り続けられるとか言うコトはありませんか?」
「レーグルス殿下が【強制】したのは、この社長個人に対する嘘の禁止ですが、ローシカ製薬の鎮痛解熱剤に関する説明や、科学者に捏造させた論文など、彼の嘘の証拠はたくさん残りますからね。仮に会社を辞めても、苦痛から逃れる為にそれらを訂正して回ることは、後任の社長には止める権限がないと思いますよ」
「成程……ご説明いただき恐れ入ります」
呪医ジーマラスチは、王族であるセプテントリオーに畏まって一礼した。
☆いきなり【強制】……「3552.虚偽を封じる」参照




