3556.久し振りの外
印暦二二〇一年九月二十五日。
セプテントリオーは久し振りにラクリマリス城を訪問した。
伝統的な長衣を纏い、呪杖を手にしてネモラリス島のクレーヴェル城からフナリス群島の王都ラクリマリスに向けて、近衛兵の【跳躍】で移動する。
よく知る場所なので、セプテントリオーは自力で跳べる。だが、近衛兵たちは大事を取って、クレーヴェル市内の【跳躍】許可地点間も、島間移動もセプテントリオーにはさせなかった。
……一体いつまでこんな重病人扱いが続くのだろう?
それでも、約五ヶ月振りにクレーヴェル城から出られたお陰で、気持ちは幾分か晴れた。
今日は澄んだ風の吹く晴天だ。
小高い丘に建てられた四阿から王都を見下ろした。網の目のように巡らされた水路が秋の日に輝く。荷や人を満載した渡し舟が行き交い、陸路をゆく車列も滞りなく流れる。
スツラーシが化したと伝わる小さな岩山が王都の中央に聳え、その足元にはフラクシヌス教の大神殿がある。流石にここからでは見えないが、今日も大勢の参拝者で賑わうだろう。
ネーニア島でゼルノー市などが焼き尽くされた日が、遠い昔のように感じられたが、ネモラリスとラクリマリスの再統合を経ても、魔哮砲戦争からの復興はまだまだ道半ばだ。
陸の民の官吏とラクリマリス王家の近衛兵が【跳躍】で四阿の前に姿を現した。
「セプテントリオー殿下、お待たせ致しました」
「いえ、つい先程、来たばかりですよ。ご苦労様です」
もう少し秋の景色を楽しみたかったが、ラクリマリス城からの迎えの【跳躍】で王都の防壁前に跳ぶ。王族専用の小さな門から入り、すぐ傍の【跳躍】許可地点から城の最寄りまで移動する。
何事もない時なら、民と同じ門から入り、王族専用の渡し舟に乗るが、今回はセプテントリオーの体調に配慮して、移動時間を短縮することになった。
官吏の案内で、ラクリマリス城の客間に通される。
黒髪の若い女官アレヌーハに迎えられた。
セプテントリオーは、担当者が顔見知りであることに安堵して声を掛ける。
「アレヌーハ元伯爵令嬢、久し振りですね」
「セプテントリオー殿下、御機嫌よう。本日はこちらでお寛ぎ下さいませ」
先に出発したセプテントリオー付きの女官長アルボルと見習い女官ランクスも、アレヌーハ元伯爵令嬢と並んでお辞儀する。
通常なら、ラクリマリス城の女官だけで対応するが、今回はセプテントリオーの体調とランクスの研修もあって、この体制だ。
官吏が今日の予定を告げる。
「アビョース元伯爵様と呪医ジーマラスチ殿のお顔合わせは、本日、午後三時より、木の芽の間にて執り行われます。セプテントリオー殿下のご昼食は、こちらにご用意させていただきますので、ごゆるりとお寛ぎ下さい」
「ご配慮いただき恐れ入ります。アル・サダイク陛下によろしくお伝え下さい」
「御意」
官吏が退室するのを待って、近衛兵ジャドが扉を閉める。
セプテントリオーは、寝台の枕側に近い壁に設置された台座に呪杖を据えた。誰かの足の上に落として大惨事を招く懸念がなくなり、思わずホッと息を吐く。
女官長アルボルが、給仕用のワゴンからティーポットとカップを一脚下ろし、軽食用の小さな食卓に並べる。
見習い女官ランクスが【操水】で水を宙に浮かべて沸かし、その傍らでアレヌーハが湯に温度計を入れてランクスを褒めた。
「そうそう、その調子です。お茶の種類によって適切な温度が異なりますから、この温度をしっかり覚えて、温度計を見なくても、お茶に合わせて沸かす温度を変えられるように努めて下さい」
ランクスは【操水】で湯を浮かせて温度を維持するだけで精一杯らしく、返事もできない。
食器の用意を終えたアルボルは、ランクスを横目で見て溜息を吐いた。
……後でたっぷりお小言を言われそうだな。
セプテントリオーはランクスの心情を思って胃が痛んだ。
「セプテントリオー殿下、お召し替えはいかがなさいますか?」
「えぇっと……このままで結構です。リボンだけ外して下さい」
「御意」
セプテントリオーが食卓用の椅子に腰掛けると、女官長アルボルは三つ編みの端に結んだリボンを手際よく外し、キレイに畳んだ。
防禦の術が織り込まれたリボンを外しただけでもかなり楽になり、セプテントリオーは未だ回復途上にあることを思い知らされた。
ここしばらくは、三食残さずしっかり食べることに加え、緑青飴を舐めながら報告書を読み、お茶の時間には緑青クッキーをつまんで体重増加に努めてきた。お陰で、窶れた印象はかなり払拭できたように思う。
女官と近衛兵が病人扱いをやめないところを見ると、それでもまだまだ健康体には見えないのだろう。
……頑張ったつもりだが……プートニクが騒ぐだろうな。
午後の面談を思うと、今から気が重かった。
だが、引受けたからには、やり遂げなければならない。
見習い女官ランクスが、宙に浮いた湯に茶葉を匙で計って投入する。湯がさっと赤く色づくと、呪文の続きを唱えた。紅茶がふらつきながら、小さな食卓に近付いてカップに落ちる。滴が跳ねて白いテーブルクロスに赤い染みが点々と付いた。
「落ち着いて、丁寧に動かすことを心掛けましょう」
黒髪の女官アレヌーハがニッコリ笑って指導する。
緑髪の女官長アルボルは横を向いて溜息を吐いた。
「すっすすすすみませんっ。いつものお部屋だったらちゃんとできるようになってたんですけど」
「あらあら、緊張してしまったのね? でも、よく考えてみて」
「かっ考える……何をでございましょう?」
見習い女官ランクスが、ラクリマリス城の女官アレヌーハを怯えた目で見る。
アレヌーハは優雅に首を傾げて聞いた。
「わからないかしら?」
「はっ、はいっすみませ……あ、じゃなかった。申し訳ございません」
「場所が変わっても、あなたが今月いっぱいお仕えするお方は、こちらのセプテントリオー殿下で変わりないでしょう」
「は、はいっそうで……じゃなっくて左様でございます」
女官長アルボルは、ランクスが慌てて言い直す度に額に青筋を立てるが、無言で二人の遣り取りを見守る。
セプテントリオーはいたたまれなくなってティーカップを手に取った。
☆印暦二二〇一年九月二十五日……「3479.新旧の証明書」参照




