3555.小さな世界で
セプテントリオーはこのところ毎日、緑青がたっぷり入った菓子を投与される。単なるおやつではなく、衰弱からの回復を図る食餌療法の一環だ。
相変わらず食は細いが、報告書を読みながらでも食べられる緑青飴から始め、九月に入ってからは、飴に加えてクッキーも完食できるようになった。
白髪が増えた頭に緑色が戻り、頬もふっくらしてきたが、それでもまだ、元気そうには見えない。
セプテントリオーは毎朝、鏡を見る度にげんなりした。
……プートニクと顔を合わせたら、煩いだろうなぁ。
だが、呪医ジーマラスチの身許が判明し、生存を確認できた唯一の親族であるアビョース元伯爵こと素材屋プートニクとの面会には、立ち会わなければならない。
食後の散歩も増やしてみた。だが、十五分を二十分に延ばしてみたところで、体力の向上には目に見える程の効果がない。
あまり無理して倒れると、それはそれで主治医のオレニョノクにお小言を言われる。部屋付きの女官たちは、新人女官ランクスの研修で忙しい。セプテントリオーは、彼女らに余計な仕事を増やしたくなかった。
セプテントリオーが、クレーヴェル城に与えられた居室と中庭だけの小さな世界で過ごして五カ月近く経つ。
時折訪問するカミェータ神官長や会社員になったファーキルだけが、外界との接点だ。一度だけ、ラゾールニク少佐も訪れたが、あまり詳しい話は聞けなかった。
巡回診療できなくなった病院がどうなったか気懸りだが、相変わらず、保健省の職員はセプテントリオーの私室から遠ざけられたままだ。近衛兵と女官たちも、セプテントリオーの質問から逃れる為、病院業務関係の情報を遮断して過ごす。
……ランクスさんにこっそり頼めば、ニュースを教えてくれるかもしれない。
だが、そんなことをすれば、女官長アルボルに激しく叱責されるのは火を見るよりも明らかだ。既に萎縮した彼女に敢えて叱られる前提の命令など、セプテントリオーにはできなかった。
近衛兵ジャドが先月、保健省から五月分の報告書を預かってきた。
セプテントリオーは薄くなった胸を期待に膨らませて捲ったが、病院業務に関する記述が一行も見当たらない。その他の医療行政改革の進捗に関する部分だけをまとめた抜粋だ。
これはこれで重要な案件だが、受取ったのは八月で、今更知っても仕方がないような気がする。
……いや、これはこれで知っておかねば、復帰した時に困るな。
緑青飴を口の中で転がしながら考えを改める。
一気に読もうとすると、呪医オレニョノクが待ったを掛けるので、九月初旬現在でも、目を通せたのはまだ半分程度だ。
報告書を読むのは、緑青飴を三粒食べ終えるまでと決められた。
セプテントリオーは噛み砕かないよう、大事に大事に溶かすが、二時間も机に向かわせてもらえない。
今日も、女官長アルボルに声を掛けられた。
「お口を漱ぎましょう」
「まだ飴を食べているのですが」
セプテントリオーは舌で頬を膨らませて、まだ飴があるフリをした。
だが、この部屋付きの女官長にはお見通しだ。
「時間的に三十分程前にはすべて溶け切った頃合いでございます」
「では、キリのいいところまで、後はほんの三ページだけなので」
「いいえ。御身は既にかなりお疲れのご様子でございます」
「疲れてなどいませんよ。座って報告書を読んでいるだけですから」
「いいえ。もう猫背になっておいでです。身体を支えるのが辛くなった証拠でございます」
女官長アルボルは譲らなかった。
この部屋で寝て過ごす時間が増え、筋力が著しく低下したからだ。
今年四月に過労で倒れて以来、セプテントリオーは寝て過ごす日が多くなった。
狭心症は呪医オレニョノクが処方した魔法薬ですぐに完治したが、過労のせいで身体が思うようにならないのだ。
直前まで、魔獣討伐を含む呪医の業務を毎日十六時間余り続けたが、あんなに働けたのが嘘のように動けない。まるで糸の切れた操り人形だ。
セプテントリオーは諦めて紅茶の残りを飲み干し、書き物机から腰を上げた。近衛兵ルガビークがすかさず手を添えて支える。
老人か重病人にするような甲斐甲斐しい介護を煩わしいと思っても、椅子から起とうとして倒れた前科があるせいで、拒否できなかった。
セプテントリオーが自分で【操水】を掛けて口を漱ぎ、水の不純物をゴミ箱に捨てる。仕事を奪われたが、女官長アルボルは何も言わなかった。
女官長アルボルと中年の女官カタラクタが、セプテントリオーを部屋着から寝間着に着替えさせる。
「お待たせ致しました。本日のニュースでございます」
見習い女官のランクスが、セプテントリオーの私室に戻った。
手にはA4判の用紙が一枚ある。短信を数本まとめたものだ。
セプテントリオーには、パソコンもタブレット端末も与えられなかった。理由が予算不足と過労防止では、強請ることもできない。
天蓋付きの寝台に横たわり、寝転んだまま今日のニュースを受取った。
今日のニュースと言うが、本日配信された記事とは限らず、少し前に配信された暇ダネのことが多い。
魔力需要の増大に伴い、魔力充填作業の基本給が上昇した。
魔法の衣服制作の分業が進み、力なき民の就労が増加した。
アガロート養殖場で濡首獣が産まれ、順調に生育している。
ミーリカ島郷土資料館で十万人目の見学者に記念品を贈呈。
この当たり障りのない短信だけが、狭くなったセプテントリオーの世界から世間を垣間見られる唯一の窓になった。
下の二本は、写真もある。今日は写真のせいで本数が少なかった。
濡首獣の子は赤い毛皮がふわふわで、ぬいぐるみのように愛らしい。頭から尾に掛けては狐に似るが、手足は鰭で毛皮の背には背鰭もある。
その右隣は、郷土資料館で記念品を受取る若い女性の写真だ。
郷土資料館は、セプテントリオーが丸ごとミーリカ市に寄付した実家を居抜きで公開したものだ。関係あると言えばあるが、知りたい情報ではない。
紙を見習い女官ランクスに返そうとして、手が止まった。
「アマナちゃん……?」
「どうされました?」
女官長アルボルが枕元に寄って聞く。
「あ……この、十万人目の見学者が知合いに似ているものですから、驚いて」
「詳しい記事をお調べ致しましょうか?」
「可能でしたら、お願いします」
「御意」
セプテントリオーの言葉に頷いて、女官長アルボルが近衛兵ラシーハに視線を送る。扉の脇で控える近衛兵ラシーハは、私物のタブレット端末を出して検索した。
「その女性は、トポリ市立トポリ高校の校外学習で訪れたアマナ・オルラーンさんだそうです」
「やはり、アマナちゃんでしたか」
数年振りに見た彼女は、すっかり大人の顔だが、面影はある。
今週一番のニュースだ。
「お知合いですか?」
「そうです。彼女は戦時中、共に平和を目指す活動をした仲間でした」
見習い女官ランクスに恐る恐る聞かれ、セプテントリオーは顔を綻ばせた。
「この人、長命人種なんですか?」
「ランクス、何度言えばわかるのです。口の利き方に気を付けなさい」
女官長アルボルが、ランクスの軽い口調に苦言を呈した。茶髪の見習い女官がびくりと身を縮める。
「構いません。以後、気を付けて下さい。……彼女は力なき民です。当時は小学生でしたが、詩を作るなど、様々な方法で平和を呼掛けました」
「詩ですか……じゃなくて、詩でございますか?」
「その歌が一時期インターネットで人気を博して、難民キャンプの寄付が増えたのですよ。今でもユアキャストには色々な人が歌った動画がある筈です」
「題名がおわかりでしたら、検索致しますが」
ラシーハがタブレット端末を構えて聞く。
セプテントリオーは、移動放送局プラエテルミッサの一員として活動した日々を懐かしく思い出しながら、指折り数えた。
「えー……パンを届けよう、みんなで歌おう、それから、すべて ひとしい ひとつの花の一部も彼女の作詞です」
「えッ? そんな有名な歌を?」
最年少の近衛兵テーメニが驚く。
「そうです。“すべて ひとしい ひとつの花”は、詩人のルチー・ルヌィ氏がまとめ上げましたが、多くの人が断片を持ち寄った合作ですから」
「左様でございましたか」
テーメニが頷き、ラシーハが検索して動画を再生させる。
退屈な日々が積み重なるセプテントリオーの小さな世界に一時、懐かしい歌声が響き渡った。
☆アガロート養殖場/濡首獣……「1803.沼地の生き物」参照
☆アマナちゃん……「3485.家族でひとり」参照




