3554.クスリの環境
ローク・ディアファネス大司教はふと気になって、バルバツム連邦出身のデシデリウム司祭に聞いてみた。
「あなたの祖国では毎年、薬物依存症に関連して十万人前後が亡くなるそうですが、教団のバルバツム支部では、依存症の患者さんやそのご家族に対して、どのような支援をしているのですか?」
「私は五十年余り大聖堂に居りますので、最近のことはわからないのですよ」
六十代半ばのデシデリウム司祭は、申し訳なさそうに答えた。
……何かにつけてバルバツム出身を鼻にかける癖に。
ロークは俄かには信じ難く、更に聞いてみた。
「一度も帰省なさっておられないのですか?」
「山火事で実家も親戚宅も……町が丸ごと燃えてしまいまして、当時、ルテウス神学校に留学していた私だけが助かったのです」
「あッ……これは……辛いことをお聞きしてしまいまして」
「いえ……ご存じないことですし、大司教様も空爆でご実家を焼かれた身ですから、お気になさいませんよう」
デシデリウム司祭にしんみりと言われ、ロークはそれ以上言えなくなった。
……まぁ、大聖堂公式サイトの広報や星光新聞の記事を調べればわかるしな。
なんなら、SNSで共通語の書込みを調べれば、軽症の依存症患者や患者家族の投稿で、その記事が事実かどうか、ある程度は確認できる。
「ニュースを見る限り、バルバツム連邦は、バンクシア共和国とは全く状況が違うようですね」
ルニフェラ共和国出身のアエテルヌム司祭が呟くと、デシデリウム司祭は眉間の縦皺を深くした。ナヌム共和国出身のヌンティウス司祭が、タブレット端末から顔を上げてここぞとばかりに追い打ちを掛ける。
「大聖堂のお膝元ですから、バルバツムのように依存症患者が路上に溢れていることなどありませんからね」
「我が国では大聖堂の導きの許、世俗の政府と連携して薬物依存症対策を実施しましたからね」
バンクシア共和国出身のフルフィウス司祭が胸を張る。
ロークはバンクシア共和国の精光ルテウス大学に留学中、薬物依存症患者絡みの事件を何度も目撃した。
薬物依存症患者と看做されれば、路上で暴れた時点で警察官に射殺される。
キルクルス教圏の先進国には死刑制度がない。だが、国によっては現場の警察官の判断による射殺は可能だ。
この対応が制度化された国では、警察官には、その人物を薬物依存症であると判断したことの根拠の提示や立証義務のないところが多い。
移民などは、薬物に手を出したことがなくても、容疑が微罪でも、警察官に「薬物依存症」のレッテルを貼られて現場で殺処分されるのが日常茶飯事だ。
遺族や友人、人権団体は、警察官個人の恣意的な判断で市民を射殺することを批難するが、警察の対応は変わらない。
バルバツム連邦では、陸軍のアーテル派兵が始まる前は、薬物依存症患者を射殺した警察官に対する抗議デモが頻発した。
それでも法制度が変わらないので、裁判を経ず現場の判断で市民を射殺しても責任を負う必要のない警察の対応も変わらなかった。
――貧乏人が何人集まろうと、連中のデモなんぞに社会を動かす力などありゃせんが
ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者はそう嘯いたが、バルバツム連邦などでは実際にその通りなのだ。
「まぁ……バンクシアの道端に薬物依存症患者が居ないのは、巡礼者の目につくと外聞が悪いからでしょうが」
「当局やボランティアは、薬物依存症で苦しむ彼らを助ける為に巡回し、速やかに保護する体制を整えているのです。断じて見栄や体裁の為などではありません」
デシデリウム司祭が溜息混じりに言うと、バンクシア共和国出身のフルフィウス司祭が反論した。
ロークは大司教として、話を軌道修正して二人の注意を逸らす。
「そもそも、バンクシア共和国では薬物依存症患者が少ないですからね」
「そうなのですよ。我が国は、バルバツム連邦と違って公的な健康保険がありますからね」
若いフルフィウス司祭が得意げに言って、バルバツム連邦出身の老司祭を横目で見た。
公的健康保険のお陰で、バンクシア国籍を有する者は比較的安価に病院で治療を受けられる。低所得者には高額医療費補助制度があり、貧富の差が命の値段に直結しにくい社会保障制度を構築していた。
その財源は、巡礼者が落とす観光収入や、大聖堂への潤沢な寄付だ。
バンクシア共和国内のキルクルス教団付属病院は、寄付で黒字経営を維持できる為、貧困層をほぼ無料で診療する余裕がある。
また、ローシカ製薬製の鎮痛解熱剤は、処方箋なしでは手に入らない。しかも、処方されるのは、癌などの緩和ケア目的に限られる。
レーグルス王子が提案した薬物依存症対策は、既にバンクシア共和国では実施済みなのだ。
……つまり、バルバツム連邦でも、やろうと思えばできるんだよな。
デシデリウム司祭は、余計なことを言ったローク・ディアファネス大司教を睨みつけたが、上司には何も言わない。
老司祭はフルフィウス司祭に向き直って言った。
「しかし、バンクシアでも年々、薬物依存症患者が増加傾向にあり、毎年のように更生施設を新設してキリがありませんよね?」
「大聖堂に救いを求めて、大勢の患者さんが外国から来られますからね」
フルフィウス司祭は、老司祭の嫌味をさらりと受け流した。
ロークはバンクシア共和国に留学中、キルクルス教団が運営する薬物依存症更生施設で研修を受けたことがある。
軽症患者が対象で、医療スタッフが常駐する。依存性の低い薬物を少量ずつ投与し、離脱症状を抑えつつ減薬と社会復帰を目指すのだ。
この方法で断薬まで続けられた患者は、命が助かる場合が多かった。但し、一度でも同種の薬物に手を出せば、再び薬物依存症に転落する。
二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、家族とボランティア団体、患者団体が連携して、生涯に亘って見守りを続けなければならなかった。
既に腎不全などを起こした重症患者は、この施設にも入れない。教団の施療院に入院して医療ケアを受けられた者は幸運だ。
バンクシア共和国内の施療院は、薬物依存症患者に割り当てられた透析枠がいっぱいで、誰かが死ぬまで席が空かなかった。
クレマストラ連合王国のガルバヌム司祭も、フルフィウス司祭に加勢する。
「王子様のご指摘通り、ローシカ製薬の鎮痛解熱剤の使用量を減らさない限り、薬物依存症患者は増える一方でしょうね」
「ローシカの薬のせいではなく、それを模倣した粗悪な違法薬物のせいで依存症患者と死者が膨れ上がっているのですが?」
デシデリウム司祭は負けじと言い返した。
「つい先程、ローシカ社長も同じことを言いましたが、そもそも薬物依存症の入口になったのが、あの鎮痛解熱剤なので、その使用を減らした方がいいと言う話ですよ」
ロークが指摘すると、デシデリウム司祭は憮然として黙った。
ルニフェラ共和国出身のアエテルヌム司祭が端末に視線を戻して言う。
「脳解毒薬があれば、断薬後に見守りを続けなくてもよくなるのですね?」
「それは……どうでしょうね?」
ナヌム共和国出身のヌンティウス司祭も、端末を見て首を傾げた。
クアエシートル記者の生配信では、レーグルス王子とローシカ社長の不毛な言い争いが続く。
アエテルヌム司祭が、同じく両輪の国出身のヌンティウス司祭に聞いた。
「どう……と言うのは?」
「同じ薬を使わざるを得ない状況が変わらず続くなら、また、薬物依存症になるのではありませんか?」
「あッ……!」
「だから、王子様は内政干渉のようなお話を繰返しておられるのですね」
アエテルヌム司祭が息を呑み、ガルバヌム司祭がわかったような顔で頷いた。
――我々は指先ひとつでバルバツム社会どころか、世界をも動かせる
ローシカ社長はそう言ったが、レーグルス王子が開発した脳解毒薬は、その存在だけでクスリを取り巻く世界の環境を変えつつあった。
☆王子様のご指摘……「3550.根治の必要性」参照




