3553.救われる日は
※ この話の直前のシーン……「3526.齟齬に気付く」参照
タブレット端末の小さな画面の中で、会議と呼ぶにはあまりにもお粗末な罵り合いが繰り広げられる。
ローク・ディアファネス大司教は、ヌンティウス司祭と肩を寄せ合い、彼の端末を食い入るように見詰めた。
ガリクーハ市への転勤の件で招集したリャビーナ市の司祭五人も、息を詰めて見守る。
ここは、ネモラリス島東部で最大のキルクルス教会だ。ロークの護衛に付けられた緑髪の魔装兵三人も、動画の音声に耳を傾けて微妙な顔になる。
レーグルス・ラキュス・ネーニア王子が、怒りを抑え切れない声で告げた。
「力ある言葉の呪文を知りたいなら共通語訳してやろう。
言の葉が編む強き約定の縛鎖 汝を縛る。
“この男ローシカは生涯、如何なる手段を用いても、何者に対しても、事実と異なる情報を伝えることを禁ず”
我が声に違いしは斧鉞の合図。約定の縛鎖を以て苦痛の獄に汝を繋ぐ」
ロークの中には、終戦直前にひょんなことから関わったシポーブニク大佐の記憶が残る。彼の知識で、これが【強制】の術だとわかった。
ロークが説明する前に星光新聞の記者が問い、レーグルス王子自身が【強制】の術について解説する。
魔法薬学会を訪れた記者四人の内、バルバツム連邦出身のクアエシートル記者の生配信だ。
バルバツム連邦出身のデシデリウム司祭が、怒りと嫌悪感に声を震わせた。
「無原罪の清き民に呪いを掛けるなど、なんと邪悪な……!」
「えぇ……? もしかして、呪いではありませんか?」
画面の中で、星光新聞の記者が怯えた顔で質問する。
レーグルス王子は、当たり前のような顔で反論した。
「呪いなどと人聞きの悪いことを言うな。魔法文明圏では合法的に使用できる術だ」
シポーブニク大佐がロークに残した記憶でも、【強制】の術は命令の内容が犯罪でない限り合法だ。嘘を封じる使用法は勿論、問題などない。
この類の術は力比べになるので、術を掛けられる者が術者より魔力が強ければ、無効化できる。また、術者より強い【舞い降りる白鳥】学派の術者なら、【解呪】の術で強制的に解除できる。
生配信の画面では、秘書が脂汗を滲ませて苦しむローシカ社長の背中をさすりながら、レーグルス王子に聞く。
「あの……これはどうすれば、痛みがなくなるのでしょう? 鎮痛剤は効くのでしょうか?」
ローシカ社長はレーグルス王子に教えられた通り、息も絶え絶えに先程の嘘を訂正したが、顔色は相変わらず悪かった。
レーグルス王子が嘲りを含む声で説明する。
「私は“如何なる手段を用いても”と言う条件を盛り込んだからな。お前自身の口で嘘を吐くだけではなく、お前が従業員に命じて吐かせた嘘も対象に含まれる」
「それって範囲広過ぎません?」
フリージャーナリストのクアエシートル記者が、驚きと呆れの混じる声を漏らした。
リャビーナ市の教会に集められた科学文明圏出身のデシデリウム司祭、ガルバヌム司祭、フルフィウス司祭が頷いて記者に同意を示す。
ロークはシポーブニク大佐の知識で説明した。
「広範囲に“如何なる手段を用いても”と言う条件で嘘を禁止できるのは、王子様の魔力が強いからです」
端末から、レーグルス王子が「ローシカ社長が部下や社外の有識者に命じて吐かせたであろう嘘」の例を並べる声が流れた。
ルニフェラ共和国出身のアエテルヌム司祭が指折り数える。
「営業社員に命じて医師や薬剤師に吐かせた嘘、公式サイトに掲載した鎮痛解熱剤の説明、箱に入れた説明書、捏造させた論文」
「王子様のご指摘がすべて事実なら、訂正作業が膨大な量に上るのですが」
バンクシア共和国出身のフルフィウス司祭が困惑した。
「そうですね。すべて訂正して回るのは大変ですね。世界中に向けて事実を言えば、少なくとも、営業社員に吐かせた嘘は一気に訂正できますが、他は書換えや撤回に時間が掛かるでしょうね」
大司教のロークは、シポーブニク大佐の記憶を基に答えた。
クレマストラ連合王国出身のガルバヌム司祭が何とも言えない顔になる。
「薬の説明書をすべて回収するのは不可能では?」
「あの言い方なら、必要なことを言わない不作為の嘘までは禁止できません。説明書に“依存性はありません。安心してお使いいただけます”など、積極的な嘘を書いていなければ、何もしなくても大丈夫ですよ」
ロークが言うと、ナヌム共和国出身のヌンティウス司祭が検索した。
「鎮痛解熱剤の説明書……えーっと……依存性については……一言も触れていませんね」
「それは不幸中の幸いでした」
デシデリウム司祭が胸を撫で下ろした。
……こいつ、あの社長から幾ら寄付もらってたんだ?
大司教のロークは、バルバツム人のデシデリウム司祭の反応に苛立った。
ローシカ製薬が「この鎮痛解熱剤の依存性は軽微である」と虚偽の説明をして、医師や薬剤師が安易に処方するように仕向けたせいで、バルバツム連邦で薬物依存症が蔓延したのだ。
この薬害は、輸出されたキルクルス教圏を中心に広がり、救援物資として流入した紛争地域などにも拡散した。
「レーグルス殿下が掛けた【強制】の術は、それに逆らえば激しい苦痛に苛まれますが、身体には異常がないので、睡眠不足以外の問題はありません」
「睡眠不足が続けば、命に関わりますが?」
年配のデシデリウム司祭が、まだ二十代のローク・ディアファネス大司教に呆れた目を向けた。
ロークは、老司祭の無神経な物言いで涌いた怒りを抑えて言う。
「ローシカ製薬の鎮痛解熱剤が原因で薬物依存症になった方々は、離脱症状で苦しみ、腎不全、肝硬変、胃潰瘍などの激しい苦痛と絶望の中、多臓器不全で死に至ります。患者さんのみならず、ご家族や周囲の方々の負担も重く、多くの人生が破壊されました」
「しかし……こんな呪いで」
「無原罪の清き民が創り出した科学の医薬品なら、呪いより酷い不幸を世界中に撒き散らしても構わないのですか?」
ロークが聞くと、デシデリウム司祭は石を飲んだような顔で黙った。
両輪の国出身のアエテルヌム司祭がロークに同意する。
「ローシカ製薬が長年に亘って吐き続けた嘘が明らかになり、あの鎮痛解熱剤の使用が制限されるようになれば、多くの人々が薬物依存症から守られるでしょう」
「ローシカ社長が敢えて訂正するまでもなく、この生配信で例の鎮痛解熱剤の依存性が知れ渡れば、【強制】の術が解けるのではありませんか?」
バンクシア人のフルフィウス司祭が聞いた。
ロークはシポーブニク大佐の知識で答える。
「いいえ。ローシカ社長が明確に否定するまで、既に吐いた嘘に対する苦痛は解除されませんし、レーグルス殿下が術を解除しない限り、あの社長は生涯に亘って嘘を吐けないままです」
「では、ローシカ社長は自らの過ちを悔いて正しい情報を発信し終わるまで、苦痛から救われる日が来ないのですね」
ヌンティウス司祭がしみじみ言って頷く。
「ローシカ製薬の嘘のせいで、命が朽ちてゆく絶望の中で過ごした多くの人々の苦しみに比べれば、自業自得の彼には同情の余地がないように思いますが?」
ロークが吐き捨てると、大聖堂から派遣された五人の司祭は嘆息して端末に視線を落とした。
☆シポーブニク大佐の記憶……「2421.恐慌に陥る者」「2423.ロークの身体」「2424.間諜の【涙】」「2426.青薔薇の中身」参照




