3550.根治の必要性
レーグルス王子が、脳解毒薬の開発者として発言する。
「どうしてもローシカ製薬から脳解毒薬を売り出したいなら、少なくともバルバツム連邦内の薬物依存症問題を解決してからにしろ。話はそれからだ」
「薬物依存症問題は大規模な犯罪組織やテロ組織も関わる国際問題だ。一介の製薬会社の手に負えるワケがない。常識的に考えろバカ王子めが」
ローシカ社長は会議の冒頭で魔力を籠めて命じられたせいで、罵詈雑言を含む思考を垂れ流すのを止められない。
「もう忘れたのか? お前の会社が依存性のある鎮痛解熱剤を製造し、安易に処方させて一般販売までしたせいで、それを模倣した違法薬物が蔓延したのだぞ? 犯罪組織やテロ組織に資金源を提供したのはお前の会社だ」
「失礼な! 我が社は犯罪組織などとは一切関係ない!」
ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者は、ラキュス・ラクリマリス王国のレーグルス王子を睨みつけた。
「まぁ……その理屈で裁けるなら、包丁や自動車のメーカーも、製品が犯罪に使われたら裁かれなきゃいけなくなるんで、ちょっとどうかなって思います」
フリージャーナリストのクアエシートル記者に指摘され、隣に座るデルタ伍長はハッとした。
レーグルス王子が、眉間の皺を深くして深呼吸する。
「……私が言いたいのはそこではない。正規品の鎮痛解熱剤が原因で、薬物依存症患者が毎日のように新規発生する状態で、薬物依存症の治療薬を導入したところで焼け石に水……まずは元を断たなければならないのだ」
「あッ……!」
デルタ伍長は、雷に撃たれたような衝撃を受けた。
湖南経済新聞と星光新聞の記者が、レーグルス王子の指摘に息を呑む。
クアエシートル記者は微妙な顔で頷いた。
薬師カリオンと社長秘書が、ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者に鋭い視線を向ける。
「痛みに苦しむ患者から鎮痛解熱剤を取り上げる気か? 必要とする患者に行き渡らなくなれば、生活の質が下がる。働きに出られなくなれば、貧乏人はますます困窮するが?」
ローシカ社長は唇を歪めて言い放った。
レーグルス王子が、声に鎮花茶の薬効を上回る怒りを滲ませて指摘する。
「そもそも、鎮痛解熱剤で痛みだけ誤魔化したところで、その苦痛の原因疾患を根治させなければ病状が進行し、いずれ働けなくなる……死に至ることに変わりはない」
「虫歯とかでも、ですか? 痛み止めを使う人、割と多いんですけど」
クアエシートル記者が、ノートパソコンに表示された生配信のコメントを見て質問した。
レーグルス王子が頷いて答える。
「そうだ。齲歯を放置すれば、降下性壊死性縦隔炎などで死に至る」
「えぇっと……? すみません。簡単な単語でお願いします」
王子は流暢な共通語で言うが、クアエシートル記者は困惑した。
デルタ伍長たちは共通語ネイティブスピーカーだが、医学の素人なので耳慣れない専門用語はわからない。
レーグルス王子は丁寧に説明してくれた。
「齲歯……虫歯を放置した結果、血管内に病原菌が入り込んで敗血症を起こして死ぬことがある。その菌が原因で喉の奥とかに膿の塊ができて、それが更に縦隔まで下がって……二個並んだ肺の間の部分にまで広がって炎症を起こすことがある。そこまで行けば、科学の先進国の医療体制でも致死率は二割くらいだ。それだけではなく、原因菌が血管内に侵入すれば、脳腫瘍や心臓病などを引き起こして死ぬこともある」
「えぇッ? そんなに?」
クアエシートル記者とデルタ伍長の驚く声が重なった。
レーグルス王子がローシカ製薬株式会社の最高経営責任者に向き直り、共通語で命令する。
「依存性のない鎮痛解熱剤を開発して、依存性の高い従来の鎮痛解熱剤は流通量を減らせ」
ローシカ社長は鼻で笑った。
「新薬の開発に一体どれだけの資金と人員と時間が掛かると思ってるんだ? ハイそうですかと来月から売りに出せるような簡単な話じゃないんだぞ?」
「依存性の高い鎮痛解熱剤を薬局で一般販売するのをやめろと言っているのだ。病院でも、末期癌など一部の疾患に限定して、安易な処方を禁止させろ」
「正規品の流通を止めれば、安物の違法薬物に手を出すようになるだけだ」
レーグルス王子が対策を提案したが、ローシカ社長はせせら笑った。
「ロビー活動で安易に販売できる体制を作れたなら、逆に医師や薬剤師に罰則をつけてでも流通量を減らす方向性でも動けるだろう」
「そんなことをしても、正規品を使ってどうにか生活している怪我人や病人を苦しめるだけだ」
「バルバツム連邦政府の医療行政の失敗が、多くの民を苦痛の中に放置しているのだ。交通事故に遭っても経済的な理由で救急車を断わらざるを得ない者が出て、救急隊員も患者が貧しいとわかれば放置して引き揚げ、そのせいで目撃者も通報を躊躇うなど論外だ。民の命に値段を付けるな」
バルバツム連邦出身のクアエシートル記者が、レーグルス王子の指摘に言葉もなく頷く。
デルタ伍長も、外国の王族に改めて指摘され、バルバツム連邦ではよくあることの異常性を思い知って愕然とした。
ついでに言えば、デルタ伍長の故郷の田舎町には病院がない。近隣の大きな街まで自家用車で通院しなければならず、救急車は呼んでも来ない。
姉の出産も、大きな街の病院に入院せざるを得なかった。
何代か前の大統領が国民皆保険制度を導入しようと法整備を進めたが、デュクス大統領は民間の保険会社のロビー活動で白紙に戻した。
民間保険会社の高額な医療保険は、国民の可処分所得を削り取る。
中間層が高度な医療を受ければ、保険を使ってもあっと言う間に莫大な借金を背負い、貧困層に転落した。
保険会社が支払いを渋ったせいで、入院治療を打ち切られた患者や、借金を背負う羽目になった世帯は数知れず、バルバツム連邦全体では科学の医療水準が高くても、中間層以下の国民には手の届かないものだ。
病院に掛かれば経済的に破綻するので、市販の鎮痛解熱剤で痛みを誤魔化して仕事を続けざるを得ない国民が多い。
勿論、行政やキルクルス教団は無為無策ではない。
貧困層向けに無料で治療を受けられる病院を中規模以上の都市に整備した。
だが、順番待ちが数カ月単位で、急患には間に合わない。
やっと診てもらえても、予算不足で慢性的に人手不足。設備が古く、医薬品が常に不足し、充分な治療を受けられない。
貧困層向けの医療はそんな体制なので、慢性疾患の患者は通院を継続できない。例えば、継続して服薬しなければならない糖尿病には、低血糖発作対策のオレンジジュースしか処方されないなど、何の病気か知らずに家で寝ていた方がマシな程度の治療しか受けられない患者が多いのだ。
合法的な移民でも、医学用語など共通語の専門用語に習熟した者は少ない。
医師に病名を告げられ、生活の注意点や薬と食べ物の組合せの禁忌を教えられても、理解できない。折角きちんとした治療を受けられても、言語の壁のせいで助からなくなる患者が多かった。
ローシカ社長がレーグルス王子に呆れた声を叩きつける。
「医療行政改革が、製薬会社の仕事なワケがないだろう。ウチは役所や何でも屋じゃないんだぞ」
「医療行政を改革して元を断たなければ、今後も多数の民が、きちんとした治療を受けられさえすれば不要な鎮痛解熱剤が原因で、薬物依存症に陥り続ける」
レーグルス王子は、内政干渉ともとられかねない危うい発言を繰返した。
「保険業界と製薬業界のロビー活動が政治家を動かし、現在の医療体制を構築したんだ。日之本帝国並とはゆかずとも、もっとマシな状態に近付けるように働き掛ければいいだろうが」
「そんなコトをして、一体幾らの利益になるんだ? わざわざ損害が出る体制にする為に動く企業などあるワケがないだろう。そんなコトもわからん経済音痴のバカが王子で、国民が可哀想だな」
ローシカ社長は愚かな子供に言って聞かせるような口調で反発した。
レーグルス王子は確信に満ちた声で糾弾する。
「お前の会社が世界の薬物依存症の元凶のひとつだ。バルバツム政府が、原材料を輸出するゲオドルム共和国に難癖を付けても、お前たちの所業を正当化できるなどと言う道理はない」
「痛みで苦しむ患者が鎮痛解熱剤を買いやすいように頑張って連邦議員に働き掛けて、何年も掛けてやっと薬局での一般販売に漕ぎつけたんだぞ? ロビー活動に一体幾ら使ったと思ってるんだ? 三年で元は取れたが、利益を出すのはまだまだこれからだ」
ローシカ社長は全く堪えた様子がない。
「お前はそのようにして顧客……薬物依存症の患者を増やしたが、バルバツム連邦では薬価が高いせいで、その正規品すら買えない民が多い。そこに目を付けた犯罪組織が、サンドイッチ並みの低価格で鎮痛剤系違法薬物を売捌いているのだ。知らないとは言わせない。犯罪組織を肥え太らせ、治安の悪化を招いたのはお前の会社だ」
「違法薬物に手を出すのは、そいつらのモラルが低いせいだ。順法意識の低い貧乏人がどうなろうと自業自得だ。知ったことか」
ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者は、レーグルス王子に魔力を籠めて命じられたせいで、思ったことを何でも口に出してしまい、全く取り繕えない。
何を言っても、両者の溝は埋まりそうになかった。
四人の記者たちは、バルバツム連邦経済界屈指の大物ローシカ社長と、フラクシヌス教徒からほぼ女神様と称えられるレーグルス王子の応酬に口を挟めず、ただ見守った。
円卓の中央に浮いた鎮花茶が完全に蒸発し、出涸らしがぽとりと落ちた。
魔法薬学会の職員が茶色の小瓶から魔法で水を引き出し、乾いた花を拳大の水塊で回収した。
レーグルス王子が呆れた声で聞く。
「大勢の命と人生を踏み躙ってまで儲けたカネで、お前は何がしたいんだ?」
「富裕層に相応しい生活と、その資金を基にした投資で更に富を増やすのだ」
ローシカ社長は打てば響く勢いで、当然のこととして答えた。
「我が国はそんな汚いカネなど要らん。脳解毒薬を適切に使用できる魔道医療の体制のない国には、紫連樹の葉も完成品も売らん。患者の為にならんからな」
レーグルス王子がきっぱり断ると、湖南経済新聞社の記者とフリージャーナリストのラゾールニク記者は首を縦に振った。
☆国民皆保険制度を導入しよう法整備……「2135.根本的な差異」参照
☆原材料を輸出するゲオドルム共和国に難癖……「3350.模型用の部屋」参照




