3548.齟齬の大きさ
「ローシカ社長! 流石に言葉が過ぎる!」
緑髪の近衛兵がとうとう通訳を放り出し、共通語で叫んだ。
ローシカ製薬株式会社の最高経営責任者が怒気に圧されて身を縮める。
「言わせておけ。ローシカ社長に思ったことを何でも言えと命じたのは私だ」
「しかし、あまりにも酷い言い草です」
レーグルス王子はバカ王子呼ばわりを不問にするが、近衛兵は憤懣やるかたない様子で反論した。
「悪口は自己紹介の法則ってあるよね」
含み笑いの共通語で口を挟んだのは、ラゾールニク記者だ。
緑髪の近衛兵は、金髪のフリージャーナリストを睨んだが何も言わなかった。
会議室の隅に置かれた棚の前で待機する魔法薬学会の職員が、茶色の小瓶を握って力ある言葉で呪文を唱えた。掌にすっぽり収まる小瓶からティーポットひとつ分くらいの水が引き出され、宙で沸騰する。
赤毛の中年女性は、戸棚から鎮花茶の袋を出して乾燥した花を熱湯に投入した。花弁が開くと同時に煮え滾る湯が色付き、甘い香りが会議室のギスギスした空気を和らげる。
赤毛の職員がティーポットを円卓に置くと、鎮花茶がするりと収まった。蓋は閉めず、薬効のある香りを部屋に行き渡らせる。
レーグルス王子が魔法薬学会の職員に微笑を向けた。
「有難う。気が利くね」
「恐れ入ります」
学会職員は、恭しく一礼して棚の前に戻った。
デルタ伍長はホッとして、ローシカ社長を横目で窺う。
社長の額に浮いた青筋が引っ込み、吊り上がった目尻が僅かに下がって表情が和らいだ。
レーグルス王子が落ち着きを取り戻した声で告げる。
「ローシカ社長は先程、総合商社パルンビナ株式会社が、ローシカ製薬株式会社の足を引っ張る為に紫連樹の葉を卸さないと言ったが、それは事実誤認だ」
「何を根拠に」
「パルンビナはラキュス・ラクリマリス王国の保健省と罰則付きの調達契約を結んだのだ。死に物狂いで契約を果たすし、その妨げになるような別の契約を結ぶことはない」
「罰則? 莫大な違約金を払わせる契約か? そんなもの、こちらでそれ以上の額を提示すれば乗換えるだろうに」
魔力を籠めて命令されたせいで、ローシカ社長は思い浮かんだことを片っ端から口に出してしまう。
レーグルス王子が説明を付け加える。
「我が国とパルンビナ株式会社が結んだのは、魔法による罰則付き調達契約だ。災害などの不可抗力による免除規定に該当しない場合、違約すれば営業と調達の担当者、それぞれの直属の上司、最高経営責任者の指が腐り落ちる」
「そんなものが真っ当な契約なものか! 悪しき業だ!」
ローシカ社長が叫んだ。
デルタ伍長は、救援物資輸送部隊の護衛を引受けてくれる魔獣駆除業者を探してランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに通った日々を思い出した。
「王子様の仰せの通り、魔法文明圏ではありふれた契約みたいですよ。例えば、婚姻後に不貞行為をした有責配偶者の身体の一部が腐り落ちる誓約書などが普通に交わされる、と言う話をアーテル領で聞いたことがあります」
デルタ伍長が共通語で言うと、レーグルス王子と近衛兵たちは頷いたが、社長と秘書は薄気味悪そうに顔を顰めた。
「尤も、魔法文明圏では、治癒魔法で欠損部位を再生させられるのだが」
「それなら契約違反してでも乗換えた方が儲かるな」
レーグルス王子の説明にローシカ社長の感想が割り込んだ。
「欠損部位を再生させる治癒魔法は術者が少ない為、順番待ちが年単位になる。しかも、治療には激しい苦痛を伴うので、大抵の者は契約違反を回避するよう努める。契約関係者全員が、自分の身体よりカネを取るとは限らん」
王子は全く意に介した風もなく続きを語った。
ローシカ社長が横を向いて呟きを漏らす。
「やっぱり悪しき業じゃないか」
「契約を反故にしなければ、無事に済む話だ」
レーグルス王子は、当たり前のことを言って薄く笑った。
……王子様、スルースキル低いなぁ。
デルタ伍長は、そんな呟きにまでいちいち反応するレーグルス王子に他人事ながら肝を冷やした。緑髪の近衛兵たちをそっと窺う。二人の共通語会話を湖南語訳する近衛兵は苦い顔だ。
バルバツム連邦から訪れたフリージャーナリストのクアエシートル記者が、茶髪の若い女性薬師に質問する。
「カリオンさん、アルトン・ガザ大陸南部の両輪の国でも、契約書ってそのくらいの罰則がついてるんですか?」
「えッ? あ、あぁ、契約書ですか? はい。重要な契約書は、特別な国家資格を持つ【渡る白鳥】学派の司法書士が作って、契約違反したらそのくらいの罰則が盛り込まれますね」
「アルトン・ガザ大陸南部では、ラキュス湖周辺地域より魔力の弱い魔法使いが多いと聞いたんですけど、それでも、指を壊死させたりとかできるんですか?」
「そうですね。少なくとも、私の国……ルニフェラ共和国では、その特別な国家資格を得られるのは、国内でもかなり魔力の強い術者に限られますので、できますね」
クアエシートル記者に重ねて問われ、薬師カリオンは恐ろしいことをさらりと答えた。
ラキュス・ラクリマリス王国から来たラゾールニク記者も、便乗して共通語で質問する。
「じゃあ、カリオンさんとローシカ製薬の契約も、魔法の契約書を交わしたんですか?」
「いえ、バルバツム連邦では魔法の契約書に法的な効力がないので、ローシカ製薬の顧問弁護士が用意した普通の紙に印刷しただけの書類で契約しました」
「じゃあ、できなかったら違約金云々って言うの、別にそれで君や家族が直接どうこうされるワケじゃないんだ?」
レーグルス王子が薬師カリオンに明るい顔を向ける。
だが、薬師カリオンは浮かない顔だ。
「もし、私が脳解毒薬を調合する技術を習得できなかったら、銀行口座と不動産を全部取り上げられて、私は定年までずっとローシカ製薬の魔法薬部門で最低賃金で働かされる契約なので、実家の薬局がなくなります」
「銀行口座はともかく、薬局の土地と建物ってお父さんかお兄さんの名義じゃないの?」
レーグルス王子が不思議そうに首を傾げる。
「土地は祖父名義で物件は父名義ですけど、連帯保証人なので」
「なんだか色々酷い契約だなぁ」
ラゾールニク記者が、乾いた笑いを漏らしてローシカ社長を見た。
「当然だ。この魔女がしくじった時の損害は、それでも足りない計算になるんだからな」
「もし、ウチが廃業したら、私の奨学金と妹の治療費を払えなくなるだけじゃなくて、町の皆さんの健康を守れなくなるんです」
薬師カリオンが涙を浮かべてレーグルス王子に訴えかける。
レーグルス王子は少し考えて聞いた。
「どうして? ……君んちの薬局の他に医療機関がないとか?」
「科学の市販薬を扱う薬局は幾つかありますが、ウチは町で唯一の魔法薬を扱う診療薬局なんです。市内で入院できる総合病院は一カ所だけで、人口に対して規模が小さ過ぎて全然足りませんし、【跳躍】できない人が都会の病院に行くのは命懸けなんです」
「通院が命懸けだって? 車で移動するんだよね? バスとか?」
レーグルス王子は、ローシカ社長に対する際とは別人のようにやわらかな表情と声音で薬師カリオンに聞いた。
「都市を結ぶ道路には、魔獣が出るからです」
「アーテルの道路と同じ状況なんだ?」
クアエシートル記者が驚いた。
薬師カリオンが困惑する。
「私は、その、アーテルの道路がどんな状態かわからないんですけど」
「バルバツム軍が食料とかの救援物資を運ぶんだけど、しょっちゅう魔獣が出てトラックひっくり返されてますよ」
「えぇッ? クアエシートルさんはバルバツム人ですよね? そんなところで取材したんですか?」
「駆除屋さんを護衛に雇って行きましたよ」
「あ、あぁ……魔法戦士の人が一緒だったんですね」
「凄く強い人が契約してくれて助かりました。文字通りの意味で命拾い」
ラゾールニク記者が小さく手を挙げて聞いた。
「カリオンさんの実家の薬局が潰されたら、その町の地域医療が崩壊するかもしれないんですね?」
「は、はい。糖尿病とかの慢性疾患の患者さんは、魔法薬が手に入らなくなって、最悪、命に関わりますから、絶対に守らないといけないんです」
「総合病院が受け皿になるんだから別に構わんだろう」
ローシカ社長は露骨に見下した顔で言い放った。
☆婚姻後に不貞行為をした有責配偶者の身体の一部が腐り落ちる誓約書……「3210.契約書の魔法」参照




