0355.シャツの刺繍
「お兄ちゃん、できたよー」
玄関を開けると、アマナが廊下を駆けてきた。クルィーロは妹を抱き止め、やわらかな頬に自分の頬を寄せる。
「危ないから廊下走んなよ。で、何ができたって?」
「うん、あのね、お兄ちゃんのTシャツ」
アマナが手に持った布を広げる。アーモンドの花のような薄紅色で、アマナとお揃いだ。
「ずーっと魔法のマント着てたら、疲れるんでしょ?」
「ん? うん、まぁ……これ、アマナが作ってくれたのか?」
「うん。切るのはアミエーラさんがしてくれたけど、縫うのは全部私がしたの」
「スゴイじゃないか! よく頑張ったなぁ」
はにかむ妹を抱きしめて礼を言い、手を繋いで食堂へ向かう。
「今日でTシャツ、みんなの分できたから、明日はズボン縫うの」
「忙しいんだな。肩凝るし、あんまりムリすんなよ」
「平気。今日はね、アミエーラさんが切ってる間、ティスちゃんとピナ姉ちゃんは刺繍してたよ」
「刺繍?」
「パン屋さんだから、ここんとこに、ちっちゃいパンの絵、付けてたの」
アマナが自分の左胸を指差す。クルィーロは頷いて食堂の扉を開けた。
……店の制服みたいな感じにしたのかな?
冬服を袖捲りしたレノが、首に巻いたタオルで汗を拭きながら配膳する。
手伝うピナティフィダとエランティスの左胸には、食パンとコッペパンの刺繍があった。パン屋の姉妹はやさしい緑色のTシャツだ。椅子のひとつに同じ色の布が掛かる。クルィーロとアマナも少し手伝い、食卓に着いた。
他の者たちも、ぞろぞろ食堂に入って来る。みんなが揃って食事が始まった。
パン、塩茹でしてスパイスで和えた白詰草、タンポポの冷製スープの質素な献立だ。あの冬の日々を思えば、食べられるだけでも有難い。誰からも文句は出なかった。
「自分で刺繍したんだって? スゴイなぁ」
「これね、お母さんのマネしたの」
クルィーロが話を振ると、エランティスは嬉しそうに笑って、ポケットからハンカチを引っ張り出した。
四隅に小さな刺繍がある。食パン、コッペパン、サンドイッチ、椿の花。レノたちの実家、パン屋の椿屋を表した図柄だ。
……おばさん。
おかみさんの愛想のいい笑顔が甦り、クルィーロは胸が詰まった。あの状況では到底、助かったとは思えない。
「へぇー……おばさん、パン作りだけじゃなくて、刺繍も上手いんだ」
声の震えを抑え、精いっぱい明るい声で褒めた。
レノが、椅子の背もたれに掛ったTシャツを広げる。
やさしい緑の地にサンドイッチが小さく刺繍してあった。ピクニックのような図柄だ。
「こんな細かいの、よく頑張ったなぁ。ちゃんとサンドイッチに見える」
「お兄ちゃんのは、お姉ちゃんがしてくれたの」
「ピナ、こんなコトまでできたのか。スゴイなぁ」
「お嬢ちゃんたち、いろんな技術持ってんだなぁ」
ピナティフィダは兄とメドヴェージに褒められ、ふふっと笑ってパンを一切れ口に入れる。
少年兵モーフがパンを頬張ったまま動きを止め、その笑顔に釘付けになった。しばらく見惚れ、ふとクルィーロと目が合う。モーフはスープ皿を持って、顔を隠すように残りを飲み干した。
右袖を小さく引かれ、アマナを見る。
「お兄ちゃんも、刺繍欲しい?」
「ん? アマナが大変だし、俺はいいぞ」
「大変じゃなかったら、欲しい?」
……刺繍、したいのか。
「そうだな。俺、工員だし、工具とかあったら嬉しいけど、忙しいだろうし、ムリしなくていいぞ?」
「うん。ムリしないよ」
「裁ち鋏が一丁しかなくて、ズボンの裁断、待ってもらってるんです」
針子のアミエーラが恐縮して口を挟む。クルィーロは慌てて言い繕った。
「あぁ、いえ、別にズボン、急かしてるワケじゃないんです。細かい作業、大変そうだなって思っただけで」
「そうですか」
プロの針子は少しホッとした顔で食事を続けた。
クルィーロは工場の制服のツナギだ。Tシャツだけでは着替えられない。
……まぁ、どうせヒマだし。それで息抜きになるんなら、いいか。
昼食後、クルィーロとファーキル、ソルニャーク隊長、呪医セプテントリオーは情報整理で資料室へ行く。
アマナ、ピナティフィダ、エランティスは、針子のアミエーラと一緒に裁縫の続き。ピナティフィダは、既にズボンの縫製に手を着けた。
メドヴェージと少年兵モーフ、ロークは、採ってきた素材の下処理。蔓草細工の帽子も全員に行き渡り、今は少しでも生活費などの足しにと、量産体制に入った。
レノは、台所に残って明日の分のパンの仕込み。老婦人シルヴァが三日に一回、顔を出すようになった。食糧の補充は、呪医セプテントリオーと葬儀屋アゴーニだけの頃より増えたが、物資が手に入り難いのか、おかずは増やせない。小麦粉が手に入ってパンを焼けるのは、かなり恵まれた部類だろう。
薬師アウェッラーナは部屋に引き揚げて休息。葬儀屋アゴーニが素材を持って戻れば、また明日から忙しくなる。
休める時は、ゆっくり休んでもらうことになった。
☆あの状況……「0021.パン屋の息子」「0022.湖の畔を走る」参照




